メロス

藤村 「走れメロスのさ、最後に殴り合う場面があるじゃん? あそこなんか胸糞悪くなるんだけど」


吉川 「メロス、俺を殴れ! ってところか。あんまり注視したことなかったけど、お互いの友情を確かめ合うみたいな感じだろ」


藤村 「現代的価値観だと無用な暴力描写に思える。別に殴らなくてもいいだろ」


吉川 「そう言っちゃそうなんだけど、あえて痛みを伴うような行為をすることで育まれるホモソーシャル特有のなにかがあるんじゃないの?」


藤村 「全然わからない」


吉川 「例えばファイトクラブって映画知ってる?」


藤村 「ブラッド・ピットのやつ? 見たよ。全然思った映画じゃなかった。もっとロッキーみたいな話かと思ってたのに」


吉川 「あれもさぁ、金があるとかSNSのいいねみたいな幻想のような他人の評価なんかよりも、己の身体に刻まれる感覚こそが生命の輝きだ、みたいな話だろ。多分なんかあるんだよ、殴ることにも意味は」


藤村 「そこまでいうなら一回殴らせて」


吉川 「俺が!? 嫌だよ」


藤村 「だってお前が言ったんじゃん。暴力でしか味わえないなんかがあるんだろ?」


吉川 「俺がっていうか、そういう考えもあるってだけで」


藤村 「俺は暴力が嫌だと主張してたのにお前は頑なに反論してきたじゃん。暴力にはいい面もあります! みたいな」


吉川 「そんな事は言ってない。曲解もいいところだよ」


藤村 「俺はそんなお前の言葉の暴力に屈したんだ。悔しいが俺の負けだ。さぁ、殴らせてくれ!」


吉川 「殴られたくて言ったわけじゃない」


藤村 「自分の言葉に責任を持てよ!」


吉川 「言ってない言葉の責任を負わせるなよ!」


藤村 「わかった。じゃあ、お前が殴れ」


吉川 「えー!」


藤村 「殴られるのは嫌なんだろ? じゃあ殴ってくれよ。それでわかるんだろ?」


吉川 「わかるかどうかわからないよ! 俺だって実感したわけじゃないから」


藤村 「やってみなきゃわからないだろ。俺はもう覚悟できた」


吉川 「そりゃ殴られるよりはいいかもしれないけど、嫌だよ。やったことないもん」


藤村 「それはお互い様だ。やってなにもなかったらなにもなかったで、俺の説が実証されるから損はない」


吉川 「そういうものか? どうしても?」


藤村 「あれだぞ? わざと軽くやるのなしだから。それじゃ意味ないし、意味のない殴られは損だから。一回は一回なんだから思いっきりやって」


吉川 「どこ? お腹?」


藤村 「普通顔じゃない?」


吉川 「顔は無理だろ。なんかあったらどうするんだよ?」


藤村 「そのくらいだから意味があるんじゃないの? なんにもないならそもそもやる意味がないんだよ。そりゃ痛いだろうしマイナス面しか考えられないよ。でも俺たちの知らないプラスのことがあるかもしれないからチャレンジするんだろ」


吉川 「顔かぁ。グーだよね?」


藤村 「平手だとなんか暴力よりも憎しみみたいなのが乗っちゃうか。グーだな」


吉川 「じゃいくよ? いくけど、本当にいくから耐えてよ? 大丈夫?」


藤村 「来て。早く来て。もうこの時間が怖いから。もう来て!」


吉川 「ぅおらっ!」


藤村 「……っつぅ! ぁあ」


吉川 「くぅあ。なんか変なところで殴ったかも、指が開かない」


藤村 「ちょっと待って。いてぇけど。ちょっと待って」


吉川 「俺も。あー、動くか。人殴ったの初めてかも」


藤村 「あー、痛! 痛いわ。痛いけど、なんか痛いの直前になんかがあった気がする」


吉川 「実感みたいな?」


藤村 「もうなんかそれもわからない。今は痛いだけ。でもなんか、わかんないけどなんかあるかも」


吉川 「あるんだ。俺もなんかあった。わかんないけど」


藤村 「感覚的なことだから上手く言えないんだけど、痛みもあるし実感もあるな。メロスの気持ちもわかったわ」


吉川 「俺もファイトクラブもう一度見たくなった」


藤村 「次は王様の気持ちも知りたいから一回だけ処刑していい?」



暗転

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