異世界生活15―Ⅰ

 体が重い。朝、起きる度に思う。ここ最近、体が思うように動かせないし、頭も良く回らなくなってきている、と。


 前はこんなこと無かったのに……。


 城に仕える侍女は、感じ始めていた。聖女エリーナがもたらした、特に男性に多い聖女エリーナに対する心酔とも陶酔とも呼べる信奉の様子。それとは明らかに違う、自身を襲う体の不調。


 指先が僅かに震える。自らの手のひらを開いては閉じてを繰り返し、その動作を確認した。

 痺れているわけではない。寒いわけでも。けれど何故だか、指先が震える。


 そして、立ち上がろうにも体が言うことを聞いてくれない。


 同室の同僚は、昨日から起き上がることすら困難になり始めている。

 朝日が登る頃には動けるのだが、日が沈むとまた動けなくなる。


 ここ数日、日に日に悪化しているが、そんな調子が続いていた。


「一体、何なの……?何なのよ、これは……!」



 それでも、もう少し経てば日が登る。また、動けるようにはなるんだわ……。

 ずるずると体を引きずるようにしてベッドから起き出すと、拙い手付きで身支度を始めるのだった。





 ***





 どうして私はここにいるんでしょう?

 やっぱり……断ればよかった。


 出発早々、真理は後悔していた。


 朝食を終え、身支度を整えたところで真理は国王ミハエルの乗る馬車の中にあった。


「随分と緊張した表情だね。もっとリラックスしてくれて構わないんだよ?」


 無理です。


 真理の目の前で、にこりとさも優しげに微笑むのは国王ミハエル。白髪が少しばかり混ざり始めた金髪で色味は、第一王子のジークベルトよりも若干薄く、瞳の色は深い海を思わせる碧い瞳の色をしている。

 それが緩やかに細まり、大人の余裕為政者としての風格を思わせるが、向かい合う真理はただの一般人だ。


「無茶を言わないでください。王様なんて只でさえ、縁遠い人生なのに王様の馬車で向かい合って何て……」


 それが、普通と言うものだ。それを平然とまではいかなくても、リラックス何て到底無理な話である。


「はははっ。仕方がないな」


 対してミハエルは気にした風もなく笑い飛ばす。こうして密室の馬車に乗るなど、亡くなった妃達以来だった。

 それだけに心の何処かで高揚した部分があったのかも知れない。

 ミハエル四十三歳。老齢と言うにはまだ早く、衰える処か今は円熟と言った所だった。


「それほど気にしなくても構わないよ?今は只のおじさんと二人きりなのだと思ってくれないかい?じゃないと私も、常に王として振るまい生きるのは、正直肩の荷が重くてね」


 肩を竦め、何処か少年のような笑みと砕けた口調でミハエルは言う。


 それでもやはり、一国の王が相手だ。真理としては粗相があってはならないと思うし、緊張するなという方が無理というものである。


「でも……」

「それなら少しばかり、世間話でもしようか?そうだなぁ……異世界の、真理殿の世界の話でも聞けたら気が紛れるかな?」


 にこり、人の良さそうな笑みをミハエルは浮かべる。この様子からミハエルが真理の緊張を解すべく、気を使っていることがわった。


 相手は王様なのに、気を使わせた。それが申し訳ないと思うと同時に、話始めるととても気さくで話しやすい相手だということが知れた。


 はじめは緊張から言葉数は少なかった真理も、ミハエルの違った視点からの質問に受け答えするうちに、相対することに慣れてきた。最後は、自然な微笑みを浮かべられるほど会話がスムーズに行えたのには真理自身が驚いたものだ。




 馬車を走らせること凡そ十数分の後。鬱蒼とした瘴気木生い茂る森を抜けると、見渡す限りの平原に出た。


 晴れの空って、あんな色だっけ?


 森を抜け出で暫く、途切れた会話に間を持て余し向けた馬車の窓。そこから見える外の風景に違和感を感じた。空は雲一つ無く晴れているというのに、空色は青みに欠けてなんだかくすんだ青灰色に見える。


