今後の人生をどう生きるか

前回は『神々の山嶺』を読んで思ったことを書いた。そのなかで「人生の価値とは、なんの途上にいたかだ」という結論を得た。


そこで次に問題になってくるのは、「私はなんの山を登るのか?」ということだ。


実を言うと、もう心は決まっている。物書きの道を進むのだ。なぜこの道なのか、理由はとうに忘れてしまった。客観的には今からほかの道を探したっていいだろう。しかし、もはや客観性の問題ではないのだ。


そう、登る山はもう決まっている。だが困ったことに、その山を登りきるだけの決意が足りていない。


『神々の山嶺』で言えば、羽生は「冬季エベレストの最難関ルートを単独で制覇する」という確固たる決意を持っていた。私にはそうした決意がない。それこそが最大の問題なのだ。


昔はまだ決意があったように思う。しかし、数々の失敗体験と鬱病による無気力症が、自分から決意を奪い去ってしまった。


自分は山を登りはじめることさえできないかもしれない。そんな恐怖と不安を毎日のように感じている。だからつい、今後の人生をどう生きればいいのかと考えてしまう。


だが、登る山が決まっている以上、いくら考えても最終的には同じ結論に至る。とにかくまずは鬱病と不安障害の影響を少なくしていくこと。そうやって登る準備を進めていくこと。それしかないのだ。

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