退避

吉川 「総員退避!」


藤村 「ですが艦長!」


吉川 「なにをもたもたしている、総員退避だ!」


藤村 「いいのですか?」


吉川 「こうなっては仕方あるまい」


藤村 「でも艦長はこの艦と最後を共にするつもりでは!?」


吉川 「え? 総員と言ったら総員だよ。俺も含めて」


藤村 「この艦もロートルながらよくやってくれた。ここを生き延びたとて長くはあるまい。一人で逝くのも寂しかろう。というお気持ちなのでは?」


吉川 「いや、まだ全然退避に間に合うだろ。なに微妙に阻んでるんだよ。ちょっとどきなさいよ」


藤村 「いいえ、私も最後に艦長のお気持ちを尊重したいと思います」


吉川 「だから退避するって!」


藤村 「艦長ならば艦とと最後を共にすると言うと思ってました」


吉川 「言わないよ。意味ないだろ、俺が一緒に沈んだって」


藤村 「いいんですか? このまま退避したら艦を沈めた無能扱いですよ? 一緒に沈めば英雄っぽくなるのに」


吉川 「命の方が大事だろ」


藤村 「映画化間違いなしですけど」


吉川 「ならないだろ。そんな簡単に映画にはならないよ。なっても面白くないだろ、見どころどこなんだよ」


藤村 「艦長が泣き叫びながら沈んでいくところですかね」


吉川 「だったら映画なんかにならないほうがマシだよ。どいてよ」


藤村 「こんなこともあろうかと、これを用意してました」


吉川 「なに? 色紙?」


藤村 「艦のみんなからの寄せ書きです」


吉川 「寄せ書き! さよならとか書いてあるじゃねえか! なんだよこの『海の底でも元気で』って元気でいられるわけないだろ。何を用意してるんだよ」


藤村 「頼んだらみんな快く書いてくれました」


吉川 「どういう心理状態で快くこれを書くんだよ」


藤村 「あとこんなこともあろうかと、これも用意しました」


吉川 「なんだよ、この紙は。なに? 広げるとなにかあるの?」


藤村 「水に濡れると破れる下着です」


吉川 「どんなことがあろうかと思ってたの!? これを活用するチャンスって世界で一度でも訪れたことある?」


藤村 「最後のドキドキハラハラを味わってもらえるかと」


吉川 「死ぬんだろ? 艦と共に沈むって。死ぬ時のドキドキハラハラでもう目一杯だろ。他のドキドキ要素が入り込む余地はないんだよ」


藤村 「羞恥心は別腹ですから」


吉川 「何言ってるの? あぁ死ぬってこれまでの人生を振り返りながら、いやぁ~ん丸見えになっちゃうって気持ちを維持できる? そんな別腹のやつ怖いよ」


藤村 「あとこんなこともあろうかと」


吉川 「それがいらないんだよ! なんで艦と一緒に沈むこともあろうかと考えてるんだよ。考えるなよ! 頼むからどいてって」


藤村 「いいえ、どきません! 私は艦長の勇姿をみんなに伝える役割が残ってますから」


吉川 「伝えなくていいだろ、一緒に行けば」


藤村 「それでは艦長のご意志を踏みにじることになります」


吉川 「誰の!? 艦長のご意志をは俺の意志じゃないの?」


藤村 「みんな艦長ならばそうするだろうと思ってます。今更ノコノコと出ていったら赤っ恥もいいところですよ?」


吉川 「俺の意志を俺抜きで勝手に尊重しないでくれる? いいよ、赤っ恥でも。生きてる方が」


藤村 「よろしいんですか? 生きてても今後ろくなことはないですよ?」


吉川 「なんでお前がそう断言するんだよ。あるよ」


藤村 「生き恥ですよ?」


吉川 「いいよ! 生き恥だろうがなんだろうが生き抜いてやるよ。ほら、退避するぞ」


藤村 「艦長がそんな恥をかくならいっそのこと!」


吉川 「物騒なこと言うなよ! いいんだよ、恥は甘んじて受けるから」


藤村 「だってそんな! 水に濡れて破れる下着で逃げるだなんて」


吉川 「これは別に着ねえよ!」



暗転

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