第6章 人体実験メイドメイデン 第5話『鏡』
「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのはだぁれ?」
ホーリィは教会の長椅子に横たわったまま、尋ねた。
彼女の前には二人の信者に支えられている大きな姿見があり、磨き抜かれた鏡面にその美しく妖艶な姿が映し出されていた。
「それは貴方です、シスターホーリィ」
ホーリィの質問に対し、姿見を支えている二人の信者が口を揃えて答える。
その信者の答えに、ホーリィは薄く笑みを浮かべると、
「違うわ」
と、二人の首を切るように指をスッと横へ動かした。
次の瞬間、二人の信者の首が飛び、真っ赤な血飛沫を上げながら地面へ転がった。支える力を失った姿見は二人の体と共に後ろへ倒れ、粉々に砕けた。
周囲の信者達は突然の惨劇に動じることなく、二人の遺体と砕けた姿見を淡々と片付けていく。
「世界で一番美しいのはハイネよ。私の親友、私の最も愛する人。そして……私が世界で一番、殺したい人」
ホーリィは飛び散った鏡の一欠片を手に取り、恍惚とした笑みを浮かべた。
同じ頃、授業を終えたオリヴィエはトイレの洗面所の鏡の前で真っ赤な口紅を塗っていた。
慣れた手つきで上唇から下唇へ口紅を塗り、唇と唇を何度も合わせて色を馴染ませる。準備が整うと、鏡に映った自分に微笑み、囁いた。
「大丈夫よ、オリヴィエ。とても綺麗だわ。きっとホーリィも気に入るはずよ。自信を持って」
最後に、胸ポケットに仕舞っていた指輪と黒百合のロザリオを身につけると、ホーリィが待つ教会へと向かった。
その夜も大勢の信者達が教会へ集まっていた。長椅子に座りきれない信者は床に座ったり、長椅子に座っている信者の膝の上に腰を下ろしたりしている。
皆、これから始まるミサに興奮を抑え切れていない様子だった。祭壇の前にホーリィが立つと、割れんばかりの拍手を送った。
「みなさん、こんばんは。ようこそ、聖女倶楽部のミサへ。今宵も新たに仲間が増えました。こちらへどうぞ」
ホーリィに促され、最前列の長椅子に座っていたオリヴィエが立ち上がる。
信者達は新たに加わった"同志"に色めきたった。
「あら。彼女、理科学倶楽部の方じゃない?」
「オリーブ色の髪が美しいわ。口紅も真っ赤で、大人っぽい」
「ずっと聖女倶楽部に入るのを拒んでいたのでしょう? やっとシスターの素晴らしさに気づいたのね」
「何もかも丁度いい大きさだわ。これから育てていくのが楽しみ」
ホーリィもオリヴィエの加入を心から歓迎しているようで、彼女の頭の先から足の先まで、舐めるように凝視した。
「ようこそ、オリヴィエ。新たな私の天使ちゃん。聖女倶楽部に入ってくれてとても嬉しいわ」
「こちらこそ光栄です、シスターホーリィ。この日が来るのを心待ちにしておりました」
オリヴィエは制服のスカートのすそをつまみ、恭しくお辞儀する。
その丸みを帯びた頭を見て、ホーリィはパラケルススの最後の手駒であるオリヴィエを我が物にしたと実感した。
「では、今夜のミサに参加する前に、身体検査をさせてもらうわね。貴方を疑っているわけじゃないけど、危険な物を持ち込まれると、ミサの妨げになってしまうから。ついでに、貴方がどんな体をしているのか確認しておきたいし」
「もちろん、喜んで」
オリヴィエは言われるがまま、服を一枚一枚脱いでいった。大勢の信者達の熱っぽい視線を浴びせられる中、顔色も変えず平然と脱いでいく。
最後にフリルのついた黒い上下の下着を脱ぎ、指輪を残して一糸纏わぬ姿になると、同じように修道服を脱ぎ捨てたホーリィが抱きついてきた。そのままホーリィはオリヴィエの真っ赤に塗られた唇にむしゃぶりつき、蛇のように舌を動かして口紅を舐め取った。
「オリヴィエ。貴方には真っ赤な口紅は早過ぎるわ。もっと少女らしい、色の薄い口紅の方が似合うんじゃない?」
「そうでしょうか? 私は早く大人になりたいと思っているのですが」
「いいのよ、このままでいて。純粋無垢のまま、私の色に染まって頂戴」
「……それは、」
オリヴィエはホーリィの背中へ腕を回し、彼女の首の裏へ指輪の針を突き立てた。
「んむっ?!」
ホーリィは痛みに気づき、オリヴィエを突き放す。
しかし既に薬は体内へ打ち込まれ、ホーリィの全身から真っ黒な鳥の羽根が生えてきていた。同時に、頭が割れるように痛み、思考がコントロール出来なくなっていく。
「な、何よこれ!」
「天使薬よ。貴方がなりたがっていた天使になれる薬。もっとも、生きた人間が摂取すると、一分も経たない内に死んでしまうのだけど」
