第6章 人体実験メイドメイデン 第3話『破壊』

「人間への投与実験は成功しました。あとはである彼女への投与実験を残すのみです。指輪型注射器も、何ら怪しまれることなく使用することが出来ました。本番ではご要望通り、ダイヤの指輪を用意しておきます」

「ご苦労。引き続き、最終投与実験を進めてくれ」

 指示通り、そつなく実験を済ませるオリヴィエに、パラケルススは労いの言葉をかける。

 するとオリヴィエは「そのことなんですけどぉ」と言いにくそうに頼んできた。

「新しく、天使薬の瓶を分けて頂けないでしょうか? 少々アクシデントがありまして、残りの実験分の天使薬を紛失してしまったんですぅ。誠に申し訳ありません」

「何? 紛失した天使薬は回収したのか?」

「それが、回収不可能でして……でも、絶対に他人には使われないので、安心して下さい! 原型も留めてないですし!」

 パラケルススは険しい表情をしながらも、鍵のかかった引き出しから新たな天使薬の瓶を取り出し、オリヴィエに差し出した。

「実験が出来ないのでは面倒だ。持っていけ」

「わーい、ありがとうございます!」

「今後はこのようなことがないように」

「はぁい」

 オリヴィエは新しく天使薬を受け取ると、意気揚々と理科準備室を出て行った。


 オリヴィエは学校から屋敷に帰って来ると、真っ先に本棚の裏に作った隠し部屋へ向かった。

「ただいまー! トパーズちゃん、いい子にしてまちたかー?」

 オリヴィエの自室がシックなデザインなのに対し、隠し部屋は過剰なほどガーリーな上、ピンクに染められていた。

 壁紙も床もピンク、天蓋つきのダブルベッドもピンク、そこら中に置かれた巨大なぬいぐるみもピンク……そして、部屋に監禁されているトパーズのドレスもピンクだった。

「……」

 トパーズは部屋に置かれている巨大なぬいぐるみ達と同じように、足を投げ出した姿勢で、部屋の真ん中に座っていた。オリヴィエが最後に彼女を見た時と全く同じ場所、同じ姿勢だ。

 顔には生気がなく無表情で、目の焦点が合っていない。まるでぬいぐるみ達のように、この部屋に住む玩具の一つになったようだった。

「もー、返事くらいしてよー! 面白くなーい」

 ぶーぶーと文句を言うオリヴィエに、背後で控えていたニコラが「仕方ないっすよ」と自身の髪の毛を指先で弄りながら、言った。

「お嬢様が虐め過ぎて、心が壊れちまったんですから。前いた奴も、一週間も経たない内に壊しましたよね? 口止め料くれるんで、あんま言いたくないですけど、そいつらの残骸をすんの、大変なんですからね?」

「分かってるわよぅ。いつも親と警察に見つからないようにしてくれて、ありがと。お礼は体で払ってあげるわ」

「いらねっす。金下さい」

「ひっどーい! ニコラのイジワルー!」

 オリヴィエは憤慨し、ニコラの頬を引っ張る。

 ニコラは「いひゃいんですけどー」と文句を言いながらも、オリヴィエに逆らうことなく、離されるまで待った。


 ニコラは孤児だった。食べる物も、住む場所もなく、街を徘徊して暮らしていた。

 そんな彼女の前に、幼き日のオリヴィエが現れた。オリヴィエはニコラを見てニッコリ笑うと、汚れ一つない綺麗な手を差し伸べた。

「仕事サボっていいから、うちで働かない? 私の小間使いになって欲しいの」

「……サボっていいけど働けって、なんか矛盾してない?」

「矛盾してないわ。だって貴方の仕事は使用人としての仕事じゃなくて、私の言うことを聞くことだもの。もちろん、言うことを聞いてくれたら、ボーナスを出すわ」

 ニコラは十分過ぎるほど整った環境と金に釣られ、オリヴィエの使用人になることを承諾した。

 それからはオリヴィエの言うことをよく聞き、彼女の命じた仕事を淡々とこなしていった。オリヴィエがサイコパスまがいの犯罪者であることは重々承知していたが、一切口外しなかった。

