第2章 金糸雀幽閉リモデリング 第5話『血』
草木も眠る丑三つ刻、理科室にはパラケルスス先生と理科学倶楽部の乙女達が集まっていた。
「それでは今期の報告会を始めます。まずは、オリヴィエ」
「はい」
パラケルスス先生に呼ばれ、オリヴィエは席から立ち上がった。
「私は人体の他生物化改造実験を行いました。三体の検体を使用し、蝶、金糸雀、鴉への改造を試みました。しかし、一件は進化途中で死亡、一件は不慮の事故により消失、残った一件も失敗作に終わりました」
オリヴィエは理科室のすみに置かれていた失敗作を懐中電灯で照らした。
そこには巨大な鳥籠があって、中でカナリアが眩しそうに目をギュッと閉じていた。ケイトに羽根をむしられたせいで、ところどころ皮膚が露出している。受けた傷も治りきっておらず、翼は片方失われていた。
「ご覧の通り、夜は人間体に戻ってしまうのです。昼は鳥の状態を維持していますが、これではあまりに不完全です。おまけに、人間体のまま翼を生やし、一キロ以上飛行しました。彼女はもはや、人間でも鳥でもない、別の生物となってしまったのです」
オリヴィエは残念そうに解説した。
本来ならば完全に鳥類へと姿を変えるはずだったが、夜になるとカナリアは元の人間の姿に戻ってしまった。おそらく、キャロラインへの強い想いによって、人間であることの未練が捨てきれなかったせいだろう。
しかし、他の乙女達はカナリアを見て感嘆の声を上げた。
「なんて、素晴らしいの!」
「まるで天使のようだわ」
「人間体のまま飛べるなんて、すごい成果じゃない!」
「ねぇ、オリヴィエ。いらないなら私に頂戴な。剥製にして保管したいわ」
「アッ、ずるい! 私も解剖したいのに!」
皆、我先にと鳥籠の前に詰めかけ、オリヴィエに交渉する。この場にいる誰もが、カナリアを欲していた。
すると、パラケルスス先生がパンッと手を打った。途端に乙女達は静まり、先生の方を振り向いた。
「残念ですが、その実験体は速やかに処分せねばなりません。彼女はこれまで何度も校舎を脱走し、ある生徒に危害を加えていました。通行人による目撃情報も多数上がっています。今は片翼を失い、飛べる状態ではないとはいえ、我々に疑いの目を向けられるのは避けられないでしょう。彼女が第三者に見つかる前に、一刻も早く処分する必要があるのです」
カナリアが手に入らないと分かり、乙女達は抗議の声を上げた。
「えー!」
「そんなー!」
「このような実験体、他にはありませんよ?!」
「隠せばどうとでもなるじゃないですかー」
しかしパラケルスス先生は「いけません」と、頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。
「貴方達の無茶な実験が、生徒達の間で噂になっています。いずれ貴方達が理科学倶楽部の部員であることも、他の生徒の知るところとなるでしょう。いい加減、"科学"という名の悪魔に魂を売ったことを自覚なさい」
報告会が終わった後、コーラルアは一人、理科室に戻ってきた。誰もいないのを確認し、準備室へ侵入する。
準備室にはカナリアを閉じ込めた鳥籠が置かれていた。人目を避け、すみの方に置かれ、上からシーツを被せられている。コーラルアがシーツを取ると、闇の中でカナリアの瞳がキラリと光った。
コーラルアはカナリアを不安にさせないよう、ニッコリと微笑みかけ、優しく囁いた。
「ねぇ、貴方の血を少し取らせてくれない? 代わりに、ここから逃してあげるから」
「……本当?」
カナリアはかすれた声で尋ねた。
コーラルアはカナリアが喋れるとは思っていなかったのか、「ひっ?!」と思わず仰け反った。
「……驚いた。貴方、まだ意識が残ってたのね。なら、なおさらこのまま処理するなんて、もったいないわ。オリヴィエったら、パラケルスス先生に隠していればいいものを」
「?」
カナリアはコーラルアの言っている意味が分からず、首を傾げる。既に鳥並みの知能に退化しつつあるせいか、オリヴィエやパラケルスス先生の名を耳にしても、なんとも思わなかった。
コーラルアはすぐに「何でもないわ」と笑みを浮かべると、裁縫箱から注射器を取り出した。他にも医療用のハサミやメスなど、一通りの医療道具が裁縫道具の代わりに詰まっていた。
