バー

マスタ 「サウタージ・ティアーでございます」


吉川  「これは? 頼んでませんけど?」


マスタ 「どうもお客様が落ち込んでいる様子だったので、差し出がましいようですが一杯お作りいたしました。かの詩人スチュアートの別れの詩をモチーフにしたカクテルです」


吉川  「それはどうもありがとうございます。そういったカクテルを作ってくれるんですね。では、今の私の気持ちに寄り添った一杯をお願いできますか? 実は事業を営んでいたんですが、苦楽を共にしたビジネスパートナーと音信がつかなくなってしまいまして」


マスタ 「それでしたらピッタリの一杯がございます。こちら、ハピ・ハピ・パラダイスでございます」


吉川  「ハピ? ……聞いてました? パートナーがいなくなっちゃったんですが」


マスタ 「このハピ・ハピ・パラダイスは、かのクラブイベントで最大集客を誇ったDJムサシが、友人の結婚を祝うために作ったカクテルでございます」


吉川  「全然関係ねーじゃん」


マスタ 「でも美味しいので」


吉川  「味じゃねーだろ。気持ちを言ってるんだよ」


マスタ 「度数も強いので」


吉川  「酔って忘れろってこと? 気持ち! 心境! そこに寄り添ってくれよ。味なんて別に期待してないんだよ」


マスタ 「メチャクチャ不味いのでも大丈夫ですか?」


吉川  「メチャクチャ不味いのはダメだよ! それは言わなくてもわかるだろ。前提としてダメ。でもそれより物語性の方が今は欲しいんだよ。味は許せればOKくらいなんだから」


マスタ 「えっと、ビジネスパートナーが? なんでしたっけ?」


吉川  「音信不通になったの。しかも会社の金を持って」


マスタ 「でしたらこちらの一杯を。水でございます」


吉川  「なんで? なんで素の水がでてきたの? 無なの? 俺のこの感傷は無?」


マスタ 「先程のハピ・ハピ・パラダイスで口の中が甘くなってしまったと思いますので、一旦リセットを」


吉川  「一旦なのね? これが俺の気持ちに寄り添ってるわけじゃないのね?」


マスタ 「はい。ちなみに、かのアドルフ・ヒトラーがユダヤ人を虐殺した時に飲んでいたのも水と言われております」


吉川  「そりゃ飲んでただろうよ! 水くらい。その物語性はいらないわ。今言わなくてもいいし。水の来歴としてヒトラー引用する人おるか? 水すらちょっと感じ悪くなってる」


マスタ 「ではこちらの一杯、かの春秋戦国時代に燕の名将である郭照カクテルが友に裏切られた時に飲んだと言われるヒストリー・オブ・フォー・サウザンドでございます」


吉川  「ダウト! 嘘をつくなよ! なんだよ、中国の名将の郭照カクテルって! いないだろ、そんなやつ! そりゃ、こういったエピソードは多少脚色されてるだろうけど、一発でわかる嘘は言ってくれるなよ。もっとそれっぽいやつあるだろ、他に」


マスタ 「で、なんでしたっけ? パートナーが横領して?」


吉川  「それで音信不通なの! しかもうちの女房とも連絡が取れない」


マスタ 「でしたらこちら、お湯でございます」


吉川  「また無なやつ! 今度は温めてきたか。なんで温かい無が来るんだよ。どんなエピソード携えて来てるんだよ」


マスタ 「かのアメリカ大陸入植者たちがネイティブ・アメリカンを虐殺した時に飲んだのもお湯と言われております」


吉川  「飲むだろうよ、お湯なら! 虐殺にちなまないでくれる? せめてまだ無だった方が良かったよ。引用するエピソードが最悪すぎる」


マスタ 「一旦リセットされたならこちら。ビター・メモリーでございます。これは苦楽を共にしたビジネスパートナーに会社の金と嫁を奪われ途方に暮れた男が飲むカクテルと言われております」


吉川  「ピッタリすぎて怖いよ! そんな丁度いいやつあるの?」


マスタ 「飲むと楽に死ねます」


吉川  「寄り添いすぎ!」



暗転

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