第13話 海の街

門を抜けたその向こうには、石畳の上り坂が続き、天井も石の壁で塞がれているために足元になればなるほど暗い。


坂の頂点から青空が見え、それが唯一の光源となっている。


この光景にどこか見覚えがあった。半ばぼんやりとしながら足を進めていたが、ついに坂の頂点に着いたとき、そこが見晴台のようになり、左右に細い道が伸びてその端が尖塔につながっている事や、もと来た道を振り返ると、その入り口の上に木で作られた柵があることなどから、私はここが城砦である事を始めて認知した。


海の街の全景を見ようと、また見晴台の前に向き直る。砦のすぐ下から。塩の塊のような四角い建物が、統率もなく並んでいる。


窓らしき四角い穴から物干し竿で服がぶら下げてある光景がちらほら見られる。住居郡と見て間違いはないだろう。


そして視線を前にずらしてゆくと、ある境目で塩の塊のような建物の景観はそのままに、整備された町並みに変わる。


街路は港から放射線を描くように延び、東端の路地は尖塔にぶつかり、行き止まりとなっているようだ。


それ以外はある一定の長さまで伸び、その街路の隙間を埋めるようにして雑多に店が開かれているらしい。


西方面は大きな建造物が視界を遮って見えず、これが日光を遮ることで、東端の住居群はその建物の大きな影を背負わされている。


西側と東側を分断するように建てられているのは、この街の領主が住むと言われる城郭であり、今いる城砦と同じ高さまである巨大な礎石の上に、なおも巨大な城を建造しており、その尖塔や装飾などの頂点はみな鋭く尖っている。


海から来た商人たちから見れば、さぞ力と威厳ある城に見えることであろう。


この城の主にだけは会い見えたくはない、と悪い予感を持った。


左の尖塔に向かうと、その内部は螺旋階段が右巻きに続いており、それを降り始める。


小窓から町並みを眺める。元は白いはずの住居群は、影に覆われているために灰色にくすんでいる。灰色の四角の天井が雑然と並べられているさまは、とても無機質で冷たい。


尖塔の出口はそのまま街路に続いており、そこには小さな店が街路の中に点在している。


店一店につきニ三軒の間隔をあけて別の店が開いており、それがこの影に覆われた街で初めて見る整理された光景であった。


この通りを行き交う人々は少なく、目視した限りでは十人もいない。


その住人でさえ店で買い物をしていると言うよりは、行く当てなく彷徨っているような印象を受ける。


視界に入るその顔に生気のようなものは感じられない。


ふと喉が渇いたので、どこかで水でも買おうかと思い、近くにあった八百屋らしき店を覗いてみたが、そこには買い物をする客とともに、なぜか店主の姿までも見えない。


ただ、目の前に並べられたキャベツが無機物じみた冷えた表情をしている。念のため、誰かいるか、と声を掛けたが、その声は狭い店の中で空回りする。


諦めて、街路を再び進む。住居に人影はなく、物干し竿に服が掛けられているのがちらほら見えるのが、今になってはどこか不気味に見え始める。つい先ほどまで街路を通り過ぎていった人を呼び止めようか。


振り返ってみたが、そこにはもはや人の姿らしきものは見えない。奇妙に思いつつ歩いてゆくと、街路の果てはV字状に二股に分かれる。


一方からは太陽の光が見え、もう一方はそのままこの街路の奥へ続いている。その二股の別れ路を塞ぐようにして、露店が開かれている。


足元には絨毯が敷かれ、その上に何やらガラス細工のような小さな商品が、間隔をあけて置かれている。


そして露天の主はその後ろで胡座を掻いて座る。俺と同じく外套を纏っている。俯いているため、顔はよく見えない。声を掛けようか迷った。すると、他人の存在に気付いたのか、露天の主はゆっくりと顔を上げて俺のほうを見る。頬にしわが幾筋も刻まれた老婆であった。たるんだ目の奥は緑色をしている。


「誰だい、あんた。」


ぶっきらぼうな声で、老婆は言った。


「ある理由で旅をしている者だ。」


「理由があって旅なんかしているのか、悠長な奴だね。」


老婆はこちらの目を一瞬じっと見据えたが、その後すぐに視線をそらし、また俯いた。聞きたいことがある、と老婆に言った。老婆は何も答えない。


「この辺りは、人の気配が極端に少ない、何か知らないのか。」


老婆は俯いたまま、何も答えない。ただ、足元の絨毯に視線を落とす。絨毯は赤と黒の二色で織られており、黒を素地としてちょうど老婆の胡座を囲むように幾何学図形が赤く描かれている。


