刑事

藤村 「それではお手間を取らせました。これだけ調べれば課長にサボってると思われずにすみます。おっと、そうそう。あともう一つだけよろしいですか?」


吉川 「なんだね、藤村くん。君の魂胆はわかってるよ。そうやって間抜けな刑事のふりをして私を油断させる。君がなかなかの食わせ者だな。私を疑っていることもね!」


藤村 「吉川先生を? とんでもない! これはあくまで慣例で誰にでも同じように聞いてるんです」


吉川 「まぁいいだろう。なんだね?」


藤村 「一つだけ腑に落ちないことがあるんですよ。あたしはこういうのが引っかかるとどうも他のことが頭に入らなくなっちゃう。昨夜もかみさんとテレビを見ていた時にですね……」


吉川 「藤村くん! 私は市民の義務として警察に協力は惜しまないが、決して暇だというわけじゃないんだよ」


藤村 「あぁ、すみません。実はネクタイなんです」


吉川 「ネクタイ? それがどうかしたのか?」


藤村 「被害者のネクタイの結び目なんですがね。普通に締めると結び目がこっち側になるはずなんです。でも死体の締めていたネクタイは逆だった。こりゃ一体どういうことでしょうね?」


吉川 「ははは。まったくそんなことか。さっき君が自分で言っていただろう? 被害者は左利きだと」


藤村 「そうなんですがね。でもこの写真見てください。被害者の前日の写真です。これを見ると正しく結ばれてます。さらに殺される四日前の写真。こっちもほら、見難いですけど確かに結び目は正しいんです」


吉川 「まったく、君は随分細かいことが気になる質のようだね。私も家内の機嫌のいい時はネクタイを締めてもらうこともある。おおかた秘書にでも結んでもらったんだろ。よくあることだよ」


藤村 「なるほど。さすが先生。これで腑に落ちました。秘書にね、さっそく当たってみましょう。……待てよ? そうなるとおかしなことになりますね」


吉川 「なんだね。秘書じゃなかったとしても、周りの誰か他のものだっていただろう」


藤村 「いえ、そうなんですが。だとするとその人がネクタイを結んだ時、被害者が全裸でローションまみれだったから相当結びづらかったはずなんですが」


吉川 「待って? どういうこと? 被害者は全裸でローションまみれだったの?」


藤村 「はい」


吉川 「はい、じゃねーよ。君は一つだけ腑に落ちないことがあるって言ってたよな? 全裸でローションまみれでネクタイを締めてた死体に対して、結び目が逆だなぁってそこのみ気になってたの?」


藤村 「いえ、ですがね。先生。前日の写真も四日前の写真も結び目は正しかったんですよ」


吉川 「聞いたよ、それは。でももっと気になることあるだろ。全裸でローションまみれを素通りしてネクタイの結び目を気にするの?」


藤村 「でも先生。個人の趣味の場合もありますから」


吉川 「全裸でローションまみれが個人の趣味のでまかり通るのにネクタイの結び目は絶対に理由がないと通れない? どんな関所なの?」


藤村 「どうもあたしは細かいことばっかり目が行っちゃう質なんですよ。かみさんにも散々言われていて」


吉川 「そういう問題じゃないよ。全裸でローションまみれの理由をまず調べるだろ。順序として!」


藤村 「こいつは見落としてたなぁ。さすが先生」


吉川 「見落とす? 警察全員? バカしかいなかったの?」


藤村 「今なんとおっしゃいました?」


吉川 「バカをバカと言って何が悪い。こんなのは時間の無駄だ」


藤村 「確かに先生のおっしゃるとおり、警察も関係者も全員ローションまみれなことを見落としてました。なぜならよくあることだからです。しかしその事実を知らないものがいる。それは先生、犯人自身です」


吉川 「そんな追い込み方あるか? よくはないだろローションまみれは」


藤村 「私のコートの下も、ほら」


吉川 「藤村くん、すごい追い詰め感を出してるけどね。この筋で自白まで持っていくのはさすがに無理だよ」


藤村 「無理ですかね?」


吉川 「よくいけると思ったな」



暗転

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