第2話 靄(もや)


老人が倒れると、白い床に赤い血が広がっていった。


「ああ、あんた戦場に行ってたんだねぇ」


部屋はまた静まり返っていた。

いつの間にか机の前に立っていた老婆が、倒れている老人を見下ろし静かにそう言い終えると、私以外にこの部屋にいた2人の女性が同時に叫び声を上げた。


「「きゃーーーーーーーーーーー!!」」


さっき会話した60代くらいの男性は口を大きく開いて固まっていた。


弁護士と思われる男性は、信じられないという顔で呆然と立ちつくし、その他の人たちは狼狽えていたりした。


私は両手で口を押さえ、震えながらその場に座り込んでしまった。


その状況を見ていた執事の恰好をした男の子は「終わったら声掛けてね♪」と老婆にそう伝えると、壁に向かって右手を差し出した。するとその差し出された手の位置に合わせるようにドアノブが現れ、男の子は再びドアを開き部屋から去って行った。




「ぎゃあああああああああああ!!!」


去っていく男の子を呆然と見ていると、突然今度は死刑囚の男性が叫び声を上げた。私は驚いて男性の方に顔を向けると男性は右腕の肘から下が切り落とされていた。


「あああああああ!!!やめてくれーーー!!」


男性は右肘を押さえながら天井に顔を向け、何かに怯えるような目で叫んでいたけど、さっきの老人の時と同じように私には何も見えなかった。

だけど・・・男性の傍には誰もいないのに『ブチブチッ、ゴリッ』という音を立てながら今度は左腕が肩から切り落とされていった。


「ぎゃああああああああああ!!!!!うっ!!!」


切り落とされた痛みで彼は再び絶叫したが、突然首筋にツーッと切れ目が入ると、パカッと首が裂けてそこから血が溢れ出した。そのまま男性は真後ろに倒れると少しの間ピクピクと痙攣しいたけど、やがて動かなくなってしまった。


私はあまりの光景に吐き気をもよおした。


「う、、おえっっっええ!」


向かいで蹲っている人も私と同じく吐き気をもよおしたようだ。


「一体なんだんだ、、、一体なんなんだよ、、、。」と同じ言葉を繰り返しながら呆然と立ち尽くしている人もいた。


「ひっ、ひゃあああ!?」


吐き気を堪えていると背後から先程死んだはずの老人の声がした。


「え??おじいさん生き返ったの??」振り返ると、見えない銃で撃たれて死んだはずの老人が、顔をガードするように両腕を上げ何かから逃げるように後退りをしていた。


「うああああ!」


老人はまた私には見えない何かを確実に見て怯えているようだった。


ドオオオオオオオオオオオオオン!!


「ひっ!?」


今度は大きな爆発音がすると、老人の体の右側半分が四散した。


飛び散った血肉がビチャビチャと後退った老人の隣に座り込んでいた女性に降り注ぐと、自分に降り掛かったその血肉を見て女性は気を失いパタッと倒れてしまった。


同じく老人の血肉を浴びていた老婆は、一切動じることなくそのまま立っていた。


「手榴弾だね・・戦争とは惨いものだよ。罪を悔いるがいいさ。」


そして冷たい無機質な声で老婆がそう言うと、ヴン、、という音がした。倒れた半身の老人の上にいきなり黒い球体がその音と共に現れた。その球体は『ヴヴヴ』という低音を鳴らし始めると半身の老人と周囲に散り散りになった肉片や血などを吸い込んでいく、、、、全て吸い込まれたのか低音が止むと、今度は球体からズルリと老人が元通りの身体になって出てきた。


「な、、なにこれ、、、」私は理解が全く追いつかないのと、とてつもない恐怖を感じて体が固まってしまっていた。


「ん??うう・・・・・・・確かに戦争とは本当に酷いものだった、、しかし、あの時の儂らは日本のため、、、、、お国のために身を捧げて戦った、、、その事には一切悔いはない!!!」


老人は四つん這いになりながらそう叫ぶと、ぶるぶると体を震わせながら立ち上がり老婆を睨みつけた。


「はっ、大したもんだよ。だけど、だからこそさねぇ。」


それを聞いた老婆が片眉を上げて鼻で笑うと


ダァーーーーーーーーーン!!!


今度は一発の銃声音が室内に響いた。


老人の額に穴が空き、、、、再び前のめりに倒れた。


その状況に私は再び両手で口を覆い慄然としていると、急に誰かが体当たりをしてきた。


「きゃっ!?何!?」


私にぶつかった後もそのまま体を預けて来たその人物を見ると、自分とは正反対なタイプという印象を持った女性だった。『綺麗』という印象を持っていたその顔は、鼻がつぶれて頬は腫れあがり、前歯が折れていた。


「ひぃっ!?」


驚き私は後退ると、その拍子に離してしまった女性は床にドンッと倒れ落ちてしまった。その後女性が動くことは無かった。


慌てて他の人たちの様子を見ると、60代の男性は苦しそうに首を掻きむしりながら、唸り声を上げて蹲っていた。


別の男性は顔を腫らしてボロボロと泣きながら「もう殴らないで」と壁に向かって腕を左右に振り、見えない誰かにそう懇願していた。


また別の丸々と太った男性は床に押さえ付けられたような体勢で「助けて、誰か助けてーー!助けて助けて助けて・・」と連呼していたが「たっ」と言葉が切れると、首を切断された。


「あああああ!?!?なに、、、いったい何なの???もう訳がわからない。」


恐怖で気が狂いそうになっていると、突然目の前が霞掛かってきた。


「え?え?」


私は動揺して目を何度も強くこするが視界は回復しない。それどころか徐々に霞が濃くなっていき、私の視界は真っ白な世界に奪われた。


「怖い、怖いよぉ。」


急な視界の変化に怯えていると徐々に霞は薄くなってきた気がした。だけど、、まだ視界はハッキリしないけど、靄の向こうに女の子が立っているように見えた。


「だれ???」


私の呼びかけに構わず女の子が近づいてくる。その手には見覚えのある電車のおもちゃがあった!!

