第206話 先輩と後輩

「ほらユリ、水よ」


 ヤンの持って来てくれた水と氷を受け取って、まずは水を手渡す。

 

「痛そうなのは肩? 肩よね」


 氷はハンカチに包んで怪我をしている肩に、それと擦り傷の所を順に冷やしていく。


「ありがとうございます。ヤン先輩もすみません」

「そんな事いいさ。気にすんな。それよりゆっくり休め」


 木の影にユリを連れて行ってそこで休憩を取っている。痛々しい傷が身体に付いていて、改めてさっきの試合が苦しいものだったのかを物語っている。


「ユリ。無理はしなくて良いから。辛かったら次は棄権でも……」

「ダメですよフランソワ様。それはダメです」

「マルズ君の事なら……」

「彼のことだけではありません」

「貴方が棄権したって私の評判なんか下がらないし」

「そうでもありません」


 ユリは首を振って否定した。

 頑なに危険を良しとしない。


「騎士がこれくらいの事で逃げ出してはいけないんですよ」

「これくらいって……」


 これくらいと言うには似合わない傷だらけの身体。ただ、彼女にとって、いや、ヤンにとっても同じ気持ちなのかもしれない。だからヤンはあまり彼女に言葉をかけない。


「氷を二つ頂けますか」


 ユリに氷を手渡す。そのうち一つ、小さな氷を口に含んだ。もう一つは自分の右足に。


「足、大丈夫?」


 口に氷を入れていたから言葉の返答はない。代わりに首を縦に振る肯定の合図。

 最後のやりとりで下半身に打たれた攻撃がダメージとなっているのかもしれない。

 服でその部分は分からないけど、見たら今見えている傷よりも酷いものがあるのかも知れないと思うと思わず息を呑んでしまう。

 場所が場所だけに服も脱げないから、完全にブラックボックスになっている。


「頭も冷えました。スッキリしますね」


 口の中の氷を消化してユリはさっきよりも少し明るい笑顔を作ってくれた。汗も少し引いた気もする。


「まぁ、程々に頑張れよ」

「はい。頑張らないと勝てそうにないので」


 ヤンとユリのやりとりの中に心配するような様子はない。だけど、表情はお互い笑っている。あるのは信頼だ。


「ヤンからアドバイスとかは出来ないの? 先輩なんだから」

「アドバイス?」

「そうですねぇ。私も少し頂きたいですね。教えてくれますか先輩」

「そうだな。当たり前のことだけど、槍ってのは間合いの有利不利がある。距離を詰めた方が有利になる」

「本当に当たり前じゃない!」


 気の利いた助言でも来るかと思ったら割と素人の私でも分かる事だった。


「フランソワ様、その先ですよ」

「その先?」

「慌てず聞けよお嬢」


 ヤンに鼻で笑われる。


「でも距離を詰めても対処される。そこからですね」

「あぁ、どうしたって距離を詰められた方が戦いにくい。だから誘いだと思ってもガンガンに前に出て行け。相手は間合いが詰められても戦えるってわざわざ見せて来てんだ。だから本当は詰められたくないはずなんだよ」

「なるほど。距離を詰めても無駄って思わせて来てるって事よね」

「そう言うこった。後言えるのは詰めたら後退させてやれ、あくまで試合だからな、ルールで勝てるんだ」


 ヤンのアドバイスが的確だったのかは私には分からない。

 さっきの言葉にユリは「手厳しいですね。ありがとうございました」と返した。

 足に当てていた氷も熱でさっきよりも小ぶりになっている。それをユリは立ち上がりながら口に入れた。

 私達を一瞥だけして彼女は次の試合がある陣の中へと舞い戻っていく。

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