「オリヴィエ……貴方、私を騙したのね?! 昨夜、あんなに誘惑しておいて! ハイネもハイネよ! 自分の手は汚さず、生徒にこんな役割を押し付けるなんて、最低の教師だわ!」
「それはどうも」
オリヴィエは素っ気なく返し、ホーリィの修道服で口紅を拭った。
するとオリヴィエの体が徐々に変化し、パラケルススへと変わっていった。否、戻っていった。
「う、嘘……」
「嘘じゃない。姿を変える薬を口紅に練り込んでいたんだ。己の手で、お前を殺すために」
パラケルススはスカートにポケットから手鏡を取り出し、ホーリィに見せた。
そこには変わり果てたホーリィの姿が映っていた。全身が真っ黒な羽根に覆われ、禍々しい悪魔のような姿に成り果てていた。信者達も彼女の姿を見て正気を取り戻し、怯えていた。
「天使様が、悪魔に堕ちてしまわれた!」
「なんと恐ろしい……」
「あのお美しいお姿は、嘘だったというの?!」
「ここにいたら、私達まで悪魔にされてしまうわ!」
怯えた信者達の顔、顔、顔……誰もがホーリィを恐れていた。
ホーリィは彼女達の表情を見回すと、特に嫌悪感を露わにしていたターニャへ襲いかかった。
強靭な牙で彼女の唇へ喰らいつき、血肉を啜る。ホーリィがターニャを解放する頃には、彼女の顔の下半分は失われていた。
「いやぁぁぁッ!」
「早く扉を開けて!」
「誰かー!」
ターニャが襲われた瞬間、教会には信者の悲鳴がこだまし、皆一斉に扉へ走った。しかしホーリィの魔法で扉は開かず、いくら押しても閉ざされたままだった。
パラケルススはホーリィがターニャを襲っている間に懺悔室へ駆け込み、身を隠した。
「ハイネ……何処へ行ったの?」
ホーリィはパラケルススが信者達の中に紛れ込んでいると思い込み、それらしい信者を捕まえては、喰らいついていく。
チェルシー、ツァラ、テレサ……かつて彼女を心の底から妄執していた者達が次々に殺されていった。そして、ホーリィが息絶える頃には、半数以上の生徒が死んでいた。
パラケルススは外の様子を窺い、懺悔室から出ると、ホーリィの首筋に手を当て、死んでいるのを確認した。
「……ホーリィ。やはり、私は最後まで君のことを恋愛的な意味では好きになれなかったよ」
警察の目を誤魔化すため、ホーリィの全身に生えた羽根をむしった。
その間もパラケルススの表情は変わらなかったが、次第に涙があふれ、頬を伝った。
「でも、嫌いにもなれなかった。あとほんの少し、私の心が君と近ければ、私達は合わせ鏡のようになれたのかもしれないな」
パラケルススはホーリィの青白い頬を撫でると、もう一方の頬に軽くキスをした。
ホーリィの死と共に、学園にかけられていた呪いは全て消えた。
教会での事件を皮切りに、過去の大量虐殺事件、パラケルススの手による殺人行為、それらを隠蔽していた学院の悪事が全て明るみになり、事件に関わっていた関係者は全員逮捕された。
パラケルススの過去の殺人は大量虐殺の一貫として処理できないことはなかったが、「ケジメだから」とパラケルスス自ら罪を認め、学院を去った。
生き残った聖女倶楽部の生徒達は親に退学ないし編入させられ、皆いなくなった。
黒百合女学院の評判は完全に地に落ち、閉校も免れないほどだった。
オリヴィエは変化薬の口紅を塗り、パラケルススに変化すると、鏡に向かって問いかけた。
「……先生、全部終わったらデートしてくれるって言ったじゃないですか」
自分の問いに、声色を変えて返した。
「そうだな」
「私、てっきりホーリィを殺したらデート出来ると思ってたのに、こんなのあんまりです。先生が刑務所を出る頃には、私はヨボヨボのお婆ちゃんになっているかもしれません。もしかしたら、お互い幽霊になっているかも」
「どんな君も素敵だよ」
「キャーッ! 先生、大好き!」
オリヴィエは嬉しそうに自分で自分を抱きしめる。
すると「部長」と背後から声をかけられた。
「何をしてるんです? 会議、始まりますよ?」
「あっ、ごっめーん! 今行くから、もうちょい待たせててぇ」
オリヴィエは口紅を完全に拭い、元の姿に戻ると、ドアを開け、理科室に集まっている新たな理科学倶楽部の生徒達の前へ現れた。
「ご機嫌よう、皆さん! 今日も楽しく健全に、倶楽部活動しましょうね」
生徒に混じって参加している新たな顧問の目を誤魔化すべく、健全な倶楽部活動であるかのように演じる。
しかし内心では、真逆のことを目論んでいた。
(さーて……あの顧問、どうやって追放してやろうかしら?)
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