第6章 人体実験メイドメイデン 第1話『橋』
「学院の呪いを解くには、ホーリィを殺すしかない。そのための方法は既に考えてある。実際に殺せるかどうか、君に実証実験を頼みたい。それから、確実にホーリィに接種させる方法も、一緒に考えてくれないか?」
「了解です! お任せあれー」
オリヴィエはパラケルススの指示を受け入れ、天使薬の薬液が入った瓶を受け取った。
人を殺すことなど、オリヴィエにとっては何の抵抗もないことだった。
ナターシャが仕えているお屋敷には、愛らしいお嬢さんがいた。
名前はオリヴィエ。オリーブ色の髪が印象的な少女だ。
文武両道、なんでも卒なくこなし、メイドのナターシャにも優しい、非の打ち所がない素敵なお嬢さんだった。
年齢はナターシャの方が一回り上だったが、オリヴィエは休日にいつもナターシャをお茶に誘い、同級生のように楽しくお喋りした。まるで女学生の頃に戻ったかのような、充実した時間に、ナターシャは癒されていた。
その日もオリヴィエに誘われ、庭でお茶会をした。本来は、一介のメイドが屋敷の庭で主人の娘とお茶を飲むなど、到底許されるはずがなかったが、オリヴィエの強い希望とあり、黙認されていた。
「ナターシャがうちに来て、もうすぐ一年ね。どう? 他のメイド達とは慣れた?」
「えぇ、まぁ」
ナターシャはぎこちなく笑う。
日頃からオリヴィエに贔屓されている彼女は他のメイド達からやっかみを買われ、妬まれていた。
特に、古株のニコラからは何かと仕事を押し付けられ、徹夜での作業を強いられることもある。仕事で失敗などしようものなら、「その程度も出来ないの?」と嘲笑われた。
オリヴィエもニコラがどんなメイドなのかよく知っており、「またニコラね?」とため息をついた。
「き、きっとニコラは、私に仕事に慣れてもらおうとしているんですよ。おかげで、ここに来たばかりの頃とは比べ物にならないほど、早く作業をこなせるになりました」
「そんなわけないでしょ。あの子は、ただ貴方を妬んでるだけ。そして可能な限り、怠けたいと思っているの。貴方が来る前も、ニコラのせいで、若くて優秀なメイドが何人も辞めて行っちゃったんだから。それより、」
オリヴィエはチラッ、とナターシャの左手薬指にハマっている物を見、指差した。
「それ、何?」
口角をわずかに上げ、微笑む。
口は笑っているが、目は全く笑っていない。何処までも続く闇が、今にもナターシャを飲み込まんと、隙を窺っているかのようだった。
ナターシャはオリヴィエのその表情を見て、背筋がゾワリとした。あんなに愛らしく思っているはずのオリヴィエが、悪魔のように感じた。
(どうして……? 今までオリヴィエお嬢様のあんな顔、見たことがないわ。きっと、私がこの指輪について説明していないことにお怒りになっているのね)
ナターシャはオリヴィエの怒りを鎮めようと、指輪について話した。
「婚約指輪ですよ、お嬢様。昨年からお付き合いしていた恋人に、ノルン橋の上でプロポーズされたんです」
「……その恋人は、男性?」
「もちろんです。お嬢様もいつか、素敵な殿方が現れるといいですね」
ナターシャは幸せそうに微笑み、オリヴィエを応援する。
しかし直後、オリヴィエは力強く拳をテーブルへ叩きつけ、怒りを露わにした。
カップが揺れ、中に注がれていた紅茶がこぼれる。真っ白だったシーツに、茶色いシミが滲んだ。
「……私は男の花嫁なんかにならないわ。そして貴方も、醜い男の花嫁なんかにはさせない。絶対に」
オリヴィエはパラケルススからもらった薬瓶を取り出すと、「ニコラ!」とメイドを呼んだ。
すると家の中から気怠そうにニコラが現れ、二人の元へと歩み寄ってきた。昼寝をしていたのか、大きく口を開け、欠伸をした。
「何すか、お嬢様」
「ナターシャを抑えていなさい。この子を新たな実験体にするわ」
「またですか? ボーナスははずむんでしょうね?」
「ちゃんと仕事すればね」
「よっしゃ」
ニコラはナターシャを後ろに立つなり、逃げようと立ち上がった彼女を羽交い締めにした。
手つきが、明らかに慣れている。ナターシャが知らなかっただけで、今までも幾度となくこういうことをしてきたのだろう。
オリヴィエはニコラがナターシャを拘束すると、テーブルの上に乗り、食器類を蹴散らしながらナターシャの前にしゃがんだ。片手で思い切りナターシャの頬をつかみ、口を無理矢理開けさせる。そこへ例の薬瓶の中身を注ぎ入れた。
「ガホガホッ!」
「はーい、こぼさないでちゃんと飲んでねー」
