√3 センス

「中島さん、私たち別れましょう」


 最後にそう言い残して、僕の彼女、吉村さんは去っていった。


 問題の手汗は解消したのにである。


 しかし、それもまた前回の話である。


 今の僕には、時を戻す力がある。




「中島さん、私たち別れましょう」


「ちょっと待ってくれ!」


「なんですか?」


 僕は手のひらから湧き出る汗をしっかりとズボンでふき取った。


「どうして別れようなんて」


 吉村さんは僕を猫のように睨みつけて、


「わからないならいいです」


 と言って去っていった。


「あああ! またこのパターン!」


     〇


「中島さん、私たち別れましょう」


「ちょっと待ってくれ!」


「なんですか?」


「確かにあの時は僕が悪かった!」


 結局僕にできるのは、勘でそれっぽい言葉を並べることだけである。


 しかし、それが案外通用してしまうのだ。


「まあ、反省しているのは伝わりました。でももう決めたことなんです」


「な、ならせめて、改善点だけでも教えてくれ! 僕も成長したいんだ!」


 我ながらよくこんな言葉が出るなと感心する。


 吉村さんは、はぁとため息をつきながら言った。


「センスです」


「センス?」


「はい、中島さんはセンスがないです。デートで着てくる服も、記念日のプレゼントも、すべて壊滅的です。だからと言ってケチをつけるわけにもいきませんでした。これは価値観の違いだと。ですので」


 最期に僕の前で軽く頭を下げて出ていった。


 センス。


 ファッション、プレゼント。


 そうか。


 またしても僕は時計を手にしていた。


     〇


 時を遡り、一か月前。


 この日は吉村さんと付き合って一か月の記念日であった。


 僕はホテル最上階のレストランを予約しており、そこで吉村さんとディナーをする予定だった。


 しかし、このままでは前回と同じ結果になってしまう。


 そうだ、あいつに聞いてみよう。


 僕は携帯電話を取り出し、とある男性に電話した。


「俺だ、どうした」


「ああ、堀口! お前に相談があるんだ。」


「ほう、この俺に相談か」


「そうだ、しかも重大任務だ」


「なるほど、して要件は?」


「彼女に渡すプレゼントを選んでほしい」


 しばらくの沈黙が流れた。


 堀口は考え事をするとき、いつもの饒舌とは裏腹に寡黙になる。


「一時間後に駅前だ」


 そう言い残して通話は切れた。




 一時間後。


「よお中島」


「よく来てくれた、堀口」


「っておい中島、その恰好は何だ」


「何って、普通の私服だが?」


 堀口は出会い頭にため息をついた。


「そうだな、まずはその中学生みたいなファッションセンスをどうにかしよう。こっちだ」


 よくわからないが、僕は堀口に引っ張られるがままについていき、洋服店で服を買い、デパートでプレゼントを買い、レストランの場所を変えた。


「わかるか、初めてのディナーであんな高級なところを選ぶと、逆に重く感じるだろ。まずはそれほど高くなく、しかし居心地はいいようなところを選ぶんだ」


「お、重いのか」


「そうだ、どうせお前が金を払うんだろ。おごられる側も罪悪感ってものがあるんだよ」


 その後、吉村さんと会うまで堀口にカフェでみっちり5時間講習を受け、最後に講習料をふんだんにとられた。


 しかし、おかげで自信がついた。


 今の僕は、十数人の女をたぶらかす、堀口のたらしスキルがあるのだ。




「こんばんは」


「やあ、こんばんは、吉村さん」


「あら、中島さん。今日はずいぶんとお洒落ですね」


「ふっ、当たり前だろ。こんなにも美しい女性と会うのだから」


「そういってもらえてうれしいです。でもそのしゃべり方はやめてください」


「はい」


 僕たちはその後ディナーを終え、何とかプレゼントを渡し、次のデートの約束もした。


 プレゼントを渡したときの吉村さんの反応は悪くなかった。


 さすが堀口である。


 僕は軽くアルコールが入り、気分が良いまま夜道を歩き、アパートへと帰っていった。


     〇


 一か月後。


 吉村さんがうちに来た。


 もしやと思ったが、全くその通りであった。


「中島さん」


「はい」


「私たち、別れましょう」


「この感じ、そうですよね」


 最後にそう言い残して、吉村さんは去っていった。




 どうしてなんだ!!!!




 僕の手には再び、時計が握られていた。

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