その声は。

たなかそら男

その声は。

 目覚めるのがこんなにも億劫な日は初めてだった。瞼を開けることですら、もはや私にとっては重労働のようにも感じてしまうほどだった。

「……眩しいな……」

 まだ少しだけ、あと少しだけ寝ていても、誰も私を責めはしないだろう。外はすっかり明るいけれど、どういうわけか妙に静かだった。もしかしたら、私の住む街の人間は全然死滅してしまったのかもしれない。それぐらい、外は全くと言って差し支えないほど静寂を保持し続けていた。

 枕元のスピーカーから、目覚めの良い朝を迎えるための最適な音楽が、ゆったりとフィードインしてきた。適度に耳を刺激する軽やかなジャズが、少しずつ私の精神を研ぎ覚まそうとしてくるが、もはや、その程度のものでは私の睡魔を追い払うことはできない。ずっと眠っていたのだ。身体はずっしりと重たく立ち上がろうとすればするほど、のし掛かる重量が肥大していくようだった。

『コウ様、朝でございます』

 すると、軽やかなジャズを遮って、無機質な機械音声が私の名前を呼んだ。

「あぁ、そうだろうな」

 私は、ぐったりと返事をしながら、掛け布団をきつく抱きしめる。

『コウ様、朝でございます』

「私は、まだ眠いんだ」

『コウ様、朝でございます』

「………」

『コウ様、朝でござい——』

「あぁ!分かったよ!」

 機械的な感情のこもっていない声で何度も同じことを言われると、さすがにこの人工知能の開発者である私であったとしても、苛立ちを感じられずにはいられなかった。

 仕方なく、重たい身体を起こす。白のベッドシーツが、ぐちゃぐちゃに崩れてしまっていた。私は昔から寝相が悪い。今日も、掛け布団を床に落としてしまっていた。

「……私は何時間寝ていた?」

 頭が痛い。内側から破れそうなくらいの衝撃が、頭に鈍痛を響かせていた。

『二十時間十二分三十四秒であります』

 また、スピーカーから機械音声が流れる。今度は天井に取り付けてあったスピーカーからの声だった。

 やはり女性の機械音声にしたのは間違いだったかもしれない。この人工知能の声を聴く度に、数日前の彼女との喧嘩を思い出してしまって、なんだかやるせない気持ちになってしまう。もう人生の折り返し地点に立ったし、ようやくしっかりとした大人になれたと思ったのに、その矢先に起きた出来事だった。

 とはいえ、私が彼女のお気に入りのティーカップを割ってしまったのが大方の原因だったのだろうけれど。彼女は、私が何度謝ろうとしても、まるで聞く耳を持たなかった。だから女というのは苦手なのだ。どこまでも自分勝手で、論理よりも感情を優先して動いてしまう。けれど、それゆえに、彼女の抱擁力は、この私ですら居心地が良いと感じてしまうほどであった。ぐちゃぐちゃになったシーツも、床に落ちた掛け布団も、きっと彼女なら笑って掛け直してくれていたのだろう。

 それを考えて、やはり、寂しいと思ってしまう。

 私は、私の知らない間に、随分と弱い人間になってしまったらしい。

「……ったく」

 私は、自分の頭をボリボリと掻きながら、寝間着のままベッドから降りた。寝室を出ようと思い、白い金属製の寝室の壁を沿って、ドアまで辿り着く。ドアを開けると、そこは青白い光が節々で輝いていて、足元は暗闇だった。

「スイッチ……スイッチはどこだ」

『メインルームの電灯をお点けましょうか?』

「いいや、結構だ」

 私は人工知能にそう言い放って、何とか青白い光と暗闇の足元の中、転ばないように、壁に手を当てながら、その部屋の明かりのスイッチを押した。

 ぱっと明るくなったそこには、野菜園が広がっていた。じゃがいも、にんじんなどの野菜が植えられている。

『ジャガイモが収穫時期となっています。収穫いたしますか?』

「あぁ、頼んだよ」

 私がそう言うと、ピッという起動音と共に、壁に寄りかかっていた自動収穫期が起動し始めた。一時間もすれば、ジャガイモの自動収穫が終わっているはずだ。

「そうか、私が自分で作ったんだったな」

 私はそう呟く。 

 すると、その部屋の天井についたスピーカーが起動した。

『記憶の欠損を確認』

「欠損なんかしてない。少し忘れていただけだ」

 この部屋は、もとは“リビング”として活用していたが、あまりにも暇を持て余した私が、ここで自給自足を始めてしまったのだ。結果は良好であり、現にこうしてジャガイモを収穫することができた。

