第2章 金糸雀幽閉リモデリング 第6話『壁』
「……こんなはずじゃなかったのに」
クララは冷たい剥き出しのコンクリートの壁に触れた。
部屋には窓も、ドアもない。あるのは鉄格子だけ。
「こんなはずじゃ……なかったのに」
クララは失意と後悔に押しつぶされながら、あの日の朝を思い出した。
その日もクララはキャロラインと共に登校していた。
キャロラインはなんとか復学できたものの、カナリアへの恐怖からか一人で外へ出ることを恐れていた。クララは彼女のために毎朝迎えに行き、帰宅するまで一日中そばにいた。
「ねぇ、クララ。ちょっとお願いがあるんだけど、いい?」
キャロラインはクララの手を握ったまま、顔を赤らめて尋ねた。瞳がうるみ、明らかに恋をしている乙女の顔をしていた。
「なぁに? キャロライン」
クララは努めて、いつものように聞き返す。キャロラインの表情の意味には気づいていたが、あえて察していないフリをした。
キャロラインはしばらくモジモジとした後、クララに打ち明けた。
「私と……付き合ってくれない? 本当じゃなくてもいいから。友達とは違う、特別な絆が欲しいの」
「……いいよ」
クララは少し悩んだように見せかけ、頷いた。あくまでもキャロライン自ら、クララと親密になりたがったように見せかけたかった。
途端に、キャロラインは花が咲いたようにパッと満面の笑みを浮かべた。
「本当?!」
「えぇ。私もキャロラインとは特別な関係になりたいと思っていたの。とても嬉しいわ」
「まぁ……! 私達、相思相愛だったのね! それならもっと早く言っていれば良かったわ」
キャロラインは顔をサクラ色に染め、照れる。本当に花のように美しい子だな、とクララは思った。
「ねぇ、キャロライン。恋人になった記念に、キスしましょうよ」
「ふぇっ?!」
突然のクララの提案に、キャロラインは顔を真っ赤にして驚く。今度はチューリップのように見えた。
「で、でも、他の人が見てるかもしれないし……」
「大丈夫よ。路地裏なら、誰もいないわ。見られたって、堂々としていればいいのよ」
クララはキャロラインを路地裏へ連れ込み、彼女の唇に自身の唇を重ねた。クララの方が背が低いため、かかとを上げて、背伸びをした。
キスをしている間、キャロラインとクララ以外のあらゆるものが、二人の意識から消え去った。二人には、互いの存在しか見えていなかった。
唇が離れると、キャロラインは恥ずかしそうに両手で顔を隠した。
「うぅ……クララとキスしたの初めてだったから、すごい緊張した。私、変じゃなかった?」
「えぇ。すごく良かったわ」
クララはキャロラインの両手を顔から剥がし、再度彼女の唇にキスをした。唇の隙間から舌を入れ、キャロラインの舌とからめる。
「ふ、ふぁっ……」
初めて体験する感覚に、キャロラインは失神寸前だった。目をとろんとさせ、されるがままに受け入れる。
クララは慣れた舌使いで、キャロラインとのキスを続けた。
(キャロライン……貴方は知らないでしょうけど、私が貴方とキスをしたのは初めてじゃないのよ。貴方が寝ている間に、何十、何百回と、キスをしてきたんだから)
クララは不眠症のキャロラインのため、何度か彼女の家に泊まりに行っていた。その際、寝ているキャロラインにキスし続けていたのだ。
クララにとって、キャロラインの初めてのキスをカナリアに奪われたことは、消し去りたい汚点だった。しかし、何度後悔したところで、キャロラインのファーストキスが手に入れられるわけではない。
だから、何度もキスをした。キャロラインの唇がカナリアを忘れられるよう、クララ自身がキャロラインとカナリアがキスをしたあの夜を忘れられるよう、繰り返し、繰り返し……。
クララの手がキャロラインの服へ伸びたその時、どこからか翼が羽ばたく音が聞こえた気がした。
(カナリア……?!)
