第7話

それからずっと年月が経ち、夜の闇が電気の光に追いやられ、空には飛行機が飛ぶようになり、「入らずの谷」の言い伝えもいつの間にか忘れ去られてしまったころの話です。


 ヨシオは道らしい道もない山奥を、一人きりでリュックサックを背負って歩いていました。ヨシオは額の汗をぬぐうと、背中の荷物に話しかけるようにつぶやきました。

「とうとう、ここまで来たね。あれから、もう一年も経つんだ。」


一年ほど前、ヨシオは旅先で急に雨に降られて、あわてて近くの店の軒先に駆け込みました。

「まいったなぁ。天気予報じゃ雨が降るなんて言ってなかったのに。」

雨あしはますます強くなり、雷まで鳴り出しました。

「ここにいても、びしょぬれになってしまう。いっそのこと、宿まで走ろうか。」

そう思って走り出そうとしたとき、後ろから声がしました。

「そこでは濡れてしまうでの。中に入って雨宿りをしたらどうかね。」

振り返ると、店のガラス戸が少し開いて、誰かが声をかけてくれたようです。ちょうどその時に大きな雷が鳴ったので、ヨシオはあわてて中に入りました。

「ありがとうございます。少しの間おじゃまします。」

と言いかけて、ヨシオは目の前の光景に目を奪われてしまいました。

 店の中は薄暗くて、いろいろなものが所狭しと並んでいます。左の壁際には古い食器が並んでいるようです。まん中にはショーケースがあって、なにやら小さなものが並べられています。右の壁際には仏像が並んでいました。

 「何か気に入ったものがあったかの。」

店の奥から声がしました。店の奥は一段高くなっていて、そこにはおじいさんがうずくまるように座っていました。 

「あ、すみません。。こんなところに骨董屋さん、いえ古美術商があるなんて思っていなかったので、つい見とれてしまいました。」

おじいさんは笑いながら、

「ほっほっほっ、古美術商なんてだいそれたもんじゃありゃせん。骨董屋でかまわんよ。こういうのが好きなら、時間つぶしに見ていくとええじゃろ。」

 ヨシオは店の中を見物することにしました。左側にはたくさんの皿や小鉢などが並ぶ中に、見事な絵皿も何枚か並んでいます。まん中のショーケースには、細かい細工を施した根付けがたくさん並んでいます。右側には大人ほどもあるものから手のひらに乗るようなものまで、大小様々な仏像が並んでいます。

 あれこれ眺めていてふと足元を見ると、いろいろなものが入った段ボールの箱が置いてありました。その中の黒く焦げたかたまりのようなものから、ヨシオは目を離せなくなってしまいました。

「すみません、これは何ですか。」

「おや、そんなものが気に入ったかね。それは仏頭だね。仏頭といっても、頭だけを作ったものもあれば、元々は体もあったのに頭だけになってしまったものもある。それにはたぶん体もあったと思うよ。ほら首の付け根が滑らかじゃないじゃろ。ひどく焦げているから、火事にでもあってせめて首だけでも助け出したのかもしれん。

 どちらにしても、名のある仏師の作ではないと思うし、ひどく傷んでおるから、美術的な価値はありゃせん。どこかの蔵の中身をまとめて買ったときに入っていたものじゃ。気に入ったのなら、原価でかまわないから持ってお行き。」

 おじいさんの言った値段はヨシオにも何とか買えるものだったので、ヨシオはその仏頭を持ち帰ることにしました。

 おじいさんは仏頭を包みながら言いました。

「ちょうどよく雨も上がったの。では気をつけてお帰り。」

ヨシオが気がつくと、あれほど降っていた雨が嘘のように上がって、強い日差しが差し込んでいました。

ヨシオは狐につままれたような気持ちで店を出て、包みを大事そうに抱えて歩き出しました。しばらくして、ふと、そう言えば、あの店は何という名前だったんだろうと思って振り返りました。でも、似たような店が並んでいて、どれがあの店だったのかは、もうわかりませんでした。

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