ストロボライト

Hoshimi Akari 星廻 蒼灯

ストロボライト

 俺には尊敬していた先輩がいた。

 俺が大学に入学した時その人は一つ上の二回生で、新歓期間に迷い込んだ映画サークルの一つでカメラを構え俺のことを無断で撮っていた。

「なんでカメラ回してるんですか?」

 履修組みの相談をありがた迷惑と受け取り終わった後に、マンツーマンで俺についていた女の先輩からそっと離れ、俺は部屋の隅でカメラを構えたまま死んだように座り込んでいたその人に声をかけた。

「ああ、映画撮ってるんだよ」

「新歓の様子をですか?」

「新入生に群がるハイエナの図」

 酷い表現をするなあと思った。「僕らは獲物なんですか」

「いやあ違うよ、喰おうとしてるんじゃない。一緒にハイエナになって生きようよって口説いてるんだよ」

「それは…獲物として喰われるよりいいんですかね」

「人によるんじゃないかな。君は”喰われた方がマシだ”って顔してるよ」

「はは」

「どこに入るつもりなの?」

「まだ決めてないです」

「本当はさ、ハイエナって偉いんだよ」

 無精髭を生やしたその男は俺にカメラを向けて履修組みのアドバイス以上に役立たない雑学を披露した。

「ハイエナって、ライオンとか別の動物が狩りをして殺した獣の残り肉を漁るって思われてるけど、実際は逆なんだ。狩りをして獲物を捕らえるのがハイエナの仕事で、ライオンはスピードのない代わりにでかい身体を生かしてハイエナから死んだ獲物を奪い取る。なんせ横たわった屍肉はスピードも何もないから悠々と獲物にありつけるわけだよ。で、ライオンが自分たちの捕まえた肉を召し上がっている間、ハイエナは遠巻きにそれを眺めてるんだ。そして最後にライオンが食べ残した骨ばかりの屍肉を必死になって食べるんだ。テレビで好きな芸人さんが話してるのを見て初めて知ったんだ、この悲しい事実を。何が百獣の王だ」

 けど王様のやることってのはまさにそういうことなんじゃないかな、と俺は心の中で呟いた。

「つまりあそこで頑張って履修要覧の解法を説いている皆はハイエナで、俺はライオンなんだよ」

 先輩は新歓の様子を後ろから盗み撮りするだけで、労を惜しまず勧誘に精を出すのは他の部員たち、ということだろうか。

「我が身が悲しくなる」

「でもライオンならハイエナを脅かしてますよ」

「ライオンでもないならコウモリってところかな」

「ライオンとコウモリじゃ凄い落差です」

「表裏一体なんだよ。きっと」

 その人は良くも悪くも周りからは浮いていて、関わっても何の益もないどころか近くにいたらこっちまで集団の和から逸れてしまいそうな厄介な人物だった。なのに俺は疫病神のようなその人の撮る映画がどんなものなのか気になって、気づくとそのサークルに入っていた。何度か下宿先に押しかけたこともあって、行くたび部屋の惨状に目を覆ったものだった。

「こんなんじゃ彼女だって出来ませんよ」

「なんでだよ」

「どうやってこの部屋に女の子を入れるんですか」

「有事の際には片付ける」

「2、3日はかかりますよ、掃除するだけで」

「したらば業者を呼ぼう」

 業者を呼ばなければ片付けもままならないジャングルがごとき部屋に住む先輩にも、俺が二年になろうとしていた春先の三月に恋人ができた。綺麗でしっかり者のその人は俺と同学年の女の子で、俺はもとより同回生の男子を初めとしたサークル中の敵意と疑念が人知れず先輩へ向けられることとなった。今もってどういう経緯で二人が近づいたのだか俺は知らないが、三ヶ月も経たないうちにこの奇異なカップリングは散会の幕を迎えたのだった。先輩は別れた理由は一切口にせず、その代わり狂ったように映画製作へのめり込んでいった。

「俺にとって現実の全ては映画のための道具なんだよ」

 負け惜しみともとれる、いや負け惜しみとしかとれないその台詞を、俺は先輩に嫌なことがあるたび何度となく聞かされた。

「そんなこと言ってて悲しくなりませんか」

「悲しいから撮ってるんだよ」

 カメラを回し、校庭の木製テーブルを囲む椅子に座って俺の顔を撮る先輩の表情には、いわく掴み難いものがあった。

 俺は、先輩が自分の道を信じて進むことのできる数少ない人間のうちの一人だと思っていた。胸に抱えた化物が周りの人間の姿とどんなにかけ離れていたとしても、そいつを信じて守り、育てることのできる人だと。だから情けない日常や堕落した心であの男の人生が覆い尽くされていても、この人の生き様を追いかけてみたいと心の底から思った。

