保険

藤村 「こんな時代だからこそ、保険はしっかりしたものを選んでおくべきなんです」


吉川 「でもなぁ、別に必要ないし」


藤村 「そう思われるでしょ? でも万が一ということはありえますから」


吉川 「それはわかるけど、万が一のために毎月支払い続けるのはなぁ」


藤村 「例えばですよ? 例えば今私があなたを刺し殺すとしますよね?」


吉川 「なんで?」


藤村 「いえ、万が一です」


吉川 「万が一じゃなくて。なんで? 刺し殺さないでよ」


藤村 「そうおっしゃっても、刺し殺される時ってのはもうだいたい拒否できませんから」


吉川 「何言ってるの?」


藤村 「そんな時に刺し殺され保険に入ってればもう安心感が違います」


吉川 「刺し殺されるんでしょ? 死ぬんでしょ?」


藤村 「はい」


吉川 「はい、じゃないよ。死ぬなら意味ないでしょ」


藤村 「でもどうでしょう? ただ刺し殺されて死んでいくのと、刺し殺され保険に入ってるから安心だなと思いながら死んでいくのでは、もう安心感が全然違うんですね」


吉川 「死ぬんでしょ?」


藤村 「いいですか? 刺し殺されると言っても即死じゃないんです。意識がありながら徐々に死んでいく。大事なのはその時の安心感です」


吉川 「大事なのは生きることじゃない?」


藤村 「そうとも言えますけど、生きるのはもう諦めるとして」


吉川 「なんなんだよ、前提がおかしいだろ。お前が刺し殺すなよ!」


藤村 「わかってます。だから万が一です。なにも私が刺し殺すと決まったわけじゃありません。私だって人生がありますから、自ら手を汚すよりも他の者に依頼したりする可能性が高いです」


吉川 「なんで殺意は維持してるんだよ」


藤村 「私の殺意に関してはこの際置いておいて、大事なのは保険です」


吉川 「お前の殺意が発端だろ。それをやめればいいんだよ」


藤村 「でもたとえ私が踏みとどまったとしても、第二第三の刺客が現れますよ?」


吉川 「なんでやられた悪の支配者みたいな捨て台詞を言うの? お前が指示してるんだろ。現すなよ!」


藤村 「誰だってそう思うんです。だからそのための保険なんです」


吉川 「言ってることおかしいと思わないの?」


藤村 「そもそも保険とは、起こって欲しくない事態に対して予めリソースを割いておくことなんです。刺し殺されたくないですよね? でしたら、刺し殺され保険に入るべきなんです」


吉川 「お前が企まない限り刺し殺されるなんてことは起こらないだろ?」


藤村 「事故にあった人も、病気になった人も、みんなそう言ってます。保険のお世話になりたくてなる人なんていません。起こらないだろと思ってることが起こった時、あなたを助けてくれるのはあなたが選択した保険なんです」


吉川 「すごいちゃんとした営業のセリフも入ってるじゃん。なんで刺し殺しってところから入ったの? もう、そこから入られたら保険の良さが一切伝わらないよ」


藤村 「正直に言いましょう。もう時間もあまりありません。なるべく早く、できれば今日入らなければ悩んでる間に刺し殺されることだってあるのです」


吉川 「それはお前が急いで殺そうとしてるからだろ」


藤村 「私の方も他のお客様を回らなければならないので」


吉川 「その流れの中で殺意を散りばめるのやめてくれない? 他のお客さんのところに行くついでこいつ刺しておこうかなっていうのは、殺意に対する真剣さもないじゃん」


藤村 「真剣に殺そうとしてくるの怖くないですか?」


吉川 「怖いよ! だけどカジュアルに殺そうとするのも怖いよ! どっちにしろ怖いよ! 怖がらせるなよ! 保険の営業が!」


藤村 「保険の営業っていうのは多かれ少なかれお客様の不安を刺激することがキモなんで」


吉川 「だけど殺意はないでしょ。人生で真っ直ぐな殺意を向けられたの初めてだよ」


藤村 「わかりました。では殺意は一旦脇においておきまして、保険の説明の方をさせてもらいます」


吉川 「脇に置かれてる殺意がちょいちょい気になるけど」


藤村 「こちらの保険には合わせて安心の毒薬もついてまして。あ、特約もついてまして」


吉川 「殺意ー!」



暗転

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