まだ視界は霞がかっているため女の子の顔はよく見えない、、、、なのになぜか電車のおもちゃだけ色も形もはっきりと分かった。(あ!そのおもちゃ、、私が大好きだった電車だ・・・)そう思い出すと何故だか急に女の子が持っているその電車で遊びたいという気持ちが沸き起こり、つい手を伸ばした・・・


ガツン!!!


「痛っっ!」いきなり左眉のあたりに衝撃が走った。女の子に電車のおもちゃで思いきり叩かれたようだ。


左眉下がパクッと裂けて血が流れた。


「痛い!!痛い!!やめて!!!」


ガツン!!ガツン!!とその後も何度か頭を叩かれた私は必死になって、叩いてくる手を振り払った。女の子が私から距離を取ったので顔を上げ顔を確かめると、そこには眉間にしわを寄せ、鬼のような表情をした6歳の頃の私がそこに立っていた。


****


その頃の私はとにかく電車が大好きで、誕生日のプレゼントを買いにおもちゃ屋に行くと、一目散に電車のコーナーに駆けつけるくらい大好きだった。

2つ下の弟も電車に興味を持ったようで、いつも電車の取り合いになっていた。


ある日も私が電車で遊んでると「ボクにも遊ばせてー」と私から電車を取ろうとする。いつもは「ダメ!私が遊んでるの!!」と言えばふて腐れはするけど、すぐ諦めてくれるのにこの日の弟はしつこかった。


「ちょっといいかげんにしてーー!」


「かしてよーーーーーー!」


取り合いがいつまでも続くので、カッとなった私は強く腕を引くと弟の爪が私の手の甲に引っ掛かった。


「痛っ!」


案の定弟の爪で手の甲に引っ掻き傷が出来て、そこから血が滲み出て来た。いつも年上だからと母から色々我慢させられストレスもかなり溜まっていたのだろうか、、、私はむらむらと怒りが込み上がり弟をおもちゃで叩いてしまった。


おもちゃは弟の左眉下あたりに直撃し、皮膚がパクッと裂け血が流れた。

それでも怒りは収まらず、電車を投げ捨て、両手をグーにし何度も弟を叩いてしまった。


「聖!!!やめなさい!!!!」


大声で泣き叫ぶ弟に母は慌てて駆け寄った。そして弟の手当てをしながらいつもの言葉で私を怒鳴りつけた。


「何てことするの!!!弟を傷つけるなんて!!!!あなたはお姉ちゃんなんだから優しくしてあげないと駄目でしょ!!!」


私はその「お姉ちゃんなんだから」という言葉がとても嫌いだった。



「お姉ちゃんなんだから」といつも自分ばかり責められ、我慢させられっぱなしだった、、、その言葉をぶつけられる度に、可愛いはずの弟がその時ばかりは憎く思えてしまうのだった。


「どうせなら弟の方を先に産んでほしかった。」と幼いながらも母を恨むこともあった。


予想以上に傷が深かったのか血はなかなか止まらず、母は父に家に戻るよう電話をかけると、弟を車に乗せて病院へ向かった。父の職場は自宅から自動車で15分くらいの所にあった。母が電話をしてから10分ほど経っていたので、もうすぐ父が帰って来てしまうところだった。


「お父さんにも怒られる。」そう思った私は階段下の収納に身を隠し


「わたしは悪くないもん・・わたしは悪くないもん・・わたしは・・・・・」


何度も何度もそうつぶやきながら、収納の隅で体育座りをしながらボロボロと涙をこぼしていた。


弟の傷は4針縫うほどの怪我だった。大人になってもその傷跡は残っていた。


****


「はっ!!」


突然視界が元に戻ると私は床にうつ伏せで倒れていた。


(今のは・・いったい・・)起き上がった私は左眉あたりに手を添え、傷を確かめてみたけど無くなっていた。信じ難い出来事に唖然としていたが、間もなくまた白い靄に視界を奪われた。


「え!!!また!!!!」


今度はいきなり顔に勢いよく風が吹き付けて来た。その風の勢いで、靄が吹き飛ばされると一気に視界が開けたのだが、私はなぜか自転車に乗って急な坂道を猛スピードで下っている途中だった。


「ああああ!!」


私は慌ててハンドルのブレーキを強く握るが全く反応しない。


「なんで!!!どうして!!!」


ブレーキが作動しない事に混乱していると、タイヤが石に乗り上げてしまい大きくバランスを崩してしまった。


「あ、あ!!」


ガシャン!!!!!!!!


私の体はアスファルトに叩きつけられた!!!そして勢いそのままに坂道をバンッバンッと転げ落ちていった。






「い、、、痛いよぉ・・・」


坂の下でようやく止まった体はピクリとも動かす事が出来なかった。全身傷だらけになり、肩やあばら、右脚の骨が折れているようだった。


「痛いよぉ・・・誰か・・・助けてぇ・・・。」


泣きながらそう訴えても誰も来てはくれなかった。


私の泣き声は白い霞に包まれていった。


****


「はぁ!はぁ!はっ!!!!はぁ・・・はぁ・・はぁ・・」


激しい息切れとともに私は意識を取り戻した。


再び私は床にうつ伏せで倒れていた。先程と同じように体に傷は無く、骨も折れていなかった、、、、、堪らずゴロンと仰向けに寝がえり荒れた呼吸を整えていると、老婆が横から顔を覗き込んできた。




その顔は歪な笑みを浮かべていた。

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