録音

藤村 「さすが伝説のアーティスト、吉川さんのワンテイクで完璧でした」


吉川 「伝説なんてもんじゃないよ。ただ長くやってるだけ。なにか問題は?」


藤村 「今ので完璧だったんですが、できればもうちょっと包み込むような感じでお願いできますか?」


吉川 「なるほどね。そういう解釈もありか」


藤村 「あと次はもうちょっと気持ち悪くない感じでお願いします」


吉川 「ん? ということはなにか? 今のは気持ち悪かったのか?」


藤村 「いいえ、そういうわけではないんですが。振り幅として色々な音源を検討したいので。今とはちょっと違う感じの表現もいただけたらと」


吉川 「そうか。まぁ、わかった。キミ、言い方が独特なところあるから気をつけなよ」


……


……


藤村 「ありがとうございました。完璧なテイクでした」


吉川 「気持ち入りすぎちゃったかな」


藤村 「いえいえ、最高でした。お疲れではないですか?」


吉川 「まだいけるよ? なに? 次はどんな感じで?」


藤村 「はい、そうですね。今度は髪の毛が薄くないバージョンでお願いできますか?」


吉川 「ぁん? どういうことだ?」


藤村 「あの、今のは結構薄毛な感じがしたので、次はふっさりバージョンで」


吉川 「バージョンで薄くしてるわけじゃねえんだよ! こういう頭髪なんだよ! 限られた選択肢の中で選ばざるを得なかったやつなんだよ。なんだその言い草」


藤村 「あ、無理ですか?」


吉川 「無理ってどういうことだよ。歌だろ? 歌に薄毛が出るってことあるか?」


藤村 「だいぶ激しいというか、ハゲってたので」


吉川 「ハゲってたってなんだよ! そんな形容詞聞いたことねえよ! わかったよ。ふっさりはわからないけど、もうちょっと自信を持った感じでやってみるわ」


……


……


藤村 「お疲れ様でした! 完璧なテイクでした」


吉川 「さっきも完璧って言ったよな。その割には薄毛とか言ってくれたけど。ふっさりはできてた?」


藤村 「多少増毛した感じがしました」


吉川 「多少かよ。こっちはもう限界だよ」


藤村 「こっちも聞いてて限界でした」


吉川 「どういう言い草だよ! 聞く側は余力あるだろうが。たとえ限界でも言うんじゃないよ」


藤村 「なんか古臭い歌だったんで」


吉川 「最初伝説って言ってたよな? 古臭いのことをオブラートに包んで言ったわけ?」


藤村 「でも大丈夫です。我慢するのも仕事ですから」


吉川 「喜んで聞きたいやつだっていっぱいいるんだよ!」


藤村 「いえいえ、そんなことないですよ」


吉川 「なんで否定してるんだよ! だったらお前は何しにここに来てるんだ。俺の気持ちを上げるのもお前の仕事だろうがよ」


藤村 「あ、ここに来た時よりふっさりしてきましたね」


吉川 「上がらねーよそれじゃ! するわけないだろ。どういう理屈で歌を歌ってふっさりしてくるんだよ」


藤村 「ではラストもうワンテイクだけよろしいでしょうか?」


吉川 「本当にラストだよ? なんかテイク重ねるごとに気分悪くなってきたから」


藤村 「とんでもない、こっちは最初からです」


吉川 「たとえそうでも言うなって! 最初からそうだったのかよ。ガッカリ感がすごいわ」


藤村 「ではラストはこちらを笑わせようとしないでお願いできますか?」


吉川 「今まで一度もそんな志を持ってないんだよ!」



暗転

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る