催眠術

藤村 「催眠術なんて本当に掛かけられるんですか? 信じられないな」


吉川 「最初は皆そう言いますね。では今から掛けますので、リラックスしてください」


藤村 「うぉぉぉ! 何だこのやる気は! 心の奥からやる気が満ち溢れてきた! ありがとうございます!」


吉川 「いえ、まだ掛けてません」


藤村 「まだ? この無尽蔵のやる気は?」


吉川 「それはあなたの持ち前のやる気です。今はしまっておいてください」


藤村 「あ、そうなのか。てっきり即効性の催眠なのかと」


吉川 「ではまずゆっくりと右手を握ってください」


藤村 「うわぁぁぁあ! 右手が開かない! なんでー!? ガッチガチに固まってる。もう絶対無理だわ。力じゃダメ! なんでなんだ!?」


吉川 「いえ、まだ掛けてません」


藤村 「まだ? だってこの右手。あ、開いた」


吉川 「手、ベタベタじゃないですか。何握ったんですか?」


藤村 「なんだろ、生まれた時からこうだったのかな」


吉川 「それは途中で気づくでしょ、この年になるまでに。ちゃんと洗ってくださいよ」


藤村 「なんだ、俺の持ち前のベタベタだったのか」


吉川 「ベタベタを持ちまわないでよ。いきますよ、右手をそのまま伸ばして」


藤村 「キタキター! もう曲がらない! 絶対曲がらないやつ! ガッチリしてる」


吉川 「まだです。あと曲がらないやつを掛けたわけじゃないから」


藤村 「あ、本当だ! なんか右腕の肌が? スベスベに?」


吉川 「なってませんよ。肌のスベスベは催眠でどうこうできないです」


藤村 「待って待って。わかった! 右腕の? 血管を血が逆流してるとか?」


吉川 「そんなことになったら一大事でしょ。催眠術師より医者を呼んでください」


藤村 「ヒント! ヒント頂戴!」


吉川 「だからまだだって、まだ掛けてないの。反応しないで」


藤村 「なるほど! もう掛かってるのにまだ掛かってないという催眠をかけられたから、本当は掛かってるのに掛かってない気がしつつ、でも身体は正直だからそのアンビバレンツにどうにかなっちゃうってやつ?」


吉川 「なにそれ! 掛けてないと言ったら掛けてないんだよ。勝手にそっちで盛り上がらないでよ」


藤村 「うわあああ! 本当だ! 掛かってない! 催眠に掛かってない! 絶対に掛かってないんだ!」


吉川 「そういうのじゃないんだよ。普通だろ、催眠に掛かってないのは。その状況をそんなダイナミックに受け止めるやついないんだよ!」


藤村 「普通だー! 普通に生きてるー! まさかこの俺が普通に生きられるとは!」


吉川 「どんな生き様だったんだよ! その催眠の掛け方もわからないよ。あなたは普通になります、なんて失礼で言えないだろ」


藤村 「あ、そっか。じゃ、まだ普通じゃないのか。確かに今すぐ人の眼球に針を刺したいな」


吉川 「そんな闇を抱えるなよ! もうそれは催眠じゃなくて拘束されて治療を受けろよ」


藤村 「この沸々と湧いていくる殺意は一体!?」


吉川 「だからそれは持ち前のだって。掛けないよ、人に殺意を持たせる催眠なんて。こっちだって危ない」


藤村 「わかった! 右腕の方が左腕よりちょっと長くなってる?」


吉川 「急に遡るなよ! 腕のやつは何もしてないんだよ! 人格幾つもあるのかよ!」


藤村 「うぉおお! やる気がー!」


吉川 「なんでやる気抑えられないんだよ。もうそんな相手に何も掛けられないよ」


藤村 「ひょっとして、我は神?」


吉川 「神じゃないよ! 神になる催眠も掛けてないよ! 妄想が突っ走りすぎてるだけだよ」


藤村 「焦ったー。一瞬、願い叶えそうになっちゃったよ」


吉川 「ならないでしょ。そんな規格外の瞬発力を見せないでよ」


藤村 「やっと右腕が元の長さに戻ってきた」


吉川 「もうそれでいいよ! その右腕を維持してて!」


藤村 「あ、なんかちょっと勃起してきたかも」


吉川 「関係ない! 催眠は無関係! なんでちょっと勃起してきちゃうんだよ! この状況でどんな刺激があるんだよ!」


藤村 「あ、やっぱりしてないかも。ちょっと確認してもらえる?」


吉川 「絶対に嫌だよ! 確認しても何もないだろ! してようがしてまいが知ったこっちゃないんだよ! 勝手になったとしても自分の中で抱えておけよ」


藤村 「もう催眠で疲れてきちゃった」


吉川 「掛けてないんだよ! 正直ここまで上手くいかないの初めてだよ。自信喪失してきたよ」


藤村 「はいっ! この瞬間からあなたは催眠を掛けられるようになります!」


吉川 「本当に? 信じられないなぁ」



暗転

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