「私は実験で慣れてるから、そこいらの医者よりも上手いわよ。すぐに済むから、待ってて」
「ありがとう……これで、キャロラインのもとへ帰れるわ」
カナリアは何の警戒心もなく、腕に注射針を刺された。
空が白む頃には、カナリアはほとんどの血を抜き取られ、息絶えていた。
一方、コーラルアはカナリアの血液を入れた数本のビンを眺め、満足そうに笑った。
「ふふっ、可哀想なカナリア。私の前に現れた時点で、貴方はもうどこへも行けないと決まっていたのに、叶わない夢を見ていたのね。でも、大丈夫。この血を使って、貴方の
コーラルアはカナリアから血を抜き終わると、教員が登校しないうちに、カナリアを焼却炉へと運んだ。
そのまますぐに焼こうと思っていたが、「コーラルア!」と何者かに呼びかけられ、マッチをポケットへ隠した。相手はオリヴィエだった。
「おはよう! ずいぶん早いのね」
オリヴィエはコーラルアのもとへ駆け寄り、話しかけてきた。
コーラルアは背後の焼却炉に意識を向けられないよう、皮肉を交えて返した。
「貴方こそ、いつも遅刻するのに珍しいわね」
「だって、今日中にカナリアを処理しないといけなくなってしまったんですもの。パラケルスス先生も意地悪よね。おかげで、昨晩は一睡も出来なかったわ。せっかく久しぶりに楽しめると思ってたのに」
「この節操なし。せいぜい、教師に目をつけられないよう気をつけることね」
コーラルアは吐き捨てるように言った。オリヴィエが楽しげに夜の逢瀬について話しているのを見ると、何故か無性にイラついた。
「それは大丈夫よぉ。ちゃあんと弱みは握ってるから……って、あら?」
ふいにオリヴィエがその場で屈み、何かを拾い上げた。彼女の指先がつまんでいた物を見て、コーラルアは戦慄した。
「どうしてこんなところに、カナリアの羽毛が落ちているのかしら?」
「ッ?!」
オリヴィエが拾ったのは、カナリアの羽毛だった。黄色い羽毛は血で赤黒く汚れてもなお、朝日を受け、美しく輝いていた。
「まさか、また脱走したのかしら? ちょっと様子を見てくるわね」
「え、えぇ」
オリヴィエは校舎に向かって走り去っていった。まさか、目の前にある焼却炉の中にいるとは、夢にも思っていないだろう。
「は……早く処理しないと」
コーラルアはマッチをすり、薪へと投げ込んだ。
やがて焼却炉の煙突から煙が立ち上り、嫌な臭いが周囲に漂ってきた。
「くさっ」
コーラルアは焼却炉から逃がれ、自分の教室へと向かった。
その日の教室は、焼却炉の話題で持ちきりだった。
ただ……コーラルアが予想していた内容とは少し違っていた。
「ねぇ、知ってる? 焼却炉の中から、とんでもない薬が見つかったそうよ」
「とんでもない薬?」
「そう。燃やした物を嗅ぐと、全身から血を吹き出して死んでしまう薬よ。すぐに警察が処理してくれたから、今は大丈夫みたいだけど」
「何でそんな物が燃やされてたのかしら? 怖いわねぇ」
「そもそも、そんな薬が本当に存在するのかしら?」
「それが本当なのよ。実際に犠牲者も出たそうよ。うちのクラスの子なんだけど……」
オリヴィエは廊下で血まみれになって息絶えているコーラルアを見つけた。口から、鼻から、耳から、目から、皮膚から……ありとあらゆる場所から血が吹き出していた。
「……ふふっ、可哀想なコーラルア。私の目を盗んで、勝手なことが出来るとでも思ったの? 私の実験体を狙った時点で、貴方は破滅すると決まっていたのに、叶わない夢を見ていたのね」
オリヴィエはコーラルアの頭上でしゃがむと、彼女の額にキスをした。
「でも、安心して。カナリアの血液は私達が有効的に活用させてもらうわ。貴方のおかげで実験体も逃がせたし、結果的に良かったわね。欲を言えば、貴方ともっと仲良くなりたかったわ。そうすれば、もっと楽しい夜を過ごせたかもしれないのに」
別れを済ませ、オリヴィエは立ち上がった。「バイバイ」とコーラルアに小さく手を振り、その場から立ち去った。
コーラルアは登校してきた生徒に発見されるまで、タチの悪い廊下のシミとなっていた。
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