浅野の場合-3-

 裏社会を引退し、一年という時が経った。

 喫茶店を経営する毎日は可もなく不可もなくといった感じだった。売り上げはぼちぼち。とはいえ、既に余生を過ごすだけの金を持っている浅野にとっては、売り上げを気に留める必要も無い。裏社会にいた頃の慌しい日々とは違い、一日一日の時間はゆっくりと流れ、様々な人々と珈琲の香りに包まれ過ごす。引退時の掲げた、ゆっくりと暮らすという目標の沿った日々に文句はなかった。しかし……

 何と言えばいいのだろうか? 誰もいない室内でマラソンを行う様な生活という表現が当て嵌まるのだろう。何もかも自分のペースで進み、変化無くただ流れる平穏な日々。それは、今までには無く間違い無く自身が望んだ『安息』であり――一番自身が嫌った『退屈』でもあったのだ。

 確かに自分が望んだ日々ではあったのだが、六年という時を裏社会で過ごした男は自身でも知らず知らずの内に『楽しみ』を探していた。とは言え、詐欺師に戻っても得られる訳では無い。それは、誰よりも浅野自身が理解している。だから、裏社会に戻るという選択肢は彼の頭には浮かばなかった。答えは出ないまま、暇を持て余していた。そんな時――

「本日、○○銀行で強盗が起こり……」

 映像と音声を単調に流していたテレビが、浅野に一つのニュースを耳に届けた。彼は珈琲を啜り、鼻に抜ける香りを楽しみながらテレビに視線を移す。四角い画面の中では女性のキャスターが黒いスーツに身を包み、マイクを握って慌しく詳細を伝えていた。

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