名物

藤村 「『名物に美味いものなし』なんて言葉もあるけどさ」


吉川 「それ昔の言葉でしょ? 最近はそんなことないんじゃない?」


藤村 「そうなんだよ。最近は名物はだいたい美味いんだよ。やっぱり情報の速度が上がったことや流通網などが発展したからだと思うんだけど。むしろ不味いもの探すほうが難しいまである」


吉川 「残らないもんな、不味いもの。積極的に残しておこうって気にならないし」


藤村 「変わったものはある。その地方の文化に根ざした変わったもの、それが結果的に現代的な味付けでない場合もある。でも不味いだけのものはない」


吉川 「不味さを唯一のアイデンティティにしてるのもはや食べ物じゃないだろ」


藤村 「やっぱり地方に行った時はその土地土地の名物を食べたいしさ」


吉川 「そうだね、せっかくだからね」


藤村 「この間九州行ったんだけどさ。名物って言われると、それだけでちょっと美味しさ上がる気がするんだよ」


吉川 「行ったんだ? 美味いもの多そうだなぁ」


藤村 「大体どこに行っても酒は美味いしさ。酒と一緒に食べる名物はこれまた美味いわけだよ」


吉川 「地酒に限らず?」


藤村 「限らず。そもそもビールが美味いから。サッポロでもアサヒでもキリンでも、美味い」


吉川 「それはもうどこで飲んでも美味いやつじゃん」


藤村 「どこで飲んでも美味いものに対して旅という最高の味付けが乗るんだよ? 美味くないわけがない」


吉川 「ただ酒を飲む口実が欲しいだけのやつだ」


藤村 「そうやって考えるとさ、家で食うものって不味いよな」


吉川 「そんなことないだろ。逆張りが極端すぎる」


藤村 「だって家って名物ないじゃん。俺は名物を開発した記憶が今のところないもん」


吉川 「たとえばお袋の味とかそういうのもあるんじゃない?」


藤村 「ない。一個もない。ろくな思い出がない。家族の顔なんて見たくない」


吉川 「重い家庭環境を持ち出さないでくれよ。それは気の毒な話だけど。でも好きで冷蔵庫の常備してあるものとか」


藤村 「ない。微塵もない。冷蔵庫の中は脱臭剤しかない」


吉川 「わびしい! 冷蔵庫が可哀想。なんかあるだろ」


藤村 「うちの名物、脱臭剤かな」


吉川 「それは間違いなく名物ではないよ。でもまぁ、家で飲んでもビールは美味いんじゃない?」


藤村 「ううん? 家じゃ飲まないから」


吉川 「そうかよ。その個人的なルールは全然知らないんだけど。そんな全部否定してこられたら何も言えないよ」


藤村 「家にはもう味の概念がない」


吉川 「あるだろ! 何かは食べるだろ。コンビニで買ったやつでも、お菓子でも」


藤村 「食べても記憶に残らない。なんか食べなきゃ死ぬからしかたなく食べてるだけ」


吉川 「もう鬱病一歩手前みたいな状態じゃん。大丈夫か?」


藤村 「だからこそ名物を食べたい。名物だけが俺を救ってくれる」


吉川 「名物に対してそんな命がけのやついないよ? 軽い思い出くらいしか受け止める度量ないぞ、名物には」


藤村 「できれば栄養価が高く、それだけ食べてれば生きていけるような名物がいい」


吉川 「名物に要求する注文じゃないんだよ。もっと名物なんて食っても食わなくてもいいものなんだから」


藤村 「でも地元では名物に依存してる人もいるだろうし」


吉川 「経済的にな! 食として名物に依存してるやつなんていないよ。名物もそんなもの背負わされたくないだろ。その九州に行った時は何食べたんだよ?」


藤村 「熊本では馬刺し。あと鹿児島ですっごい美味いサツマイモを食べてさ。違うんだよね、地元のやつは」


吉川 「いいじゃん。肉に芋に栄養価もバッチリだ。もうそれを食えよ。東京でも取り寄せで食べられるから」


藤村 「神話とか民俗学に興味があったから帰りに島根に寄ったんだよ。ついでに鳥取で梨食べた。ちょうど季節だったから」


吉川 「それも取り寄せろ。季節じゃなくても加工品があるだろ。ジャムとか。家でもそれ食べてればいいから」


藤村 「やっぱり名物は馬芋の梨だなぁ」



暗転

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