第32話 雨の中で

 私とヤンは宿から出てさっき走った道を登る方向に歩いていた。行きかう人たちを傍目に町並みはきれいになっていく。下層から中層、中層から高層へと登って行っている。


「こんな状況じゃなかったらヤンとの楽しい散策なのにね」

「案外余裕そうじゃねーか。さっきの一件でベソかいてたから、もっと追い込まれてんのかと思ってたぜ」

「あんな状況じゃ泣きたくもなるわよ! 本当に怖かったんだから」


 短刀を構えた男が近寄ってくることを思い出すだけとさっきまでの恐怖がよみがえる。


「だったら、ちゃんと気をつけろよ」

「うん」


 ヤンの近くを離れないようにヤンの後ろにくっついて歩く。彼の歩調に合わせているつもりだけど、彼の方が私の方をたまに見て合わせてくれている。


「ちっ。降ってきやがった」


 そう悪態をつくと私の頭にも水が落ちてきた。その一滴を皮切りに湿気のにおいと地面に水が落ちる音があたりに広がった。

 往来の人はみんな屋根のある場所へと一目散に逃げていく。傘を持つ人はそれを広げて変わらずに歩いている。

 シンプルな色の傘が広がって、さっきまでネズミ色と人で彩られてた道は色を散りばめたなパレットのようになった。

 「走るぞ」と言って私の手を引くヤンを私は逆に引っ張った。


「待って。こっち」


 私は朝アリスに教えてもらった雑貨屋に入った。そして売り場から品物がなくなる前に傘を2本買った。黒と白の傘を。


「これ。お礼もちゃんとしてなかったし」

「別にいいよ。雨なんて気にしねぇ」

「だめ。濡れたら風邪ひいちゃうじゃない。だからさしてね」


 黒の傘をヤンの腕に無理やり握らせる。


「分かったよ。けどあんまり離れんなよ。何かあってからじゃ遅いんだ」

「分かってる。頼りにしてる」


 黒の傘を射して歩くヤンを私はすごくかっこいいと改めて思ってしまった。

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