「分からない。」


すると突然、老婆は口を開いて、言った。情報として知っているのか、を問うたのに、分からない、とはどういうことなのか。


疑問を持ったが、老婆はいきなり饒舌になり、畳み掛けるように言う。


「さあ、質問には答えてやったんだ。何のお返しもないというんじゃないだろうね。そうだね、三つは少なくとも買っていってもらわないとね。」


そう足元に並べたガラス細工を指し示す。俺は遠征のために少なくない金額をもらっていたが、その商品は一つで一日分の食糧が賄えるほどの金額である。そこまでの浪費は許されてはいない。


しかし。


「さあ、早く選ぶがいいさ。」


老婆はまるで人が変わったように、尋常ではない剣幕で購入をけしかけてくる。面倒なので、そのまま立ち去ろうとしたが、何かに気付くと、いきなり服の裾を掴んできた。


「あんたみたいなけだものもどき、街の往来を歩くのは自殺行為ってもんだ。姿だけ見繕っても、魂までは隠せないさ。」


包帯をきつく巻いて隠した体表の毛が、一斉に逆立つのを感じた。しかし、表には出さないようにしてそのまま歩き出す。すると、待ちな、と言い、老婆は並べてあるうちの三つを掴むと、小さな皮袋に入れて袋の口を閉じるとこちらに差し出した。それを俺が受け取ると、そいつはやる、と老婆が苦々しい顔をして言った。


そのまま呆然と立ち尽くしていると、御代はいらないからさっさと持ってけ、と老婆は吐き捨てるように言う。そして去り際に、いきなり声の調子を落として、袋の口は開けてはならない、とささやいた。


暗い路地から光の当たる街路に出ると、あまりの眩しさに眩暈がした。片足を前に突き出し、何とか体勢を保つと、そこでようやく俺は気付いた。腰にさげた剣に右手を添えている。老婆に自らの正体を暴かれたことが、それほど恐ろしかったのか。狩人でもない、非力な老婆に、俺は無意識に刃を向けようとしていたのか。


「浅ましいことだ。魂まで冒されたか。」


これは、紛れもなく、怯えであろう。誰かに自らの正体を晒す事で、何らかの損害を受ける事を、俺が知っているからか。何にせよ、吐き捨てるべき感情だ。この街を見下ろしたときに感じた悪寒のような感覚は、まだ体の中に残ってはいる。何か、巨大な蛇のような呪いが、この白く染め抜かれた街にとぐろを巻いている。


白い壁は、太陽の光をいたずらに反射し目を眩ませる。歩いているだけでも、眼にかかる負担と、収束する太陽の熱に体力は奪われてゆく。


どこか休むところはないか、と見回しつつ歩いていると、いつの間にか、大通りの前に出ていた。その道幅の大きさは、大河の流れを思わせた。水源を領主の城とするならば、その大通りは上流の泉から山裾へ流れ出た水流が、平原にて川となり、そのまま海原へ流れ込むさまに酷似している。その対岸にはそれぞれあの寂れた通りには見ることのなかったさまざまな店が連なっている。


洋服の店、家具の店、薬売りの店、鍛冶屋。そして何より、そこには酒と料理を扱う店があった。中央と市は貨幣経済が発達しており、商品以外のものと貨幣を交換するということもよく行われている。しかし、中央都市から遠く離れているはずのこの海の街でも、そのような店が存在するとは思わなかった。村長の話によるとここ数年で急速に発展を遂げたという。


昼間だというのに、店の中は薄暗く、ガラスの中に炎を灯し、それをいくつも天井からぶら下げている。


店は奥が長く、代わりに横幅が、息が詰まるほど狭い。長テーブルが置かれ、間隔をあけて椅子が八脚だけ並べられている。


そのうち奥の四つの席はすでに先客によって占められており、俺はあえて先客から一席の間隔を空けて席に座る。すぐに店員らしき男がこちらに寄ってきて、手にした紙片を渡してきた。


鮭と料理の品目とその値段が書かれた表であった。俺は酒を飲む気はなかったが、喉が渇いていた。それに、ここで早めに腹を満たしておいた方がよいだろうと思い、パンと焼き魚、それと水を注文する。どれも有料であり、村で暮らしていたときと比べて値段がニ三倍に感じられて冷や汗が出る。


