重要な場面

吉川 「さぁ、解説の藤村さん。ピッチャーの笹咲としてはここはリードを守りたいところ、ここは重要な場面と言えますでしょうか」


藤村 「いいえ。言えませんね」


吉川 「え? 言えない? あ、そうですか」


藤村 「はい、重要な場面とは言えません」


吉川 「しかし一発が怖いところ。ここを抑え込めるかどうかがこのゲームの鍵となるといってもよろしいですよね?」


藤村 「いいえ、なりませんね」


吉川 「あ。なりませんか。え? 重要じゃないですか?」


藤村 「はい」


吉川 「でも打たれたら困りますよね」


藤村 「いいえ、私は全然」


吉川 「いや、その。藤村さんが個人的にというわけではなく、チームとして考えて」


藤村 「そうでもないと思います」


吉川 「そうでもない? しかし残りの試合数などを考えてもここは勝っておきたいところですね?」


藤村 「相手チームは負けたいとでも?」


吉川 「そうじゃないですけど。どちらのチームも全力で戦えたらとは思いますし、そういった意味では重要なのでは?」


藤村 「こんな場面以外にももっと重要な場面はありますから」


吉川 「ま、それはそうですけど。ピッチャーの笹咲にとって、ここは結果を残したいところですよね」


藤村 「それは本人に聞いてみないとわかりませんね」


吉川 「そうですけど! それはそう。全部そう。だけど結果は残したいじゃないですか」


藤村 「あなたが?」


吉川 「私じゃなくて、笹咲が!」


藤村 「なんかそういう心を読めるような能力者なんですか?」


吉川 「心を読んだわけじゃなくて。ピッチャーならこの場面で踏ん張りたいと思うのではないでしょうか」


藤村 「あまり無責任な決めつけはよくないと思いますけど」


吉川 「そんな真っ直ぐな正論を。確かにそうですけど、応援している人の気持ちとしてもですね」


藤村 「応援する方々だってそれぞれだと思いますけど? すべての人が同じような応援の仕方をしていると断じるのは偏見ではないですか?」


吉川 「すごいセンシティブな問題に踏み込むような形で返してきますね。ともかく頑張って欲しいという気持ちは共通じゃないですか」


藤村 「自分よりも遥かに高給を取ってる者が失敗して罵倒される様を見たくて見ている人もいるのではないでしょうか」


吉川 「いるかも知れないけど、あんまりそこに光を当てないでくださいよ。そりゃいるかも知れないけど、放送の場では見て見ぬふりをするべきでしょ」


藤村 「そうですか。それはすみません」


吉川 「いや、そんな素直に謝られるとこっちが悪いような感じになっちゃう。その多くの人が固唾をのんで見守っているこの場面はやはり重要な場面ではないでしょうか」


藤村 「いいえ、そうは思いませんけど」


吉川 「折れないな! なんで? 重要でしょ」


藤村 「人生にはもっと重要な局面もあると思います。笹咲選手もここがどんな結果になろうとも勝ち負けのある勝負の一場面に過ぎませんから。それよりも引退したあとの生活や結婚子育てなど、これからも多くの重要な場面があるはずです。それは他の人と同じように」


吉川 「そうでしょうけども! そんなことを考えて野球解説する? 引退したあと焼き鳥屋を開くかどうかの判断の方が確かに人生においては重要かもしれないけどさ! 今この試合のことを実況解説してるんだから」


藤村 「そうですか。すみません」


吉川 「割とすぐ謝るな。ここはチームとしても大切な場面ですよね」


藤村 「いいえ」


吉川 「絶対に飲まないな! なんで? 素直にハイって言ってくれれば、何にも引っかからずに楽しく実況できるのに」


藤村 「しょせん野球ですよ? どのチームが勝とうと負けようと、野球が好きな人にとってしか意味のないことじゃないですか」


吉川 「解説に一番あってない人選!」



暗転

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