記憶

吉川 「本当にここで記憶を抹消することができるんですか?」


博士 「可能です。事前に審査した項目はすべてクリア済みですね?」


吉川 「はい。どうしても記憶を消したいんです」


博士 「じゃ、スイッチ・オン!」


吉川 「ちょっと待って。いきなり? そんな急に来るの?」


博士 「すべて同意されてここに来たんですよね?」


吉川 「はい。実はこう見えても私はそれなりの大学を出て一流企業に就職していたんです」


博士 「スイッチ・オン!」


吉川 「まだ! まだ話途中! なんでそんな前のめりでスイッチ・オンするの?」


博士 「ここに来る人、なぜかみんな語りたがるんですよ。もううんざりで」


吉川 「そりゃ、すみません。でも想像してみてくださいよ。いざ記憶がなくなってしまうと思うと、なんかちょっとでもこの記憶の欠片を知っておいて欲しいという気持ちになるじゃないですか?」


博士 「いい? スイッチ・オン!」


吉川 「待ってって! 今のはタイミングがおかしいじゃん。会話の最中でしょ? こっちが語りかけて返し待ちだったのにスイッチ・オンするのはダメじゃない?」


博士 「そんなに嫌なら記憶を消すのやめますか?」


吉川 「いえ、覚悟は決めました。もういいです」


博士 「私もこの研究が実を結んで役にたってくれるのは嬉しいです。初めて基礎理論を思いついたのは学生時代でした。懐かしいな、学生時代。スイッチ・オン!」


吉川 「待ってよ! 今のはズルいよ。今誘ったじゃん。記憶を誘っておきながらスイッチ・オンするのヒドいでしょ」


博士 「それはすみまスイッチ・オン!」


吉川 「謝罪の途中で! 気持ちがこもってないよ。流れ作業的にスイッチ・オンしないでよ」


博士 「誘ったりしないようにスッと行ったんですが」


吉川 「それでいいんですけどね。さっきの一回誘ったのは致命的だったよ。あれのせいでちょっと疑心暗鬼になっちゃったもん。はい。いいです。今覚悟決まってます。どうぞ!」


博士 「うわっ、不倫発覚? マジか……。スイッチ・オン!」


吉川 「そりゃないぜ! 気になるトピックを言っておいて。そもそも人の記憶を消す直前にネットニュース見る?」


博士 「でも知ったところで記憶が消えたらそれも消えますから関係ないですよ」


吉川 「理屈で言わないでよ。人情の問題だから。気になったらなんかそこの記憶だけ変な感じでこびりついて残っちゃったりするかもしれないじゃん」


博士 「そういうのじゃないんで」


吉川 「知らないけどさ。もう心安らかな状態の時に覚悟を決めていきたいんですよ」


博士 「色々言ってますけど、記憶消えちゃうと覚悟とか気分とかそういうのも全部なくなるんで。今ここでどう思ってても関係ないんですよ」


吉川 「わかってるよ。でも人の心ないの? ないか。記憶を消す研究するくらいだから」


博士 「あなたは言いっぱなしでいいかもしれないけど、言われて傷ついた私の記憶は消えないんですよ? これだけの研究を成し遂げるのにどれほど苦労したかわかりますか? そもそも私はあの素晴らしい思い出を……。スイッチ・オン!」


吉川 「自ターンのままスイッチ・オンしないでよ! こっちに反省のターンくれてからじゃない? 今、それなりにこっちに響いてたのに。悪かったなぁって思ってたのに、その思いも消されたら悪かった損じゃん」


博士 「どうでもいいですよ。スイッチ・オン!」


吉川 「グゥ! ……ん?」


博士 「ではこちらの部屋にお進みください」


吉川 「なに? スイッチ・オンは何をしたの?」


博士 「BGMです」


吉川 「記憶なくなるくらい殴っていい?」



暗転

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