藤村 「まずは何を握りましょうか?」


吉川 「じゃあまず、そうだなぁ。コハダいいですか?」


藤村 「お、通ですね」


吉川 「あ、通ですか? そんなつもりはなかったんですけどね」


藤村 「……」


吉川 「無視? なに、この間」


藤村 「……」


吉川 「手も動いてない」


藤村 「……すみません、別に通じゃありませんでした」


吉川 「考えてたんだ! 真面目な人! ごめんなさい、なんか問い詰めちゃって」


藤村 「いいえ、つい流れで口が滑ってしまって。よく考えもせずに。通でもないのに通だと言ってしまって。本当になんであんな事を言ってしまったのか」


吉川 「そこまで深刻に思い悩まないで。あと通じゃないって言われるのもあんまり気持ちよくないな」


藤村 「全然通じゃないのに。すみませんでした」


吉川 「全然通じゃないかどうかはまだわからないじゃない? ひょっとしたら通の可能性もまだ残されてるでしょ」


藤村 「いいえ。入ってきた瞬間、顔を見て通じゃないと判断すべきでした。何年寿司屋やってるのか、恥ずかしい限りです」


吉川 「それはしない方が良かったな。失礼だもん。顔を見て判断するのは」


藤村 「でも通ではないですよね?」


吉川 「うん、まぁ。そこまで言われて貫き通せるほど通ではないかな」


藤村 「やっぱり。通じゃない面引っ提げてますもん」


吉川 「顔で判断するのよしな。よくないよ、それは本当に」


藤村 「でもこれはお互いのためですから。考えてみてください、通だと言われるとそれ以降の注文が通であることを意識しすぎて面倒くさいのばっかりになっちゃうじゃないですか?」


吉川 「あー、それは確かに! そうかもしれない。なんか大トロとか軽率に言えなくなっちゃうな」


藤村 「大トロなんてミーハーの極みですからね。サーモンも。こっちとしてはいくら良いものでも通の人に出すのは気が引けちゃう。凄い短い季節しか食べられない聞いたことない気持ち悪い魚とかばっかりになっちゃう」


吉川 「わからなくもないですけど、寿司屋のあなたは気持ち悪い魚とか言わないほうがいいんじゃない?」


藤村 「気持ちいい魚出したいですもん」


吉川 「気持ちいい魚っていうのも気持ち悪い言い方だな。ただまぁ、どうせなら肩肘張らずに楽しみたいからね。だったら通じゃなくてかえってよかったのかな」


藤村 「そうですよ。こっちもどうせコイツは味なんかわからないから何出したっていいだろ、と思った方が変に肩に力が入らずにやれますから」


吉川 「いや、待ってくれ。え、そんな風に思うの? 通じゃないってだけで?」


藤村 「まぁ、その面じゃ舌の方もたかが知れてるだろうなって思いましたけども。違いますか?」


吉川 「違いますかって確認? それ本人に対してする? こっちもそんな直球で来られるとどう答えていいのか窮するよ。多少は分かるよ」


藤村 「通でもないのに?」


吉川 「通じゃなくてもわかるだろ。間があるだろ。通以外は生ごみ処理機みたいな極端さはおかしくない?」


藤村 「でもどうせなら良いネタはバカ舌じゃないお客さんに頂いてほしいので」


吉川 「決めつけるなよ、バカ舌って。そんな対応なら通だと思われてた方がよかったよ」


藤村 「もう通じゃないってバレてるんで無理です。ギョニソでもいいかなって思ってますし」


吉川 「魚肉ソーセージ? ダメだろ。寿司屋で。そもそも仕入れるなよ、それを」


藤村 「ギョニソはギョニソでもちょっといいギョニソなんで。シールとかオマケに付いてくるし」


吉川 「オマケに気を引かれて仕入れをするなよ! プロだろ!」


藤村 「あとはまかないのカレーとかなら味がわかるかな?」


吉川 「まかないにそんな匂いの強いもの作るなよ。カレーはよそに食べに行け」


藤村 「いや、レトルトなんで」


吉川 「まかなってすらないだろ! ただの食事だ。家に帰ってから食え!」


藤村 「でも箱についてるポイントを集めると特製バインダーがもらえるんで」


吉川 「オマケに! オマケに支配されてるなよ! 別にプライベートでどうしようと構わないけど、寿司屋の客に対してその余りを処理させるなよ」


藤村 「でも今日は本当にいいネタばっかりなんで」


吉川 「だったらそれを出せよ! なんで出し惜しみしてるんだよ! あるだろ、そこに並んでるの! それを! それをよこせ!」


藤村 「あ、やめてくださお客さん。勝手に手を伸ばさないで」


吉川 「お前が出さないからこうして奪うしかないんだろうが!」


藤村 「お客さん、ひょっとして通じゃなくてスリですか?」



暗転

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