第4話 思い

 橋本幸江は亡くなってしまった旦那さんのこと、そして独立した子供たちのこと、そして自分自身のことを将彦に話し始めた。橋本幸江は医師の家系生まれで、幼少期から裕福な暮らしをしていたこと。二十歳の時に国家公務員として現在の財務省の前身である大蔵省に勤めていた7歳年上の旦那、武治たけはると結婚したこと。

 「私はね。武治さんと結婚できて本当に幸せだったのよ。少しお別れが早かったのは残念だけれども、子供二人も立派に育てることができたわ。」

 一通り身の上の話が終わると、改めて橋本幸江は将彦が差し出していた宝くじの入った封筒を将彦の方へと滑らせた。

 「これはね、確かに私の元にきた幸せの一つよ。でもね。私はもう十分に幸せなの。だから他の人にこの幸せは譲ろうと思ったの。」

 「それが、俺ってこと」

 「そうよ。血が繋がっていないにも関わらず、出会ってから今この時でさえ私を大切に思ってくれる将彦君によ」

 「でも、それは。」

 橋本幸江の家に顔を出していた理由のほとんどは母親にお使いを頼まれたからという言葉を飲み込んだ。

 「お金は大丈夫なの。この施設凄く豪華だし、そんな毎月数万ってわけにはいかないでしょ。病院代とかもどんどんかかるだろうし、いつ大きなお金が必要になるか分からないよ。」

 「お金なら大丈夫よ。それに私はまだまだ元気なんだから。」

 橋本幸江は将彦の心配をよそに無邪気な笑顔で応える。

 「なんで。俺なの。お子さん達に渡せばよかったじゃん。」

 「子供達には、私のお父さんから私にきた幸せと武治さんが手に入れた幸せを分けたわ。でもこれはね、私に舞い込んだ幸せだったの。だから私が分けたい人にあげたいの。これは私の我が儘ね」

 将彦は橋本幸江の話を聞いても府に落ちなかった。もしかしたらこの宝くじ以上のお金が子供達には渡っているのかもしれない。それでも、薬局からの薬を届けていただけの赤の他人である自分にこんな大金を渡すなんて。

 「もし、将彦君が必要がないのなら。私に返すのではなくて、誰か必要としている人に譲ってあげて。私が分けた幸せは今は将彦君のものよ。それをどう使うかは将彦君の自由よ」

 そう言って橋本幸江は変わらぬ笑顔を将彦に向けた。そして話が終わったというばかりに急須を持ってキッチンの方へ行ってしまった。


 

 部屋の外は雨が降っている。風は強くないため交通機関に問題は出ていないが、ここ最近の秋空はずっと同じ調子が続いている。近代経済史の授業の教室の窓から将彦外を眺めている。時折知った名前が出てきくるが基本難しくて理解ができない授業はいつもに増して集中できていない。

 橋本幸江の元を訪れてみたものの結局肝心の宝くじはまだ将彦の手に残っている。

 いくら1等10億円と交換が可能である宝くじと言えどもその機会を利用しなければ単なる紙切れに過ぎないのであるが、将彦の心はその紙切れに惑わされ続けている。

 

 お金を決して無駄に使うことは許されないという思いが将彦の中で強い使命感となるにつれて、将彦の体調はどんどん悪くなり2週間後にはとうとう二日連続で学校を休み部屋に閉じ籠ってしまうほど将彦の精神状態になってしまった。

 将彦の様子がおかしいことに気がついた母親は姉と父が家にいない時間を見計らい居間のテーブルに将彦を座れせた。


 「最近どうしたの。まず母さんに話してみなさい」

 いつもより強い口調で母親は将彦に話しかけた。昔から母親は将彦が話せずに困っている時は強引にでも話させようとする。理由は自分からは話せない、相談できなくて悩んでいるんだから、まずは母さんが無理やり口を割らせた形にするのがいいの、と言っていた。

 「授業に出ているかどうかは知らないけど、大学なり外には毎日のように出るじゃない。それが昨日、今日と出てないわよ。何隠しているの。彼女を妊娠させちゃったの」

 「妊娠なんてさせてないし。ていうか彼女いねぇよ。」

 妊娠という全く予想していなかった言葉が飛び出し、将彦は食い気味で否定した。

 「そういうのじゃないんだよ。」

 「じゃなによ。話してみなさいって」

 将彦は母親に橋本幸江からもらった宝くじについて話すか逡巡した。高額宝くじは周りの人々をも不幸にしてしまう話を聞いて、話せば母親を巻き込んでしまうという気持ちが強く相談していいものか判断できなくなっていた。

 「母さんは思いがけず人から幸運を譲ってもらったらどうする。自分に扱えないぐらいの大きい幸運だった場合」

 母親は将彦の質問に驚いた様子を見せたが、質問を頭の中で数回繰り返しているような表情をしてから答えた。

 「母さんだったら、譲ってくれた人にありがとうって感謝して受け入れるかな。」

 母親は将彦がやっぱりそうだよなという顔をみて、少し安心しこう続けた。

 「でも、自分に扱えないぐらいの大きい幸運だったら手放しちゃうかも。それか、それを扱える人にまた譲る。幸運ってことはきっと譲り受けた人は幸せになれるのだから、それをしっかり幸せって感じられる人、幸せとして扱える人の手に渡って欲しいと思うかな。」

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