118 長い髪の毛

「あなたっ! この髪の毛は誰のなのっ!?」


 全く、めんどくさい事になった。


 嫁が俺のロングコートについていた髪の毛を発見したからだ。


 嫁のつまんだ指先から垂れる髪の毛を見る。四十センチはあるだろう。うねりのない綺麗なストレート。ライトブラウンに染まった艶のある長い髪の毛。誰が見ても若い女性のものと思うだろう。俺は若干首を傾げながら口を開いた。


「えーっと、誰の髪の毛かは分からないなぁ」

「はぁ? 分からない訳ないでしょう! どう見ても私の髪じゃないし。ねぇ、今日誰と会ってたの?」

「今日は会議だって言っただろう? ……あっ!」

「何? どうしたの?」

「部下の渡部美沙っているだろ? 何度かうちに来たやつだよ。そういえば会議に入る前にそいつにコートを預けたんだ」

「なんでコートなんか預けるのよ! 大体それ位で髪の毛なんか付くの!?」

 

 その後、なんだかんだ小一時間、嫁からのをのらりくらりとかわし続ける。どんな理由であれ納得したくない風の嫁だったが徐々に声のトーンを落としていった。疑わしきは罰せず。いくらなんでも髪の毛一本では証拠不十分だった。



 夕飯も食い終え、テレビを見ていた俺はタバコの箱を手に取った。中を覗く。タバコは残り一本。俺はタバコに火をつけ、洗い物をしている嫁に話しかけた。

「これ吸い終わったらちょっとタバコを買ってくるよ」

「今から? まったく……帰る前に買ってきなさいよ」嫁がちらりと時計を見る。不毛なバトルのせいで既に夜十時を回っていた。

「すぐ戻ってくるから」タバコの箱をくしゃりと潰し、ゴミ箱に捨てた。



 会社からの帰り道、俺はタバコをあえて買わなかった。夜、外に出る口実が欲しかったからだ。コンビニまでは車で五分程。俺は車のエンジンをかけた。そしてダッシュボードを開ける。絶対に見つかってはいけないもの――それは女物のカツラだった。思わず笑みがこぼれる。これが見つかれば嫁はどう思うだろうか。嫁は浮気を疑っているようだが、そんなものじゃない。これは俺の趣味だ。


 嫁の目の届かない時間は十分強。たったそれだけの時間だけでもいい。何もできなくてもいい。今日はただ、この綺麗な髪の毛を体で感じたかったのだ。俺はカツラを被り、バックミラーを見た。髪は車内灯でぼうと照らされ、淡く艶めいていた。髪を指でとかす。するりとぬける指に興奮を覚える。

 はっとし、スマホの画面をちらりと見る。あんま遅くなっては疑われてしまうな――俺はコンビニへと車を走らせた。


 さあて、次は誰でカツラを作ろうか。

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