覚えず

藤村 「春のさ、あるじゃん? アレ」


吉川 「パン祭り?」


藤村 「違う。ことわざ的な。春は眠いっていう感じの」


吉川 「春眠暁を覚えず?」


藤村 「そう! それ! まさにその通りだよな」


吉川 「確かに暖かくなってきて起きるのが辛くなってきたね」


藤村 「でもお前なんで? 効かないの?」


吉川 「効かない? なにが?」


藤村 「ちゃんと覚えてるじゃん。覚えずじゃないの?」


吉川 「なにのことを言ってるの?」


藤村 「だからさっきの、春……? 赤……?」


吉川 「春眠暁を覚えず?」


藤村 「それ! どうして覚えられてるの?」


吉川 「いや、別にこのことわざが覚えられないっていう意味じゃないよ? そんなスタンド攻撃みたいな言葉じゃないから」


藤村 「だって俺なんか小さい頃から何度も聞いてるけど、一度も覚えられないよ」


吉川 「それは別のところに問題ないか?」


藤村 「なんだっけ? 眠……?」


吉川 「春眠ね。眠から始まったらもう取っ掛かりが間違ってて絶対思い出せないから」


藤村 「あぁ、はいはい。盛者必衰の理をあらわす?」


吉川 「どっから出てきたの、盛者必衰は? それは平家物語だよ。そっちの方が難しくない?」


藤村 「そうなんだよ。俺はわりかしありとあらゆることを覚えられるのに、その焼売シューマイは数が決められてるってことわざだけは覚えられないんだよ」


吉川 「焼売も違うけどね。ありとあらゆることを覚えられるんならもういいんじゃない?」


藤村 「円周率も終わりまで覚えたからね」


吉川 「終わりまで!? それは根本的に間違ってない? 終わりまで覚えた人は人類にいないと思うけど」


藤村 「じゃぁ、人類初かぁ」


吉川 「そう言い張ってる人は人類にたくさんいそうだけどね」


藤村 「山手線の駅名も高輪ゲートウェイ駅以外は覚えてるから」


吉川 「それも覚えてやれよ。知ってるってことは覚えられるじゃん。もうそろそろ仲間に入れてあげなよ」


藤村 「それ入れちゃうと鶯谷うぐいすだに駅が弾き出されちゃうから」


吉川 「どういう理屈なの? 鶯谷可哀想じゃない?」


藤村 「あとお前の癖も覚えてるんだよ。全部」


吉川 「なにそれ、怖いな」


藤村 「フォーク投げる前に、一旦グローブの中で確認するだろ」


吉川 「人生でフォークを投げたこと数回しかないから癖かどうかもわからないな。投げなれてない人ってみんな確認するんじゃない?」


藤村 「俺は覚えてるから。グローブの中見たなと思ったら次はフォークだってわかってるから」


吉川 「野球自体もう何年もしてないのに。それ覚えてなくていいと思うよ。そんな無駄なことに記憶の領域を使わせてしまって申し訳ないよ」


藤村 「すべて俺の大腸にきっちりと刻み込まれてるからな」


吉川 「大腸に!? 内臓が記憶領域なの? 脳に刻み込んだほうがよくない?」


藤村 「膵臓は円周率がびっしりと」


吉川 「気持ち悪っ! 耳無し芳一みたいになってるじゃん」


藤村 「小腸は長いのでスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスが刻まれている」


吉川 「そんなに長くないだろ。歌で覚えろよ、そのくらい」


藤村 「それにより俺の記憶のストレージはいっぱいだ。もうアレが覚えられない。あの、しゅ……。しゅんみ……? しゅらしゅしゅしゅ……?」


吉川 「春眠暁を覚えず」


藤村 「それ! どうやっても覚えず!」


吉川 「ゆっくりいこう。春眠」


藤村 「しゅんみん」


吉川 「あかつき」


藤村 「あかつき」


吉川 「春眠暁を覚えず」


藤村 「春眠暁を覚えず。やった! やったぞ! 覚えたぞ! 春眠暁を覚えた!」


吉川 「よかったな」


藤村 「……っは!? 俺は一体誰だ?」


吉川 「そんな根っこの部分の記憶失ってるのかよ!」


藤村 「なぁ~んてな。そんなにわかりやすく記憶喪失になるわけ無いだろ。安心しろよ、鶯谷」


吉川 「吉川だよっ!」



暗転

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