桜掴良治の動揺Ⅰ

 俺が真理と出会ったのは、大学四年の頃だった。同じサークルに真理が入ってきて、少しずつ話すようになっていた。サークルの帰り急に振りだした雨。雨宿りをしていた真理の、その横顔にドリキと胸が高鳴ったのを今でも覚えている。

 だけどその時は、他のメンバーもいて他愛の無い話だけで、俺も就活が本格化していたから、恋愛どころじゃなかった。

 卒業した後は、時折メールのやり取りが残るぐらいで、取り分け親しい訳じゃ無かったんだ。

 だから真理が社会人になった年、俺の勤める会社が引っ越して新しいオフィスに入ったときには驚いたさ。


 荷物を運ぶ為、エレベーター待ちしていたらそのエレベーターから真理が降りてきたんだ。真新しいスーツを着て、指導役と思われる女社員の後を必死に追いかける真理の姿。



「……えっ?良治先輩!?うそ、どうしてここに!?」

「今日からここの四階に越してきたんだわ。俺んとこの会社」

「四階……サンライツさんね?うわっ、偶然……!!」



「堂城、時間無いよ!おしゃべりは後にしてほら急ぐ!!」

「は、は~い!!じゃ、良治先輩、後でメールしますね!!」


 夜、就業時間もとうに過ぎた頃に真理からメールが届いた。


 ピロピロリ~ン♪♪


[今晩は!お仕事お疲れさまです。

 メール送るの遅すぎましたか?

 今日は、ビックリしました。

 新しい会社が入るって話は聞いていましたけど、まさか良治先輩の勤める会社だなんて!!

 大学の卒業以来ですね?

 久しぶりに良治先輩に合えて嬉しかったな。再会と、私の就職祝を兼ねて、そのうちご馳走してくださいよ~(。-人-。)ウソウソ。私もお給料出たんですよ~!

 何か食べに行きましょ(≧∇≦)♪♪]


 そのメールを読んで、一人ドクドクと忘れてたあの時の熱が甦るのを感じたんだ。


 だからそれから、真理とは時間が合う限りよく会うようにしたり、飯も食いにいったりドライブに誘ったりしたんだ。


 そんな時間が半年過ぎた頃、俺の中の真理はただ話をしたり、飯食ったり、酒を飲むだけの仲じゃ満足出来なくなっていた。



「真理、今から朝日を見に行こう」

「こんな時間からドライブ?明日が休みでも運転キツくない?」


 二人とも、小さくはない商談と新規企画とか抱えて繁忙期乗り切った頃だった。


 今しかない。

 今を逃したらまた、次の仕事が入って忙しくなる。

 だから、真理も眠いだろうけど今しか告白するタイミングが思い付かなかったんだ。


 キザかもしれない。だけど、朝日の昇るなか新しい未来に向かって二人で歩き出そうって願いを込めて、この想いを伝えたかったんだ。



 夜の十一時に会社を出て、神奈川まで。夜通し車を走らせて箱根まで登って……。


「真理、起きて。そろそろ朝日が昇るよ」

「んんっ……。良治さん……着いたの?私寝てたね。ごめんなさい」

「良いんだ。俺が行こうって連れてきたんだから」


 二人で、車外に出て朝日が昇るのを見ていたんだ。


「うわぁ!綺麗…………。私、こう言うの直に見るの初めて!」

「本当、綺麗だね。良かった。喜んでくれて……」

 告白、これは緊張どころじゃない。夜通し車を走らせて振られたら、俺なにしてんだ!?って、なるのに……。

 この段になって、そんなことに気付くとか相当重症だな……。


「真理、俺は大学の頃から真理が気になっていた。今は、側にいて良くわかる。俺は真理が好きだ。その……急かも知れないけど、よかったらその、俺と…俺と付き合ってくれ!!」


