いくら

藤村 「いい時計してるね」


吉川 「そうそう。でもこれ結構安かったんだよ。いくらだと思う?」


藤村 「安かったのか。えーと、1円?」


吉川 「コミュニケーションの基礎の基礎ができてないな。その答えはもう一番ダメな答えだよ。安かった話をしたくていくらと聞かれたら、ちょっと多めで言っていて後のリアクションの伸びしろを取るもんだろうが。どうすんだよ、1円じゃいくらと答えても思ったより高いなってアンニュイな雰囲気になっちゃうだろ」


藤村 「ごめん。そこまで気が付かなかった。2円?」


吉川 「そのカウント方式で正解にたどり着くまで答え続ける気? セカンドチャンスを見事に潰したよ。もう2円って言われたら何も答えたくない。世の中には言っていいことと悪いことがあるけど2円だけは絶対に言っちゃダメ」


藤村 「難しいよ。当てていいものなの?」


吉川 「実は当てちゃダメなんだよ。正解と思ったのよりもちょい高めを言ってこそ盛り上がる話法なんだから。当てるのもダメ。でも2円でくるなら当てた方が全然マシ」


藤村 「ひょっとして6億円?」


吉川 「過ぎる! サービスにしてもそこまで行ったら嫌味だよ。6億円のわけがない! 安かったんだよの文脈で6億円の単位が出るのM&Aだから」


藤村 「5億9999万9999円?」


吉川 「なんで1円ずつで刻むの? 癖なの? 小さな一歩を大事にしすぎだよ。こんな永遠にたどり着かない値段当ての輪舞曲の中に迷い込んでしまったら、もう安かった話なんてなんにも味がしなくなるよ」


藤村 「なんて答えるのがいいのかお手本見せてくれない?」


吉川 「お手本必要か。この手の話術って誰かから学ぶものでもないと思うんだけど。じゃ、なにかの値段を尋ねてよ?」


藤村 「この間手紙を出そうとしたらさ、値上げしていて驚いたんだよ。その時の84円切手の値段いくらだったかわかる?」


吉川 「84円なんだよ。その話は。ジャスト以外の答えが存在しない問いなんだよ。もっと高いかな安いかなでフワフワする伸びしろの部分を話したいのに。切手の値段だけは聞いてくれるなよ」


藤村 「じゃ、もう俺が値段を把握してるものはこの世にはないよ」


吉川 「なんでだよ。服とか自分で買ってるんだろ?」


藤村 「買った時の値段なんて覚えてないよ。支払った瞬間に忘れる。カードだし」


吉川 「逆に言えばカードの履歴に残ってるんじゃない? それを参照にしていくらでしょうクイズを出せばいいじゃん」


藤村 「でもポイントとかで値引きして買ったりしてるから正確には当てられないと思う」


吉川 「いいんだよ、正確じゃなくても。だいたいで。へーそのくらいなんだって大体のところで話を転がすものだから。むしろ端数ビッタリまで当てられたら怖いだろ」


藤村 「わかった。じゃ、この粉なんだけど。混じりっけなし極上品。他のやつらとはルートが違うから。最初だから格安でいいよ?」


吉川 「思ってた話の膨らみ方と全然違うよ……」



暗転

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