第1章 友愛破綻アンビバレンス 第4話『蛹』

「エルサ? エルサよね?」

「っ?!」

 エルサは背後から声をかけられ、ハッとした。人目を忍んで、ゴミ箱から食べ物を漁っている時だった。

 エルサはウリスを殺したことで指名手配犯となり、日夜警察に追われていた。電話で父親と母親に助けを求めたが、すげなく返され「お前は娘じゃない」と怒鳴られた。

 振り返ると、見知らぬオリーブ色の髪の女子生徒が立っていた。エルサと同じ、黒百合女学院の制服を着ていた。

「あなた……誰?」

「私はオリヴィエ。理科学倶楽部に所属しているの。パラケルスス先生が顧問をされている倶楽部よ。あなたにいいものを持ってきたの」

 理科学倶楽部、と聞いてエルサは眉をひそめた。

 パラケルスス先生が顧問をしているとあって、怪しい噂が絶えなくて有名な倶楽部だった。どんな生徒が所属しているのかも、本当に倶楽部が実在するのかも分からなかった。

「いいものって何? 食べ物でも分けてくれるの? それとも、警察に通報するつもり?」

 エルサは皮肉気味に言った。今のエルサを助けてくれる人間など、いるはずがない。

 するとオリヴィエはエルサの心を見透かしたように「本当よぅ」と頬を膨らませ、むくれた。

「あなた、イベリナを殺したんでしょう? あの人気者のイベリナを」

「……そうだけど」

 オリヴィエは目を輝かせ、尋ねた。

「どうして殺したの? イベリナのこと、好きだったんでしょう? 殺すより、もっといいことすれば良かったのに」

「あの子はイベリナじゃないわ。ウリスよ」

 エルサは吐き捨てるように、友人の名を口にした。ウリスのことなど、思い出したくもなかった。

「あぁ、あの子ね。パラケルスス先生から色々くすねていった、強欲な亡霊。もっと肉付きが良かったら、唾つけてたのに。その点、あなたはグッドよ。私の好み、ピッタリ。平凡な顔して、心の中は真っ黒……素敵だわ」

 オリヴィエは恍惚とした表情でエルサを見つめた。

「……やめて。あなたになんか興味ないわ」

 エルサは思わず顔をしかめる。オリヴィエはイベリナと同じくらい可愛らしい顔をしていたが、どこか不気味だった。

「そうなの? 残念。パラケルスス先生に内緒で、人生をやり直せる魔法の道具を持ってきてあげたのに」

「人生をやり直せる?」

 聞き捨てならない言葉に、エルサはつい反応する。

 ウリスを殺したことを後悔しているわけではなかった。だが、普通の生活が出来ないことが、こんなにもツラいとは思ってもいなかった。出来ることなら、自分のことを誰も知らない場所で、一からやり直したかった。

「そんなことが出来るの?」

「もちろん」

 オリヴィエは頷き、ポケットから緑色の何かを取り出した。手のひらに乗るほどの大きさの、三日月のような形状で、ひとりでにモゾモゾと動いていた。まぎれもなく、蝶の蛹だった。

「ひっ?! 何でそんなものポケットに入れてるのよ!」

「ひどいこと言わないでよ。この蛹があなたのベッドになるのに」

 オリヴィエは愛おしそうに指先で蛹を撫でた。

「ベッド? どういうこと?」

「この蛹はね、十年間孵化しないまま、蛹の状態で生き続けるのよ。中の幼虫は仮死状態なの」

 オリヴィエは蛹へ指を入れ、半液状の何かを取り出した。蝶のような、幼虫のような生き物で、その不気味さにエルサは思わず目を背けた。

「ちょっと! こっちに近づけないでよ!」

「そんなこと言わずに、食べて。食べれば、あなたが蛹の住人になれるのよ。蛹が孵化する頃には、あなたがあなただと知っている人間は一人もいない。あなたは自由になれるのよ」

「嫌よ! それを食べるのも、蛹の中に入るのも!」

 エルサはオリヴィエから逃げ出そうとした。

 しかし、すぐにオリヴィエに腕をつかまれ、引き寄せられた。

「分かるわ。虫ってグロテスクよね。私も最初は躊躇したもの。だから、食べさせてあげるわ」

 そう言うとオリヴィエは自らの口へ幼虫のような蝶のような生き物を運び、咀嚼した。彼女の口から「くちゃくちゃ」「ぶちぶち」と嫌な音が聞こえる。

 オリヴィエはそれを柔らかくなるまで噛み砕くと、エルサの口を口で塞ぎ、生き物の残骸を彼女の口内へ移した。オリヴィエの唾液と共に、嫌な食感と味の何かが入ってくる。

「ん゛ぅっ、むぐッ!!」

 エルサは抵抗するが、オリヴィエに後頭部を押さえられているせいで、逃れられない。吐き気がこみ上げ、嘔吐しそうになる。

 するとオリヴィエはエルサの舌を自身の舌で絡め始めた。

 オリヴィエの予想外の動きに、エルサは吐き気を忘れ、呆然とする。無意識のうちに生き物の残骸を飲み込んでいた。

「ふっ、はッ……」

 オリヴィエはエルサが生き物の残骸を飲み込んだ後も、しばらく彼女の舌を弄んでいた。地面へ押し倒し、舌を絡め続ける。

 エルサは頭に酸素が行き渡らず、されるがままだった。エルサ自らもオリヴィエの舌へ舌を絡め、熱っぽい息を吐いた。


 やがてエルサの全身から力が抜け、冷たくなった。

 オリヴィエはエルサの舌が動かなくなったのを確認すると、彼女の口から口を離した。糸を引く唾液を舌で舐め取り、体を起こす。

 先程中身を摘出した蛹をポケットから取り出すと、目の前にかざした。破った口は元通りに閉じていた。

「……エルサ、またね。十年後に会いましょう」

 オリヴィエは蛹に向かって微笑みかける。蛹の中身が日の光に透け、輪郭が見えた。

 そこには確かに、人型の何かが眠っていた。

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