第47話 試合前


 今までにないくらい心が軽い。


 そう思うのは、ある程度溜めていたものを吐き出したからなのか。

 それとも隣にいる水瀬のおかげなのか、おそらく両方だろう。


 前世何度も言われたが受け入れることのできなかった事実を、受け入れなくてもいいとそのままでもいいと肯定してくれたことが自分を前に進めてくれた。


 あれは、誰よりも恋愛に振り回された水瀬だからこそ形に出来た言葉だ。

 苦しんで、諦めかけて、それでも恋愛と向き合い続けている水瀬だからこそ俺の心に響いたんだと思う。


「どうしたの?」


 俺が伸びをしながら水瀬の顔を覗いていると、彼女は不思議そうな顔で首を傾げる。

 さっきまであんなに大人びた発言をしていた水瀬なのかと疑ってしまうかのような、子供っぽい反応が何だか可笑しくて俺は口元を緩めてしまった。


「何でもねぇよ」


 そう言って俺は立ち上がり身体を伸ばすと、階段を数段降り水瀬の方を振り向く。


「そろそろ行こうぜ。もうそろそろ次の試合が始まる頃だろ」


「うん、そうだね。行こうか奏君」


 水瀬は大きく頷くと階段を二段飛ばしで降り俺の前に行くと、俺の右手を掴んだ。

 そして、俺は水瀬に引っ張られながら体育館に向かうのだった。




「おやおや、私の予想ではもう少し後になると思ってたんだけど当てが外れたかな?」


「私達は必死にことちゃんのこと探してたのに〜。抜け駆けなんて狡いぞー!次彼氏を作る時は一緒っていったじゃん。この裏切り物ーー!」


「ちょ、リサちゃん。胸叩くのはやめてよ!奏君が見てるんだから」


 体育館に足を踏み入れると、水瀬のことを待っていた黒瀬と坂柳に二人並んで歩いているところを見られてしまい、関係について茶化された。

 坂柳が水瀬のことを若干潤んだ目で胸をポカポカと叩いているのは冗談だよな。多分。

 叩かれていることでプルプルと揺れる胸から俺は顔を背けながら苦笑いを浮かべていると、黒瀬が俺の顔を覗いてきた。


「何だよ?」


「良い顔つきになったね。君はやっぱりそういう顔が似合うよ。ウジウジ悩むなんて君には似合わない」


「お前もしかしてエスパーか?俺の心の中見えてるとしか思えないんだが」


「さぁ、どうだろうね?そこはご想像にお任せするよ。……おっと、小鳥がこちらを嫉妬の目で見ているから。私はそろそろ試合に戻るよ」


 黒瀬はそう言って、悪戯っ子のように微笑むとコートに向かって行った。


「ちょっと置いてかないでよーリンリン!…っあ!そうだ」


 坂柳は空気を読んでこの場を離れようとしたが、何かを思い出したのか途中でこちらに振り返り頭を下げた。


「かわかわ、ありがとうね。ことちゃんのこと色々と。私じゃ何も出来なかったから、本当に感謝してるの」


「かわかわって、俺?」


 礼を受け取ろうと思ったら、急に「かわかわ」なんて今まで呼ばれたことのない渾名で呼ばれるものだから、礼を受け取るよりも先に俺は思わず聞き返してしまった。


「そうだよ。湊川の川をいじってかわかわ。ことちゃんの恋人は私の友達みたいなものだし渾名呼びでも良いかなーって。「ま、まだ違うからね!リサちゃん!」タハハっ、冗談じゃん。本気にしないでよことちゃん。可愛い顔が台無しだぞー。てなわけで、ことちゃんをおちょくるの満足したからお邪魔虫は退散しまーす。またねー。かわかわ」


 坂柳はケラケラと笑いながら、俺に手を振ると水瀬から逃げるように黒瀬の後を追いかける。

 この場に残された俺達二人のの間には、黒瀬達に好き放題されたせいで微妙な空気が流れている。

 水瀬の好意に気付いたせいで俺はどう反応するのが正解なのか分からず頰を掻いた。


「その、ごめんね。リサちゃん達が変なこと言って、後で私から言っとくから」


「別に気にしてないから。そんなに強めに言うなよ?」


「それは無理かな。ちょっと色々と言いたいことがあるから」


「そっすか」


 苦笑いを浮かべながら黒瀬達の方を見る水瀬から謎の威圧感を感じた俺は、これ以上何か言うのは良くないと思い短く一言だけ返し会話を終わらせる。


「じゃ、行ってくるね奏君」


「おう、また後でな水瀬」


 これ以上話すことはもうないなと、お互いに感じたのだろうわ。言葉少なく俺達は別れた。



「ねぇ、ちょっといい?」


 体育館を出たところで、後ろから声を掛けられ振り向くとそこには申し訳なさそうにしている星川が居た。


「星川か何の用だ?」


「小鳥から多分聞いてると思うけど改めてお礼を言おうと思って、ありがとう。君のおかげで小鳥が前を向けるようになって仲直りが出来た。本当に感謝してる。勇人のせいであのままだと余計距離が離れそうだったから」


 本当に星川は感謝しているようで俺、に深々と頭を下げる。


「そうか。まぁ、二人の仲を戻すのに役立ったならあんな恥ずかしい思いした甲斐があったな」


「恥ずかしかったんだ。無自覚にやってると思ってた」


「やってる最中はそうだったが、水瀬が離れてから急に来た。もう二度と人前ではしねぇ」


「それに気付けるだけ勇人よりマシだよね。勇人は私が言わないと気づかないから。試合の後流石にあれだけ絞ったし結構反省してたしもう小鳥に余計なことしないと思うけど」


「……試合の後?」


(試合の後に反省したなら普通俺達の前に現れるか?)


「ん、どうかしたの?」


 俺が急に黙って考え出したため、星川が何かあったのか聞いてくる。


「堺の奴が俺の試合が終わった後に、俺達の前に現れて水瀬を傷つけたんだよ。本当に反省してたのか?」


「…嘘。私の目にはしっかり反省して『当分近づかない』って言ってたのに」


 さっきあった出来事を伝えると、星川はありえないという表情になった。

 この反応から察するに堺が反省していたというのは本当だろう。


(星川に怒られて反省してるなら、堺があんなことするか?マンガだと一度反省したら同じことは二度としなかった。彼女である星川から怒られ反省したなら尚更変だ)


この時、俺は何とも言えない不穏な空気を感じた。









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