「本当?本当に…良治さん、私の事…?嬉しい!私も、良治さんの事好きだから…。はい、こちらこそ宜しくお願いします」



 それから、一年半。お互い営業職で、時間の合わないこともしばしばあった。繁忙期何かは、月に一、二度会えれば良い方だった。

 そんな中、仕事がお互いに一区切りを迎えて、ようやく真理とゆっくり過ごせると楽しみにしていたんだ。


 トュルー…トュルー…トュルー…トュルー…。


 真理のスマホが鳴り、見知らぬ電話番号の表示に、一瞬出るかどうか迷う真理。

 市外局番が、真理の実家と同じ町の番号で、真理は電話に出た。


「はいもしもし、はい。そうです…。

 ……えっ?」

 真理の目が電話の内容に驚いたのか、見開かれると、一気にその表情が暗いものに変わっていった。


「………………はい……は……………………わかりました。」


 途中、電話口の返事が途切れ真理の瞳からは、涙が溢れ幾筋も流れ出していた。



 何かあった。


 彼女にとって、良くないことが……。


「うっ……。ふぅぅっ…………」

 電話が終わって通話が切れた後、真理は崩れるように道路に座り込んでしまった。

「どうした?何かあったのか!?」

「りょ……じ……。良治ぃぃ……。父さんと母さんの車が、事故に合って……。ふぅぅっ……。も、危篤だって……」

「病院は!?送ってくよ」


 病院までは、車で片道五時間だった。

 病院に着いたとき、真理の父親は意識不明の重体。母親は還らぬ人になっていた。


 それから真理は会社に休職願いを出して、父親の看病と母親の葬儀を済ませ、書類の整理が終わった頃に、父親も後を追うように亡くなった。



 その頃なんだ。俺が、浅井由依と関係を持つようになったのは。


 真理が、母親の葬儀と父親の看病とに明け暮れている頃。俺は、会社の同僚の石井と居酒屋を梯子していた。


「あれぇ~?同じビルにお勤めの方ですよね?」


 由依は人懐こい笑顔と、親しみやすい空気感の女だった。


「あれ?こんな可愛い子、家のビルに居たっけな?ねね、今ヒマ?ヒマなら俺たちと一杯やらない!?」


 同僚も、彼女と別れて結構になる。浅川の人懐こい笑顔が気に入ったんだろう。




「あれ~?石井さん~寝ちゃったんでぇすかぁ~??」

 由依はとても聞き上手で、石井は由依に情熱的に語り、そのせいかピッチも上がり話は盛り上がった。久し振りに楽しい酒になったんだ。


 タクシーに石井を放り込み、アパートの方向が同じだと言う浅井とタクシーに乗った。


「うぅ~ん…。飲み過ぎちゃいましたぁ~」

 もたれ掛かって来る由依の胸が、腕に当たる感触にドキリとした。


「あ、浅川さん……」

「由依って呼んでください。良治さん……今だけ、今だけだから……」

 潤んだ瞳、艶やかに膨らむピンクの唇が妙に色っぽく見えた。


 酔っていた。人恋しかった。少しぐらい、ほんの一度……。情けないことに、欲に負けたんだ。


 その後も、真理に隠れてズルズルと関係は続いていた。



 それが、始まりだった。




 両親の葬儀が終わり、諸々の処理を済ませて帰ってきた真理は時折遠い目をするようになっていた。

 心ここに在らず。

 両親を突然喪って、その心の傷は簡単に癒えるものでは無い。

 真理の両親は共に一人っ子で、真理自身も一人っ子。他に近い身内はもういない。


 天涯孤独となった彼女は、心の拠り所も痛みを分かち合う相手もいないのだろう。


 俺が、真理の家族に成りたい。真理を守ってやりたいって、そう思ったんだ。

 心から、本当に……。


「真理、俺と家族にならないか?」



 プロポーズは、真理が帰ってきてから二ヶ月後にした。

 真理の両親の一周忌が終わった頃に結婚しようって、そう式場にも予約を入れた。


 だから、由依に別れを切り出したんだ。


「俺と別れてくれ。今後一切、俺と関わらないでほしい。身勝手なのはわかっている。だけど、本当に大切にしたい人がいるんだ……」


「うそ……。だ、駄目よ。別れないわ。だ、だって、私のお腹には良治さんの赤ちゃんが……。私一人で、この子を産んで育てろって言うの!?酷い……」


「赤ちゃん……?」


 その一言に固まった。


 いや、まさか……。ちゃんと避妊はしていたはず……。


 そんなことが過りつつ、何度か酔ってした時の事までは確証が抱けなかった。


「そうよ、赤ちゃん……。良治さんと私の……。だから……お願い。私、この子を産みたいの。良治さんと私の……」


「堕ろすわけには……「嫌よ!折角宿った命なのよ?私から赤ちゃんをとらないで!!」」



 由依は涙を流して、俺に懇願してきた。その姿に、彼女の母性を感じたんだ。男の俺には分からない、お腹に宿った新しい命に対する母性を。

 だから、真理と一緒に成りたいと言う、俺個人の気持ちだけで、由依のお腹の命を奪って良いのか?それが、心に引っ掛かった。


「考えさせてくれ……」


 その後、考えたさ。本当に、好きなのは大切なのは真理だ。真理が好きで、大切だった。

 だけどもし、本当に由依のお腹の赤ん坊が俺の子だったら?


 俺には、由依の主張を否定する根拠が無かったんだ。



 だから、したことの……妊娠させた責任を取って由依を選んだ。






 トュルー…トュルー…トュルー。


『もしもし、良治さん?どうしたのこんな遅くに…』


 真理に婚約解消を謝罪した日。時刻は、夜の12時を超えていた。


「由依……。さっき、真理に婚約解消を伝えた。俺は、君のお腹の子の父親になるよ」


『うそっ!?ほ、本当に?本当に、堂城さんとの結婚、辞めてくれたの?』

 電話口の由依は、信じられないと声をあげた。


「本当だ。俺は、君とお腹の子を選んだんだ。だから、これから宜しくな?」


『りょ、良治さん……う、嬉しい……。私……ずっと不安で……恐くて……だから……』


「もう心配要らないよ、由依。不安にさせてごめん。これからは、由依とお腹の子が俺の大事な人だから……」


『うん……。うん……。私も、良治さんが大事だわ。一番好きなの…良治さんが一番……』


 そうして、翌朝に至るわけだ。



 だけど、真理と婚約解消したとはいえ、それはまだ公じゃない。だから、翌朝早々の由依の態度には、少し戸惑ったよ。


「良治さん。今日から一緒に出社出来る何てぇ、由依嬉しいですぅ♪♪♪」


 ビルのエントランス、出合うと同時にそう言った由依は、それの腕に絡み付いてきた。

 その様子があからさま過ぎて、真理との破局は、昨日の今日だと言うのになんと言うかもう少し期間を開けるとか控える配慮がほしかった。


 なるべく穏便に、真理との結婚が白紙になって、由依と結婚する事になった流れを作りたかったから。あまりこう言う事で目立つのは、後々の査定にも響く恐れがある。


「お、おいやめろよ。真理とは昨日話し合ったばかりなんだから」

「でも、『解った』って、言ってくれたんでしょう?それなら良いじゃない。良治さんは由依の婚約者なんだから!」


 にこにこにこにこ満面の笑顔で由依はそう言った。


「参ったな……本当に」


 降格は流石に無いだろうけど、査定に響く。

 そして、これから先職場での周囲から向けられる目を思うと、胃がキリキリと痛みだしていた。

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