ナターシャは薬液にむせ、溺れそうになる。嫌な苦味と、それを隠そうとする妙な甘みに、体が「飲んではいけない」と拒絶しようとする。
しかしオリヴィエに薬瓶ごと口に突っ込まれ、吐き出せなかった。
気がつくと、ナターシャはノルン橋の欄干に後ろ手でくくりつけられていた。
ノルン橋は白い石畳の小さな橋で、「ここでプロポーズしたカップルは、永遠に幸せになれる」という言い伝えがあった。ナターシャの恋人もそのジンクスにあやかって、ここでプロポーズをしてくれたのだ。
日が落ち、薄暗い。そろそろ恋人達が集まってくる時間帯だったが、ナターシャとオリヴィエ以外に人の姿はなかった。
橋に等間隔に設置された、レトロなデザインの街灯が、変わり果てたナターシャの姿を照らし出す。それを見て、ナターシャは青ざめた。
「ひっ、何これ……!」
ナターシャは全身ピンク色の羽根に覆われていた。メイド服はビリビリに引き裂かれ、服としての機能を失っている。羽根はまだ生えきっていないのか、全身がムズムズした。
背中に生えた翼は、あらかじめオリヴィエによって引きちぎられていた。
「うーん……やっぱり直接血管に打った方が即効性があるわね。その上、飲みやすいように足した水飴のせいで、さらに薬が効く時間が遅くなってる。こっそり飲ませよう作戦はやめといた方がいいかも」
その張本人であるオリヴィエは、ナターシャの前に立ち、不満そうにぶつぶつと呟いている。
ナターシャにはオリヴィエが何のことを言っているのか分からなかった。
「お嬢様! どうしてこんなことをなさるんです?! 何か失態をしてしまったのでしょうか?!」
「いいえ、何も」
オリヴィエはナターシャから奪った指輪を目の前にかざし、穴の中からナターシャを覗き見る。
「貴方は何もしていない。ただ、私がずっと目をつけていた女を、全く知らない男に奪われるのが許せなかっただけ。そしてちょうど、実験に使うモルモットが何匹か欲しかっただけ」
その指輪を見た瞬間、ナターシャの頭の中は、オリヴィエへの忠誠心よりも「指輪を取り返さなくては」という思考の方が勝った。
何事においてもオリヴィエを優先させるナターシャにとっては、あるまじき行動だった。
「返して下さい! お願い、返して!」
欄干とナターシャとを結びつけている鎖がガチャガチャと音を立てる。
オリヴィエは「どーしよっかなー」と指輪を唇に当てると、ダイヤの部分をベロッと舐めた。その瞬間、ナターシャの中で何かがブツッと切れた。
「返せって言ってるでしょ?! いくらご主人様のお嬢さんだからって、何でも許されると思ってんの?! 今まで這いつくばって生きてきた私が、やっと人並みの人生を手に入れられるのよ! アンタのせいで婚約がダメになったら、お父様に慰謝料を出してもらいますからね! もちろん、今回のこととは別に! せっかくだから、代わりの婚約者を紹介してもらおうかしら。いるでしょ? 金持ちで、イケメンな……」
「時間だわ」
オリヴィエは腕時計を見て、告げた。
するとそれまで饒舌に喋っていたナターシャがビクンッ! と痙攣したかと思うと、糸が切れた人形のようにクタっと全身から力が抜け、項垂れた。
「一時間かー。もっと改良が必要ね」
オリヴィエはナターシャの全身の羽根を刈り取り、橋の下に流れる川へ捨てた。ピンク色の羽根が、闇の中へと消えていく。
こうすれば、ナターシャは追い剥ぎに遭った被害者にしか見えない。天使薬について、警察に知られるわけにはいかないのだ。
「さようなら、ナターシャ。男に奪われた女を好き勝手に手込めにするのも、なかなか楽しかったわ。これは貴方に返しておくわね」
オリヴィエは婚約指輪をナターシャの体に返すと、入口に置いていた「通行止め」の標識を回収し、スキップをしながら帰っていった。
橋が通れるようになってから数分後、ナターシャは通行人によって発見された。
警察が来るまでの間、集まった大勢の人々の見せ物にされ、駆けつけた記者達に写真を撮られた。
その写真は翌日の朝刊を飾った。ナターシャの婚約者だった男は、その記事を見て強いショックを受け、息を引き取った。
ナターシャの事件がきっかけに、ノルン橋は
「ここでプロポーズをすれば、永遠に幸せになれる」
という噂から、
「ここでプロポーズをされた女は、翌日に橋の上であられもない死体となって発見される」
という不幸な噂へと変わってしまった。
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