料金を先に払うと、そのまま待っているように言われる。中央都市では、このような時、料金の支払いはたいてい後に行われる。それは客がその店で何かを食べるという行為そのものも含めてその店の与える商品であるからだろう。この街では料金を先に払うのだろうか。だとすれば、この街は出された料理それ自体を商品として扱っていることになるのだろうか。そうして考えていると、不意に、横から声がかけられた。


見ると、声の主は、空いた席を一つ挟んだところから声を発している。白髪の浅黒い肌をした、まだ年若い少女であった。青い目をしている。白いシャツに灰色の長いスカートを穿いており、麻のサンダルを履いている。年は十七、八に見える。


「ねえ、あなた、どこから来たの」


初対面の、それもさっき見せに入ってきたばかりの男に、少女はなぜか朗らかな口調で声を投げかける。私は警戒している。ついさっきあの老婆と一二言言葉を交わしただけで正体を看破されたのだ。警戒を怠ってはならない。


少女は、応じない俺にかまわず話し始める。


「見たところ、あなた旅人でしょう。見ない顔つきだから。で、こんな街に何の用なの。」


またも無視を続けていると、運良くそこで頼んでいた料理が運ばれてきた。俺は、影欠けられる言葉の羅列に気をとられる事よりも、目の前の料理を早く平らげて、外に出る事を選んだ。パンは白い小麦を使っており、村で食べるパンより柔らかく、麦の甘みも強い。魚料理は白身魚の切り身を軽く焼いたものに柑橘系のようなどこか爽やかな匂いのするソースがかけられている。それらをあまり深く味わう事もせずに急ぎ足で食べる姿は、おかしく映るのだろうか、少女はこらえるようにして笑い始める。少女の後ろにも客は並んでいるはずなのだが、さっきから少女を諌める声はおろか、身じろぎ一つ聞こえない。奇妙に思ったが、この場所に長居すべきではないと、思考を揺り戻す。たとえそれが一見害のなさそうに見えたとしても、人間の多い場所で自らの素性をさらすわけにはいかないのだ。勘定を先に済ませておいたことが幸いしたようで、俺は食べ終えたと同時に席を立ち、店を後にしようとする。少女は俺が席を立とうとすると驚いたように声を上げて、脈絡もなくこう言った。


「旅人さん。まやかしに呑まれてはいけないわ。」


その言葉は、それまでの少女の口から出るものとは、全く異なった性質を感じた。突然、こちらが諌められたかのように感じて、実際、ここから一刻も早く出なければと急いでいた心は、その一言で湖面のような静寂に包まれた。驚きを隠せないまま振り返ると、目の前に座った少女はゆっくりと口元をゆがめる。


気をつけてね、ハインリヒ。そう、かすかに聞こえて、耳を疑った次の瞬間にはその少女の姿はどこにもなかった。代わりに、今まででく人形のように動かなかった奥の四人の客が、急に大声を出して語らい始める。呆然とした俺に向かって、店員の男が、注文の紙切れを差し出してくる。俺は、何かひどい不安に襲われて、その店を出た。


外に出ると、そこには人が、あるところで固まり、あるところで流れるように夥しく存在していた。店に入るその前までは、日光の光に翻弄されて見えなかっただけなのか、いや、そうではない。このようなざわめきは、俺は記憶していない。ただ、近代的な店が並ぶ事を確認し、その後料理の店を見つけたに過ぎなかった。あの店を出てから、まるで別の街に迷い込んでしまったかのようだ。いや、今までの認識が、間違っていたのか。喉の渇きが体感よりもひどく、そのせいで現実の認識を狂わせているのだろうか。眩暈がする。今までは現実だったのか、それとも今が現実なのか。認識していなければありえないほどの、言葉と、騒音を、俺はなかったことにしていたのだろうか。雷に打たれたように、頭痛が響く。何かがおかしいと、俺はどこか気付いている。しかし、それは陽炎のように、いまだ形を持たないまま思考を焦がす。何か忘れているような、そんな直感の後、外套の一部に火のような熱をこのとき初めて感じる。その場所を改めて目視すると、外套の裏につけられたポケットのうちの左側であった。その中に手を入れると、やはり焼けるように熱い。それでも結ばれた紐を頼りにそれを引き出す。それは、まさしくあの老婆から与えられた三つの石の入れられた小袋であった。茶色の毛皮の中から、三つの石のうち一つが、布越しに青く光っている。


「何だ、これは。」


誰に問うまでもなく、俺はそう呟いていた。

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