ちげーし

藤村 「いくら悪ぶっても吉川、俺はちゃんと知ってるぞ。朝早く来て花瓶の水を変えてるのはお前だって」


吉川 「は? ちげーし。俺じゃねーし」


藤村 「認めたくないのか。でもわかってるんだ。お前が本当は心のやさしいやつだということも」


吉川 「ちげーし。俺なわけねーし」


藤村 「そう反発するなよ。素直になれない気持ちもわかるけどな。色々辛いこともあったんだろ。だからと言ってな、いつまでもそうして自分を偽って生きられるわけじゃないぞ」


吉川 「別に偽ってねーし」


藤村 「きちんと身の回りのものは小綺麗にしているし、その使ってる財布だって長いこと大切にしてるんだろ」


吉川 「関係ねーし」


藤村 「そうやって親御さんがきちんとしつけてくれたから、今のお前があるんだ。そういうものはどう振る舞っても変えられないものなんだよ。やがてお前にもわかる時が来る」


吉川 「ちげーし。うぜーし」


藤村 「吉川、ほぼ全裸で股間に靴下だけで町を徘徊してたのもお前だろ。気持ちはわかるがヤケになっちゃいけない」


吉川 「え? それは本当にちげーし」


藤村 「わかってる。素直になれないんだな。だからと言ってこれからの季節は気温の寒暖差も激しくなるし、風邪なんかひいたらどうする」


吉川 「まじでちげーし。それ、俺じゃねーし」


藤村 「わかるんだよ、俺には。どんなにお前が否定しても」


吉川 「いや、わかってねーし! そんなことしねーし!」


藤村 「吉川! 自分自身を認めてやることが大切なんだ。そりゃ、誰だって思ってたような人生を歩めるわけじゃない。だからと言って自分を否定しても何も始まらないぞ」


吉川 「本当にちげーんだって! 俺じゃない! 裸でウロウロなんてしてない!」


藤村 「俺は裸のことを咎めてるんじゃないんだ。そうやって認めない頑なな態度を注意してるんだよ」


吉川 「認めるも何もちげーんだって!」


藤村 「お前は全部そうだ! 花瓶の水を変えてることだって」


吉川 「それは俺だし! 認めるし! 花が好きだし」


藤村 「やっと認めたか。そうだ。そういう素直な気持ちが前向きな行動をつくるんだ」


吉川 「でも裸は俺じゃねーし!」


藤村 「まだ言うか。一歩進んだと思ったらこれだよ。そこで否定したらせっかく花瓶の水のことを認めても全部台無しになるんだぞ?」


吉川 「いや、だから! 水は俺だし、裸はちげーし!」


藤村 「帯に短し襷に長しみたいなことか?」


吉川 「全然ちげーし! 意味わかんねーし!」


藤村 「吉川、裸になるのは恥ずかしいことじゃない。時には自己を開放したくなることだってある。俺だってよくする」


吉川 「知らねーし!」


藤村 「でもな、俺は裸になることを否定しない。堂々と裸になってる。それを認めるには自分と向き合わなきゃいけないんだよ。たとえそれがどんなに苦しくても」


吉川 「言ってることわかんねーし! 俺はそんなことしねーし!」


藤村 「吉川、お前のためなんだ。素直になれなければずっとつらい思いをするんだぞ。幸い、ここに靴下がある。俺は左を使うからお前は右を使え」


吉川 「使わねーし! おめーとちげーし!」


藤村 「大丈夫。一度認めてしまえばあとはズルズルと止められなくなる」


吉川 「なし崩し!」



暗転

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