110 飾り炭

 今日は仕事が休みなので友人の元へ足を運んでいた。友人を祝う為だった。



 友人の開いた個展は盛況だった。美術系の大学の同期である友人は、早々とサラリーマンの道を歩み始めた私とは違いひたすら芸術の道を突き進んでいた。鳴かず飛ばずの二十代を過ごしていたようだが、ひたすら己を鍛治研磨した結果ここ数年で世間にも認められるようになってきた。友人が初めて個展を開くと聞いた時、私は自分の事のように喜んだ。両親が事故で他界し、親戚の借金を肩代わりし、遂には奥さんにも逃げられてしまった友人だが、ここから先の人生大いに花開く事だろう。


 作品を見ていると後ろから声をかけられた。

「おー、来てくれたのか」振り向くと見知らぬ男が立っていた。顔をよく見て気付いた。友人だ。いつもはよれよれの服に無精ひげを蓄えているのだが、スーツで身を固めひげも綺麗にそり落としていた。

「何だ、お前か。スーツ姿で分からなかったよ」

「俺は着慣れてないからなぁ」友人はにいと黄ばんだ歯を見せる。

「個展、おめでとう」久しぶりの再会に握手を交わす。

「ありがとう。いやあ、ここまで来るのに本当に苦労したよ」笑顔を浮かべる友人は綺麗にひげを剃ったあご先を左手で撫で回している。

「お前は本当に苦労人だもんなぁ。でも長年の夢が形になってきたな」

「まだまだスタートラインに立ったばかりだよ。それよりも俺の作品をじっくりと見てってくれよ。買ってくれたっていいんだぞ?」そう言うと友人は私の肩をポンポンと叩きどこかへ行ってしまった。


 友人の作品は炭を使っているのが特徴だ。ワークショップなどで見かける、植物類などをそのまま炭化させた通称『飾り炭』と言われる炭と、にかわと炭を混ぜた塗料で表面を塗り固めた等身大の人物像を組み合わせた作品がほとんどである。ある像は突き上げた右手にリンゴを乗せ、ある像は片足を組むその脇に草花や木の実を添えている。躍動感あふれる全身像に静物の対比が素晴らしい。それを彩るのは炭が持つ深い黒一色のみ。凹凸やライトの光彩で色づく黒は見る角度によって表情を変え、作品に息吹を与えていた。


 一人作品を見ていた私は、ある作品の前で立ち止まった。その像は裸の女性で、何かを包むように胸の前に両手を合わせている。周りを見るが飾り炭がない作品はこれだけだった。それよりも――私はその像の顔や体をじっくりと見渡した。


「どうだ? そっくりだろう?」背後から話しかけてきた友人に慌てて振り向き問いかけた。

「……これは、お前の奥さんがモデルだな?」

「いなくなったから『元』が付くけどな」友人はにいと笑った。その笑顔に寒気を覚えた私は視線を外し作品の方に向き直した。細部までよく観察してみるが、とても作ったものとは思えない。プルンとした艶やかな唇や細く引き締まったウエストのライン――奥さんをというよりは奥さんであった。

「……本当にお前が作ったのか?」

「何言ってんだ? ……ああ、もしかしてこれ自体が『飾り炭』だとか思ってんのか?」友人の乾いた声に私は声が出せなくなっていた。無言を肯定と捉えたのか、友人も黙って私を見ていた。


 数秒の沈黙の後、友人が豪快に笑いだす。

「がはははー、お前冗談きついぜ。人間を飾り炭にする程大きい設備なんかもってねぇよ。それにな……」突然友人は作品の足先を引っ掻き始めた。止めようとするが、ものの数秒程で中の石膏が見え始め白い筋が出来る。友人は黒くなった指先でその白い筋を指した。

「ほらよ、中は石膏だぜ」友人は楽しげに指先を振り回している。

「俺はなぁ、あいつと十年連れ添ったんだ。それにこの作品は完成まで三年はかけた。細部までそっくりなのは当たり前だろ」

「……何でこの作品だけ人物像だけなんだ?」

「ん~いい具合に与えられるもんがなかったんだよなぁ」友人はわざとらしく腕を組み首を傾げて見せた。

「それよりも、お前明日は休みだろう? 俺の工房に来ねぇか? 祝い酒をあげようぜ!」

 友人と約束した私は会社へと戻った。



 そして私は先程、殺された。既に首は切り離されている。体は最終的に粉末の炭となり友人の奥さんと同様膠に混ぜられ塗料になるようだ。友人が鼻歌混じりに私の顔を撫でる。

「お前ら、仲良かったみたいだからな。一緒がいいよなぁ」

 友人が私の顔をペール缶に投げ入れる。蓋を閉められたので、暗い。缶の外で友人の声がする。

「顔も一緒に飾ってあげるからなぁ」友人が火をくべる。


 そして友人の作品は完成するのだった。

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