ゾーン

藤村 「あ。入ったわ。ゾーン」


吉川 「え?」


藤村 「うん。完全に入ってるな、こりゃ。ゾーンに」


吉川 「ゾーンて、あのアスリートが試合中に集中力が高まって入る、あれ?」


藤村 「そう。そのゾーン。今丁度入ってる最中」


吉川 「なんで? アスリートでも試合中でもないのに」


藤村 「なんか入れそうだったから」


吉川 「そんな雰囲気のいいカフェみたいな理由で入っちゃうものなの?」


藤村 「もう完全に見えてた。お前が雰囲気のいいカフェのことを言い出すのも」


吉川 「なに、そのゾーン。何に対する集中力が上がってるんだよ」


藤村 「もう全体的に。止まって見えるもん。経済成長とか」


吉川 「ボールが止まって見えろよ。なんだよ、経済成長って。それを可視化できてるのはまた別の能力だろ」


藤村 「今、蚊がお前の腕に止まって血を吸って飛び立つのも完璧にとらえててた」


吉川 「だったら防いでくれない? 見えてたのに何もしなかったの? ボーッと見てただけ?」


藤村 「お前もわかってて吸わせてたのかと思って」


吉川 「いや、俺はゾーンに入ってないから。ゾーンに入る意味もわからない」


藤村 「え? 本当に? 一度もないの、生まれてから?」


吉川 「普通はないだろ。そんな誰でも何度でも入れるものじゃない」


藤村 「気を使って入らないってこと?」


吉川 「先輩しかいない部室じゃないんだから、気持ち的な問題じゃなくてさ。入れないでしょ、一般人には」


藤村 「そうでもないと思うよ? 俺は割と頻繁に入るけど」


吉川 「頻繁に? 何度も?」


藤村 「初めて入ったのは5歳の頃かな」


吉川 「そんな頃から? 5歳で何を経験してゾーンに入るんだよ」


藤村 「動物園に行った時に。象を見て」


吉川 「ゾーン! 象を見てゾーンに入ったの? いよいよゾーンの定義がよくわからなくなってきたぞ」


藤村 「あまりのデカさにゾーンってなったから」


吉川 「擬音なの? なにそれ、意味もよくわからない。それ本当にゾーンなの?」


藤村 「もう相手の動きがゆっくりに見えたからね」


吉川 「象は割とそうじゃない? 大きいから。あんまりちょこまか動く象いないよ」


藤村 「やったら勝てるなって思ったもん」


吉川 「5歳児が。象に。ゾーンに入ったからなんとかなるような差じゃないと思うけど」


藤村 「だからまぁ、ストリートでは負け知らずだったよ」


吉川 「お前にそんな伝説があったなんて知らなかったよ」


藤村 「試しにほら、殴ってみ」


吉川 「嫌だよ。急に人なんて殴れないよ」


藤村 「大丈夫、大丈夫。こっちはゾーンに入ってるから。一発避ける間に三発入れるから」


吉川 「余計やだよ。なんで三発もらわなきゃいけないんだ」


藤村 「じゃ、入れない。寸止めする。寸も薄紙一枚くらいのギリギリで止めるから」


吉川 「そんなことできるの? じゃ、試しに一発だけね」


藤村 「思いっきり来いよ? 変に加減すると逆に危ないから」


吉川 「わかった。えいっ!」


藤村 「ってぇ! あふっ! 痛ぇ~」


吉川 「あ、ごめん! 大丈夫?」


藤村 「んっだよ! 言えよぉ。お前もゾーンに入ってるなら」


吉川 「あ、入ってたんだ。俺」



暗転

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