期待を捨てることはできない
瞑想を始めて1ヶ月以上が経過した。
瞑想はスマホのアプリで行っている。
瞑想アプリでは、音声によるガイドが流れる。
最初はガイドの音声を聞いていたが、今は聞き流している。腹が立ってきたり、哀しくなったりするからだ。
ガイドは、どのプログラムにおいても、「あきらめること」を諭そうとしてくる。怒りや不安といった感情を認めるようなことを言いながら、遠回りに否定してくる。それが哀しい。
特に「期待」という感情に対しては、明確に否定される。誰かに期待してはいけない、将来に期待を抱いてはいけない、今を受け入れよう。そんな言葉が繰り返される。
「今を受け入れる」といえば聞こえはいいが、裏を返せば、それは未来に対する展望を持たないということだ。
なぜ、人間は怒りや不安といった負の感情を抱くのか? 現在に不満を抱くことは悪いことなのか? ガイドの言葉を聞いていると、そういった疑念が湧き上がってくる。
現状に対して不満があるからこそ、もっと高みを目指そうとする。それが人間ではないのか?
期待をやめれば楽になる? 嘘だ。姫呂は、実際に何も期待しないようにしてみたことがあるが、それで人生が楽になることはなかった。むしろ、期待を捨て去ることで、生きている理由が希薄になってしまった。何も期待しないのに生きているのは、ただただ苦痛だった。
そして気づいた。期待は生きていくのに必要なものだと。そもそも人間が努力をするのは、見返りを期待しているからだ。口先では「何も期待していない」という人だって、努力しているからには、心の奥底で何かを期待しているのだ。もし本当の意味で何も期待していないのなら、努力をする理由さえなくなるはずだ。
受け入れろというなら、期待を抱いている事実こそ受け入れるべきだろう。
姫呂はこれからも生きていく。それは将来に対する期待を捨て去ることができないからだ。現状は毎日が苦痛ばかりであり、けっして受け入れることはできない。だからこそ、少しでも幸福に向かって努力するし、ガイドの戯言に耳を貸すことはできない。
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