 不思議がる真理の疑問に、ミハエルが答えを与える。


「瘴気の影響だろう。城の地下には瘴気を吸い続けた蛇神が封じられている。蛇神の吸い込んだ瘴気が祓えないから、やむなく封じたのだと文献には記されていたな」


「蛇神を放置すると、どうなるんですか?」


「恐らくは異世界の蛇神から、禍を撒く邪な邪神へと変化するのだろうと、だからこそ封印という形を取ったのだと私は考えている」


 当時の異世界から来た聖女には、蛇神の飲み込んだ瘴気を浄化しきるだけの力が無かった。

 だからこそ、蛇神がそれ以上変化しないように、地下に封じたのだろうと。



 それが今、もしかしたら復活の兆しを見せているのかもしれない。


 真理はただ、ミハエルの予測が外れてくれることを願うだけだった。





 王都までの道中、魔物に遭遇することもなくスムーズな行程だった。

 余分に買い揃えた御守りは、先頭と最後尾を走る騎士団、それと国王ミハエルに『交通安全』と『恋愛成就』か、『家内安全』を持たせている。

 魔物に遭遇しなかったのは。『交通安全』の御守りの効果だろう。

 それに、聖火を入れていたランタンにも蝋燭を灯してある。

 予備の蝋燭は真理の肩掛けポーチの中にも有るし、いざというときのL.E.D.懐中電灯も入っている。


 考えられる準備は万全だ。



「そろそろ付くな」

 ミハエルの口調が変わる。何処か緊張を孕んだ重い響を纏ってきた。



 王都の中は、ミハエル達が出立した時のような活気が見られなかった。

 道を歩く人々は、青白く何処か虚ろに見えた。

 歩く足取りも、フラフラと頼りないもので、生気がないと言えばいいのか。


「あの、これは……?」

「これも……瘴気の影響だろう。やはり聖火を失い、蛇神の封印が解けつつあると言うことだ。……急がねばな」


 ミハエルの言葉に、真理はゴクリと唾を飲み込んだ。



 ――――ここって本当に、異世界だったんだ。


 今までも、確かに異世界に真理はいた。けれどもその行動範囲はどうしたところで森の中の、あの家の周りに限定されていた。まだ生活環境が整っていないと言うのが最大の理由だ。異世界の人間との交流と言ったところで、こちらもあの家で朽ちるのを待っていたレティシアや彼女を求めて訪れた騎士ぐらいなもので、それ以外のこの世界で暮らしている人々の楊子見ると言うことは新鮮だった。



 だけど……あんなに、 具合が悪そうで生気を感じない人を見たことはない。

 まるで日々の決まった行動を機械的になぞっているだけの、生身の人形みたい。


 表情の乏しい道沿いを歩く人々を見て、真理はそう感じた。





 ミハエルは苦心していた。

 国王不在の間に、何れだけ王宮内が変わってしまったのか、臣下もだが留守を任せた第二王子ランディールの事も王として父親として気ががりで。


「国王ミハエル陛下の帰還だ、門を開けよ!!」


 王城の門が閉ざされていたのだろう。先頭を行く騎士が声高に門兵に告げる。


 グゴゴゴゴゴ……。


 低く重い音を立てながら、黒い鉄の門はゆっくりと開いていった。


 先には待ち構える兵士はおらず、街中と同様に生気の無い城仕えの従事達が出迎えていた。

 ただ、その者達もやはり生気が無いもの達だった。虚ろとまでは行かなくとも何処か精彩を欠き覇気がない。


「……国王陛下!お帰りなさいませ」


 出迎える足取りも、シャキッと感が見られずヨタヨタフラフラといった呈だった。


「うむ。皆の者、今戻った。私の留守中、城内は変わったことなど無かったかな?」


 駆け付けた従事達の様子にミハエルは瘴気による影響が早くも出始めているのだと悟った。



「どうやら、何かはあったようだな」

 分かっていた。わかっていても、そう言葉にしなくては話は進まない。

 王の帰還だと言うのに、出迎えるべき騎士団が居ない。いや、いるにはいるが、本来顔を見せるべき者達は、何故か王である私と共にいる。

 そして、同じく出迎えるべき重鎮達は、その姿を見せては居ない。


「……は。み、皆様白百合の広間に集まっておいでで……」

「白百合の広間?何をしている?」


 王都内の住人ですら病的な様子で、フラフラと覚束ない足取りを見せている。城内の従事達ですらその様子が広がり、この原因究明と対策に動くべき重心達はこんな時に広間で何をしていると言うのか。


 答えた従事の歯切れの悪さに、嫌な予感を抱きつつも足早に向かった。





「……っ!(なに、何か痛い……?)」

 厳めしい顔付きとなった王の後を、ただ付いていくしかない真理だったが、肌にチリチリと刺すような感覚を感じ始めていた。


 それが何か、何と無くは勘づいていたが、今は言葉にする勇気は無かった。



 だけど、これは瘴気と言う物のせいだねきっと。


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