バッテリー

藤村 「タイム!」


吉川 「……どうした?」


藤村 「大丈夫か? 落ち着いてるか?」


吉川 「落ち着いてるよ。そんな事聞きに来たのか? もういいからポジション戻れよ」


藤村 「球に迷いが出てる。それがわからない俺だと思ってるのか?」


吉川 「そんなことないよ! 今日は調子もいいし」


藤村 「そんなことなくはない! ダメだ! このままじゃ次打たれるぞ?」


吉川 「なんでだよ」


藤村 「だから迷いが出てるんだよ。球だけじゃない、グローブにも出てるし、なんだったら審判にも出てる」


吉川 「審判に出てるのは違うだろ。なんで審判が迷ってるんだよ。それは抗議しろよ」


藤村 「俺も迷ってたよ。この球場、駅からだと分かりづらいし」


吉川 「道に? それは試合と関係ないだろ。迷ったからなんなんだよ」


藤村 「試合始まる前に着いた時点ですごい疲れちゃってた。もうチーム全員」


吉川 「だから現地集合やめようって言ったんだよ」


藤村 「それに比べて相手チームは遠征バスでビタッと到着してたよ。始まる前から勝負は決まってる」


吉川 「関係ないだろ。それはそれで全力で戦えよ」


藤村 「監督も迷ってたよ」


吉川 「どういうことだ? 俺の起用を?」


藤村 「この近くにヤレるという噂のガールズバーがあるって知って、終わったあと行こうかどうか迷ってるって」


吉川 「それをなんで俺に言うの? 勝手に迷ってろよ」


藤村 「俺は行くって決めてる。もう聞いた時点で即決」


吉川 「迷いのない情報もいらないんだよ!」


藤村 「よし、大丈夫だな。次は四番だが内角低めが弱い」


吉川 「わかってる。シュートだろ?」


藤村 「それなんだけど、迷ってないか? 大丈夫か?」


吉川 「迷ってないよ! しつこいな!」


藤村 「シュートってどっちに行くのか迷ってないか? 右? 左? 急にわからなくなってないか?」


吉川 「そのレベルで迷わないだろ。今までずっと投げてきただろ」


藤村 「あれ? そもそも右ってどっちだっけ? なんか緊張するとわからなくなっちゃって」


吉川 「お前が迷ってるのかよ。ミットつけてない方の手だよ! 右利きだろ」


藤村 「だとしたら、右ってお前から見て右? 俺から見て右? 観客から見て右?」


吉川 「なんだよ、観客から見てって。どの席の観客だよ。いろいろな位置があるだろ、観客席は」


藤村 「右の観客から見て右? あれ? 右の観客って一塁側? 三塁側? どっちを右って言ってたっけ? あれ、右ってなんだっけ?」


吉川 「ゲシュタルト崩壊を起こすなよ。右左はどっちでもいいんだよ。バッターに対して内角に曲がる球を投げるってわかってればいいだろ」


藤村 「あれ? 今って西暦何年?」


吉川 「いくら緊張してもそんな急にタイムスリップしてきた人みたいなわからなさにならないだろ」


藤村 「よし、大丈夫だな? もし打たれても大丈夫だ。チームを信じろ」


吉川 「ここまで道に迷ってたやつら信頼性が薄いけどな」


藤村 「もしものことがあっても奥さんと子供のことは任せろ」


吉川 「なにがあるの? そんな特攻精神で投げなきゃいけない球?」


藤村 「うん。顔から迷いが消えてきた」


吉川 「最初から出てなかったと思うけどな。まぁ、いいよ。ポジション戻れよ」


藤村 「ガールズバーは?」


吉川 「うるせーな。行くよ!」


藤村 「よし、完全に迷いは消えた!」



カキーン!



暗転

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