 だから俺が三回生になった年の晩夏、先輩がとった行動は俺にとって裏切り以外の何物でもなかった。

「どうしてですか」

 映画とは縁も所縁もない企業へ無難に就職が決まった後、先輩は卒業制作に自分が監督の作品を作るのではなく、別の四回生の書いた脚本でただの一クルーとして映画を撮ると決めた。

 気づけば、憧れの先輩だと思っていたその人は俺の知らない別の人間に変わっていたのだった。

「自分の映画が作りたいってのも、今まで作ってたもんも、全部嘘だったんですか」

 人がいなくなった後の部室でテラスに出たその男に、部屋の中に立った俺が詰問している。ガラス扉の桟が俺と先輩とを隔てていた。キャスターの中途半端に甘い煙をくゆらせて、そいつは部室棟の外にある林へ体を向け俺とは向かい合おうとしなかった。

「答えてくださいよ」

 先輩は指先のタバコの火を灰皿でもみ消し、俺と目を合わせぬまま有無を言わせずテラスから部室へ入った。俺は後を目で追うしかなかった。本当はもう構う必要などなかったのだ。だけどまだ納得ができなかった。最後の答えを教えてもらいたかった。人がどうやって自分の夢を諦めるのか、その方法が知りたかった…。

 自分の夢を追いかけようとする自分自身と、俺は常にぶつかりながら生きてきた。時には現実が諭すために現れ、夢を奪っていこうとする。だけどそいつはどんなに手を尽くしても消し去ることはできなかった。どんなに遠くへ逃げても胸の中にあるとふと気づくもの、それをどうやって殺すのか俺は考え続けてきた。だけどあいつは違った。愚かなことこの上ない馬鹿な選択肢を迷いなく掴む人間だった。いや、そうだと思っていた。だから俺は追いかけ続けたのだ。そこに自分の答えもあると思ってどこまでもついて行こうと思った。だけどもう全ては終りだ。俺も先輩も、いつかは夢を捨てる時が来る---夢と共に、自分自身を。

 先輩は教室の電気を急に全て落として、携帯のライトだけを頼りに映写機をいじり始めた。何を流そうっていうんだ?

 白いスクリーンに映された画面に居たのは、俺だった。一回生の頃、始めてこの部室を訪れた時の。何かを期待するように話している。あの時はまだ夢が夢のままそこにあった。全てが傷を負う前のまっさらな状態で、信じることは現実であることと同じだと思い込んでいた。

 場面は次々と切り替わり、その合間合間で黒地に白い文字で誰かのモノローグが流される。現実の映像とモノローグの交差する間隔は少しずつ縮まり、最後はストロボのように点滅し始めた。

「俺は何も諦めてなんかいねえよ」

 画面の外から声がする。

「なめんな」

 映写機が止まり、教室の電気がつけられた。それから、呆然と白いスクリーンを見つめていた俺の手元へ何かが投げて寄越された。一枚のSDカードだった。

「そいつは餞別にやる」

 さっきの映画が収められているカードだろう。

「夢ってのは、結局自分自身なんだってお前を見てて思った。どこまで逃げても逃げきれねえし死なない限りは消えても無くならない。けどな、俺は天才じゃなかった。だからコウモリはコウモリなりに足掻いてみることにしたんだよ」

「それが、先輩の答えですか?」

 三年間で更に悪人面の様相が深まったその人はニコリとも笑わず、暗い井戸の底のような目で俺を見て言った。

「答えは、生き方でしか示せないからな」

 そう言い残したのを最後に、先輩は俺の前から姿を消した。

 卒業制作の映画は撮り終わっていてそれで文句を言う人もいなかったけれど、上映会や追いコン、卒業式にまで一切顔を出さなかった先輩のことは周囲では死んだんじゃないかとさえ噂されていた。どこか人目につかない死に場所を選んで自殺しただとか、電車に轢かれて身元が分からない粉々の死体になったのだとか。けれど学校では家族からの捜索依頼が出されたという話も聞かないし、それに俺は、あの人がまだどこかで自分の道を進んでいるように思うのだった。

 どこかでまだ馬鹿みたいに夢物語を追いかけ、不器用な掌に自分と他人を傷つけられながら、旅をしているような気がするのだ。

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