反射的に唇を離し、振り返る。
忌まわしい女の姿こそなかったが、見覚えのある黄色い羽毛が宙を舞っていた。
「あがッ」
直後、キャロラインがうめき声を上げた。
クララが視線を戻すと、カナリアがキャロラインののどを噛み千切っていた。以前現れた時とは違ってミイラのように痩せこけている。羽根をむしり取られたのか、ところどころ皮膚が露出している上、全身は傷だらけだった。翼に至っては片方失われ、飛ぶのもやっとだった。
「キャロ、ライン……?」
クララは目の前の惨劇にショックを受け、固まる。全身から血の気が引き、体が冷たくなっていくのを感じた。
カナリアはキャロラインののどを噛み千切ると、傷口から血肉を喰らった。彼女の歯は獣のように尖り、もはや人としての自我を保ってはいなかった。
一心不乱にキャロラインを喰らう彼女を見ているうちに、クララはだんだん現実を理解してきた。
「あ……あ、あ……ッ!」
クララは咄嗟に、路地裏に打ち捨てられていたスコップを手に取った。わずかに錆びついていたが、先が鋭利に尖っており、武器としては充分だった。
「あああああああああああッ!!!」
クララはスコップをカナリアの首の後ろへ振り下ろした。
骨と皮だけになっていた彼女の首は「メキッ」と音を立て、本来とは逆の方向に折れ曲がった。鳥と同じ、虚な目と目が合った。彼女の口からキャロラインの一部だったものが垂れていた。
「い、いやぁぁっ!!!」
クララは今度はその目に向かって、スコップを振り下ろした。
目が潰れ、カナリアは「ギャァァァッ!」と人の声とは思えない悲鳴を上げ、のたうちまわった。反対に、キャロラインはずっと静かだった。既に息絶え、ゴミだらけのコンクリートの地面に倒れていた。
「うるさい、うるさい、うるさい! お前がキャロラインを襲ったのが悪いんだ! せっかく追い払ったと思ったのに! やっと、キャロラインを手に入れたと思ったのに! キャロラインはお前のじゃないのよ! 私の物なのよ! 私の……私の……ッ!!!」
クララはカナリアが静かになるまで、何度もスコップを振り下ろした。
何十回、何百回……キャロラインとキスをした回数よりもずっと多く、カナリアにスコップを振り下ろした。
やがてカナリアは静かになり、キャロラインに覆い被さるように倒れた。
クララはカナリアを足で蹴飛ばしてキャロラインから離すと、翼を持ってゴミ箱へ捨てた。
スコップを放り、キャロラインの頬へ触れる。先程まで薔薇色に染まっていた彼女の顔は、青白くなってしまっていた。
「キャロライン……ごめんなさい。今度こそ守るって誓ったのに、守ってあげられなかった。本当にごめんなさい」
クララはキャロラインの首を抱きしめ、涙を流した。クララの制服は彼女の血で汚れ、赤く染まった。
まもなく、クララは逮捕された……カナリアとキャロラインを殺した「犯人」として。
匿名の目撃者がクララがカナリアとキャロラインを殺していた姿を見ていたらしい。
「違う、私じゃない! キャロラインを殺したのはカナリアよ!」
クララはもちろん否認したが、証拠もあったことから、クララは有罪となり服役することになった。
当然、キャロラインの葬儀には行かせてもらえなかった。クララとキャロラインの間には物理的かつ法的な、強固な壁が立ちはだかり、二人が会うことは出来なくなった。
「こんなはずじゃなかったのに……私とキャロラインは、これから幸せになるはずだったのに」
クララはコンクリートの壁を拳で叩き、鉄格子の外を睨んだ。
ちょうど、檻の前を通った刑務所の職員が「反抗的な態度を取るなら、懲罰房送りにするぞ」とクララを脅した。クララは既に何度か懲罰房に入っているが、一向に態度を改めようとはしなかった。
「……誰かが私を嵌めたのよ。警察に通報した匿名の誰か……そいつが、私とキャロラインを引き裂いたのよ」
クララは心に決めていた。
いずれこの刑務所を脱し、自分達を陥れた何者かに制裁を下す、と。
そのためにはいかなる犠牲も払う、と。
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