忠告

藤村 「忠告しておく。私を怒らせないほうがいい」


吉川 「そうやって、脅せば引くと思ってるんですか?」


藤村 「どうなっても知らんぞ」


吉川 「覚悟の上です」


藤村 「物に当たるタイプだぞ」


吉川 「ん? 物に?」


藤村 「そうだ。私は怒ると物に当たる。もうキィー! ってなるとすぐに物を殴ったりする」


吉川 「別にそれだったら全然思ってたよりいいですけど」


藤村 「いいのか? 見ろ、この手を」


吉川 「それは一体?」


藤村 「骨折。手首。やったのは一年前だけど未だに調子が悪い。この年になると怪我の治りも遅いんだ」


吉川 「メチャクチャ自業自得じゃないですか」


藤村 「それでもいいのか? どうなっても知らんぞ」


吉川 「それでもって、こっちはそんなに困りませんが。まぁ、穏便に済ませられるならそっちの方がいいに決まってますけど」


藤村 「ならば私を怒らせない方がいい」


吉川 「そうは言ってもですね! このままじゃ弊社の体力は保たないし、そうなったら困るのは契約しているお宅の方でもあるんですよ」


藤村 「ならばどうすればいいというのだ?」


吉川 「今すぐ決断してください!」


藤村 「忠告しておく。私にプレッシャーをかけない方がいい」


吉川 「え?」


藤村 「もうそうなっちゃうと、ワーってなって全部どうでも良くなっちゃうから」


吉川 「いや、決断するのが仕事じゃないですか」


藤村 「物にも当たるぞ?」


吉川 「また物に。骨折することでおなじみの」


藤村 「二年前は左手をやった」


吉川 「両刀で? 左右どちらでも当たれるタイプなんだ」


藤村 「いいのか? 私が全部どうでも良くなっちゃっても」


吉川 「それはよくないです。ちゃんとやってください」


藤村 「ちゃんとやってくれか。随分と大きな口を叩くな、まだ仕事の何たるかも知らない小童が」


吉川 「そんなに大きいですか? ちゃんとやるべきでしょ、仕事なんだから当たり前です」


藤村 「この世の中に当たり前のことなんてないんだよ。まだキミには難しいかもしれないが」


吉川 「その通りですよ。自分でも未熟さは自覚してます。だけど、それでも自分のやるべき仕事というのは理解しているつもりです」


藤村 「かつて私にもキミみたいな頃があった。そうやって真っ直ぐで、全力でぶつかりさえすれば扉は開くと思っていた。だが大人の世界というのは、そんなに簡単なものじゃない。ぶつかっていった若い頃の私は、そのまま骨折した」


吉川 「また骨折。例え話じゃなかったの? 物理的に本当に扉にぶつかっていったの?」


藤村 「そうだ。かつてのキミのように」


吉川 「いや、私はそんなことはしてないですけど」


藤村 「まだ考えが幼いな。キミを見てると若い頃の自分を見てるようだ。そんな柄のネクタイも持ってたし」


吉川 「見た目の話? だったらこっちの言い分もわかっていただけますよね?」


藤村 「わかる。キミもこの私の面倒くさい気持ちをわかりたまえ」


吉川 「え、面倒くさいから? 面倒くさいから迷ってたんですか?」


藤村 「大人の世界というのは、そういう面倒くさいことで雁字搦めなんだよ。昨日だって面倒くさくてお風呂に入ってない」


吉川 「それは入りましょうよ。仕事と何の関係もない。ただの個人の怠惰。お風呂にも入って、仕事もしてください」


藤村 「最後の忠告だ。これ以上私にお母さんみたいに言わない方がいい」


吉川 「こっちもお母さんみたいに言うつもりはなかったですよ」


藤村 「せっかくやろうと思ってたのに先に言うんだもん。もう全部やる気なくなった」


吉川 「そっちが幼いじゃん」



暗転

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