歌う

藤村 「いらっしゃいませ。歌う鉄板焼にようこそ」


吉川 「歌うアイスクリーム屋ってのは聞いたことあったけど、鉄板焼もあるんだな」


藤村 「こちらメニューになります」


吉川 「うわぁ、迷うな。じゃあ、この厚切り肉のやつ」


藤村 「ウッス」


吉川 「ウッス? あと海鮮のやつもいいですか?」


藤村 「ウス」


吉川 「お店に入ってきた時から思ってたけど、結構モソモソ喋るな」


藤村 「海鮮すね」


吉川 「暗いな。全然歌を歌うような雰囲気じゃない。一体何があったんだ」


藤村 「感染症対策ス」


吉川 「あー。こんなところにも影響が」


藤村 「歌うとクレーム入れてくるお客さんもいるんで、許可がない限り歌えないんです」


吉川 「いいよ! 歌ってよ! ちょっと楽しみにしてたんだから」


藤村 「いいんすか?」


吉川 「全然いいよ。元気いっぱいにやってよ。それでこそ料理が美味しくなるってもんだよ」


藤村 「じゃ、歌います。毎日毎日熱々鉄板の~」


吉川 「泳げたいやきくんみたいの始まった。歌も暗い。しかも独唱。他に従業員いないのかな。今のところ一切楽しげな空気がない」


藤村 「シフトも埋まらず残業続き~、働けど働けど我が暮らし~」


吉川 「悲惨な労働歌みたいになってきた」


藤村 「悲しみ苦しみ背負いながら進む旅路~、希望のなさが重くのしかかる~」


吉川 「メッセージ性が重い! もっとただ陽気なだけの明るい歌詞であって欲しい。違う曲ない?」


藤村 「別のがいいですか? Ah~、俺たちゃ資本の奴隷~」


吉川 「それもダメだな。一人称が『俺たちゃ』なのキラキラしない。海賊とかしか歌わないやつだよ」


藤村 「久しぶりなんで詰め込みすぎましたかね?」


吉川 「鬱憤溜まってたんだ。辛いのは同情するけど、サービスとしてやってるんならもうちょっとなんとかならない?」


藤村 「元々労働の辛さを紛らわすために歌い始めたんで」


吉川 「そうだったの!? ブルースの発祥みたいな。アイスクリームとはぜんぜん違うやつなんだ」


藤村 「歌ってでもいないと意識が保てないんで」


吉川 「過酷! 軽い気持ちで立ち寄って耳にするエピソードじゃなかった」


藤村 「すみません。ここからは合いの手お願いできますか?」


吉川 「俺が? 客がやるの?」


藤村 「はい。私がこう手を上げたら「アツアツ!」って言ってください。鉄板焼きなんで」


吉川 「ちょっと恥ずかしいけど、やってみようかな」


藤村 「はい!」


吉川 「アツアツ! ……あ、まだ? アツアツ! アツアツ! アツアツ! アツアツ! いつまでやらせるの!?」


藤村 「ちょっと思ったよりもノッてたのでお任せしちゃおうかと思って」


吉川 「お任せするなよ。歌部分を。合いの手だろ?」


藤村 「いいですいいです。リードボーカルやっても」


吉川 「知らないんだよ、歌を。初めて来たんだから。アツアツしか知らない。アツアツもなんだかよくわからないし。店員が黙って鉄板焼してる前で一人でアツアツ言ってたら気が狂ったと思われるだろ」


藤村 「あ、まだだったんですか?」


吉川 「もう気が狂ってると思ってたの? 正気だよ! 正気のままアツアツやってたんだよ。そんな客の身にもなれよ!」


藤村 「次、海鮮いくんでプリプリもお願いできますか?」


吉川 「しないよ! もう十分だよ! 二度とそんな生き恥をかきたくない」


藤村 「エビもモサモサになっちゃいますけど?」


吉川 「俺のプリプリは別に料理に貢献しないだろ! そっちで上手いことやれよ」


藤村 「じゃ、最後に一つだけ。コール&レスポンスで私が『アー・ユー・レディ?』と聞いたら『イェー!』だけもらえますか?」


吉川 「絶対にやんなきゃダメなの?」


藤村 「どうしても嫌だと言うならしょうがないですけど、何があっても知りませんよ?」


吉川 「何があるんだよ! イェーと言わないことに。そっちのさじ加減でなんとかできること以外起こらないだろ。わかった。言うよ。最後だよ」


藤村 「はい。じゃあ焼いていきます!」


吉川 「うん」


藤村 「はい。お待たせしました。お熱いうちにお召し上がりください」


吉川 「……うん?」


藤村 「……」


吉川 「……」


藤村 「……」


吉川 「いや、アー・ユー・レディは!? ちょっと緊張しながら待ち構えてるんだけど!」


藤村 「あ、それはお会計の時にうかがいますので」


吉川 「どんなタイミングだよ!」



暗転

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