 ニコラは使用人としては最悪だったが、オリヴィエの小間使いとしては優秀だった。

 だから……ニコラが何もかもを捨ててまで、全てを破壊しようとするなど、オリヴィエには予想がつかなかった。


「……いい? それ以上近づいたら、こいつを橋で叩き割るから」

 深夜、オリヴィエはパジャマ姿のまま、ノルン橋でニコラと対峙していた。例の噂のおかげで、他に人はいない。

 ニコラはオリヴィエの部屋からくすねてきた天使薬の瓶を片手に持ち、後ずさる。その背中には監禁されていたトパーズが背負われていた。

「いつからだったの? ニコラがトパーズを好きになったのは」

 オリヴィエは指示通り、その場に留まる。

 ニコラは「最初にトパーズと会った時からだ」と答えた。

「最初って……私がこの屋敷にトパーズを連れて来た時? それとも、貴方を連れ立って監禁部屋に入った時かしら?」

「それよりずっと前だよ。私は、まだ正気だった頃のトパーズと会っていたんだ」

 ニコラはオリヴィエの一挙手一投足を監視しつつ、後ずさりながら橋を進んだ。

「あれはまだ、私が孤児だった頃……家出してきたトパーズが路地裏で途方に暮れていたのを、私が保護した。トパーズは見たこともない鮮やかなオレンジ色の髪をした子供で、彼女の泣き顔を見た瞬間、心奪われた」

「保護って、ニコラも子供だったじゃない」

「あぁ、子供だったさ。それでも私はトパーズの境遇を聞いて、このまま屋敷に返してはいけないと思った。トパーズが望むのなら、いつまでだって家出に付き合う、と。トパーズも私と同じように、大人の手を借りずに生きたがっていたよ。でも、次の日の朝に体調が悪くなって、トパーズを屋敷に帰さざるを得なかった」

 ニコラは悔しそうに言う。本当なら、そのままトパーズと共に生きたかったのだろう。

 今まで見たことのないニコラの表情に、オリヴィエは嫉妬し「で?」と話を急かした。

「やっと再会したと思ったら、私が玩具にしてたもんだから、気に食わなかったわけね? だったら、そう言ってくれれば良かったじゃない。そんなにトパーズが欲しいなら、プレゼントしてあげたのに」

「……トパーズを目にした瞬間、分かったんだよ。アタシもお嬢様に壊されてたって」

 ニコラは苦しそうに顔を歪ませ、答えた。

「今まで『金が貰えるから』って、何でもやってきた! それは孤児の頃から変わらなかったけど、あの頃は金が貰えるからって、殺しに加担したり、殺しよりも酷い仕打ちを与えたりなんかしなかった! それが人として最低なことだって、分かっていたから! でも、お嬢様の下についてから、アタシは変わっちまったんだ! 相手を壊すたびに、アタシの心も破壊されちまってたんだよ!」

 ニコラは自身の心の変化を嘆き、悲しむ。

 物心ついた時から壊れていたオリヴィエには理解できない感覚だったが、涙を流し、苦しむニコラの姿を見るのは、耐えがたかった。

「トパーズが屋敷に来た時、アタシはそのことに気づいちまった。もう今までのように、お嬢様の言うことは聞けない。でも、アンタはアタシを解放する気なんてないだろう? だってアタシは、アンタに都合の悪いことを沢山知ってるんだから」

「……だから、その薬を人質に逃げるつもりなのね? このノルン橋を渡れば、すぐ駅だから」

「そうさ。仮眠中の運転手を脅せば、すぐに走らせられる。あとはそのまま国境を渡って、亡命でもするさ」

「……そう」

 オリヴィエは悲しげに目を伏せた。

 ニコラとトパーズの心を破壊したのは、自分。つまりはニコラとの生活を破壊したのも、自分だ。

 ニコラとトパーズのことを想うなら、このまま行かせてやるのが償いだろう。しかしオリヴィエは今、立ち止まるわけにはいかなかった。

「……ごめんなさい、ニコラ。私、貴方達を逃すわけにはいかないの」

 オリヴィエは何気ない仕草に見えるよう、コンと靴のつま先で橋を叩いた。

 その直後、轟音と共にノルン橋が爆散した。橋の上にいたニコラとトパーズは爆発に巻き込まれ、一瞬で姿が見えなくなる。

 一方、オリヴィエは近くにあった雑居ビルの裏に身を投じ、難を逃れていた。そこにはオリヴィエがニコラの他に雇っていた「小間使い」のメイドがいた。

「指示通り、対象AとBのいた橋の半分に爆弾を仕掛け、遠隔で爆破させました。対岸に控えているメイドからの連絡によれば、対象達は岸を渡り切れなかったそうです」

「ご苦労様。このまま二人の遺体を探して。絶対に川には入らないでね」

「仰せの通りに」

 オリヴィエはメイドと別れると、通りに待たせていた車に乗り、屋敷へ戻った。


 翌朝、ノルン橋が何者かによって爆破されたと大々的に報じられた。

 例の噂のおかげか、死傷者は。その日のうちに橋が再建されることが決まった。

「ノルン橋の爆破……あれは、君の仕業か?」

 放課後、パラケルススは理科準備室へ報告に訪れたオリヴィエに尋ねた。

「さぁ? 私、その時間は眠っていましたので」

 オリヴィエは泣き腫らした目で笑い、「人間への投与実験は成功しました」と報告を始めた。

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