見られる

藤村 「最近、なんだか人に見られてるような気がして」


吉川 「なるほど。それで精神科医の意見を、ということですね。それはいつからですか?」


藤村 「今日です。朝から色んな人が代わる代わる見てる感じが」


吉川 「それは辛いですね。大丈夫です。ゆっくりとお話を聞きましょう。なにか見られて嫌な気分がするというわけですか?」


藤村 「そうですね。やっぱり見られてると思うと落ち着かないじゃないですか」


吉川 「はい。特にご自身の中で後ろめたいことなどはありますか?」


藤村 「あっ! いや、あれは違うか……」


吉川 「どんな些細な事でも結構です」


藤村 「私、主に高齢者から金を騙し取る組織を運営してるんですが、そこでヘマをしたバカを始末するように言っちゃったんですね。でも手配したやつもクズで失敗してそいつはまだ生きてるんですよ」


吉川 「ちょ、ちょっと待ってください。情報が多いな、主に悪の情報が」


藤村 「流石に私も殺しちゃうのは可哀想かなと思ってたところなので失敗して良かったかなとも思ってるんです。結果的にそいつはもう二度と満足に立つことはできないけど生きてるわけで、後ろめたいっていうのとはちょっと違うかなぁ」


吉川 「結果的に行く手前で随分後ろめたいポイントを稼いでるな」


藤村 「あ、ひょっとして事務所が借金で飛んだやつのだって話ですか? あれは法的には問題ないんで後ろめたくはないです」


吉川 「掘れば掘るほどザクザク出てくるな。悪の花咲爺みたいだ」


藤村 「そういえばここに来る前に信号を渡れないで躊躇してるお婆ちゃんがいたんだけど急いでたから無視しちゃって。それかなぁ?」


吉川 「それはもういいよ。いや、よくはないけどもっとあるでしょ、後ろめたが。全体的に反省すべきことが」


藤村 「……このマスク、二日目なんですけど。もったいないから使っちゃってて」


吉川 「倫理観のスケールが独特だな。詐欺に関して罪悪感はないの?」


藤村 「騙されるバカが悪いんで」


吉川 「その理屈で自分を納得させてるならすごいけど、ほんのちょっとは後ろめたいんじゃない?」


藤村 「違うんですよ。儲けたお金はちゃんとパパ活女子に貢いでるんで、トントンなんです」


吉川 「だったら大丈夫とは決して思わないよ? 普通は。自覚はなくても深層心理で思ってる部分があるんじゃないですかね。だから色々な人から見られてるような感じが」


藤村 「でも見られたところでね。俺は実際に手は下してないわけだから」


吉川 「余計悪そうな気がするけど」


藤村 「そもそもこういう商売してるから人の意識みたいのに敏感で。見られてると結構すぐ分かるんですよ」


吉川 「いや、それは実際に他人から見られてるわけではなくてですね、ご自身の中の強迫観念がそう思わせている可能性が高いです。それだけのことをやってるのでしたら」


藤村 「実際に見られてるんだから! もう大量の人間から。しかも何も言わず。じーっとこっちを見てるの。気持ち悪い」


吉川 「そうです。その視線こそがあなたが苦しめてきた人々の思いなんです。心の奥ではそれがわかってるんです」


藤村 「あいつらが……? 若いやつや子供もいるけど?」


吉川 「被害に合われた方の家族かも知れませんね。私は精神科医ですから罪をどうこうできる立場ではありません。ただ、あなた自身は本当は正しい道がわかってるはずなんです」


藤村 「そうなのか。確かにここに来たらあまり視線を感じなくなりました」


吉川 「それはご自身の本当の気持ちに気づいたからですね。ある意味警告だったわけです」


藤村 「でもまた事務所に戻ったら見られるんじゃないかな」


吉川 「見てる人たちは何かを訴えてるはずです。よく感じ取ってください」


藤村 「なんか。黒く太い管みたいなのを口に加えて、黙ってじーっとこっちを見てるんです」


吉川 「恵方巻きだ、それ。事務所はどこに?」


藤村 「あ、南南東の端です」


吉川 「恵方だわ。それ」



暗転

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