『ほんとにそうでしょうか?』

「……なんだよ、……ったく、お前こそプログラムに欠損が見られるぞ」

 私は天井に向かってそんな事を言って、また寝室へと戻った。

 そして、ベッドに座る。

 私は、自分の右手首に見覚えのないアームブレスレットが着けられていることに気がついた。青と白のシンプルな作りになっているそれは、安物のアームブレスレットにも見えたけれど、誰かの手作りだという事もすぐに分かった。丁寧に作りこまれていて、真心が込められているという事は、私にだって理解できた。

「これは……誰が」

『やはり記憶障害が——』

「おい、それ以上私をからかうな」

 人工知能は、少し返答を躊躇うように黙ってしまった。

 私は「やはりプログラムに欠陥が生じたらしい」と思いながら、窓辺に近づいた。白のカーテンを開けて、木製のブラインドを開けようとした時だった——。

 

『また』

 

 人口知能が、そう言ったのが聞こえた。私は、構わずにブラインドを巻き上げた。外の光を浴びよう。どうせ、外では近所の子供たちが道端でサッカーをして近所のおばさんに怒られていたりするのだろう。だから、ずっと静かだったのだ。そうだ、そうに違いない。

 

『忘れているようですね』

 

 けれど、そこに広がっていた景色は——暗闇だった。

 野菜園のリビングとは違う。まるで色を消し去ったような、全てを吸い尽くしてしまうような闇が、窓の外、一面に広がっていた。

「こ、……これは——」

 私は、動揺を隠しきれず、頭が真っ白になったような感覚に襲われて、身動きを取れずにいた。

 あのうるさい近所のガキはどこだ。化粧の濃い口煩いおばさんはどこにいるんだ。鮮やかさに欠けた庶民的な街並みはどこにもなく、馬鹿みたいに絵の具を塗りたくったような青空も、ここにはなかった。

『コウ様、大丈夫ですか』

「……あ、…ははっ」

 気づいたら、乾いた笑い声が口から漏れていた。気がおかしくなったように、笑うしかなかった。

 外が異常なほど静かであり、リビングでは家庭菜園を行なっている。そして、何をしていても人工知能が付いて来るのはなぜか。

「ここは……——宇宙か」

 そうだ。

 そうだった。

 私は宇宙飛行士だった。

 

 今から三年ほど前の話だ。

 宇宙飛行士だった私は、国際航空宇宙局に所属していたため、地球以外の別の惑星探査を行う任務を背負っていた。まずは、氷床や水の存在が昔から確認されていた火星に降り立った私だったのだが——そこで事件が起きたのだ。

 いや、——人類史上、最悪の災害だと捉えるのが正しいのだろう。

 地球の周りには隕石となり得る小惑星、小天体が百万個ほど存在する。——そのうち二万個の小惑星が一斉に地球に降り注いだのだ。

『あなたが記憶を欠落したのは、これで二十四度目となります』

 人口知能は淡々と記録を読み上げた。

『現在の地球の様子を表示いたします』

 すると、私が覗いていた“宇宙船”の窓に一枚の画像が映し出された。それは現在の地球の様子を撮影したものだった。

 

 まるで月のようだった。

 そこには「青い地球」の原型はなく、数えきれないほどの隕石の衝突により干上がってしまった海だったものが残っている。光と呼べるようなものを一切放っておらず、ただ灰色の大地が広がっている惑星——それが現在の地球なのだ。


『コウ様が撮影した写真でございます。思い出されましたか?』

「あ、……あぁ…」

 私はいつのまにかその場で膝をついてしまっていた。崩れ落ちるように、ストンと膝を落とし、身体全体から力が抜けて行くのを感じた。

 

 地球に大量の隕石が降り注いだ事を気づくのに、火星に居た時の私は、それほど長い時間を要しなかった。けれど、それと同時に、自分以外の人類がまだ生き残っている可能性を少しでも掴みたいという気持ちが強くなった。心の中では、まだ本気で人類が滅んだなんて事実を信じたくなかったのだ。だから、再び宇宙へ出てきた。

「あははっ、結果がこれか!」

 私は、また壊れたように笑った。

 そして宇宙船の窓を勢いよく殴る。

 地球は、地球ではなくなった。

 この宇宙船は、もともと私以外にもクルーがいた。けれど、その大多数は、火星での竜巻などのトラブルによって命を落としてしまった。衰弱しきった残り少ない私を含んだクルーは、宇宙船内に野菜を栽培する施設を作ったが、最終的に、私以外のクルーは全員衰弱死してしまった。

 生き残ったのは、私だけだ。

 他の人工衛星からの通信はずっとない。

 私は、この宇宙で一人きりなのだ。

 

「……眠ろう……」

 私は、ブラインドを落として、またベッドの上で横になった。

『食事を摂る事を推奨します』

「拒否する」

 人工知能にそう言い放って、私は、また眠りにつくことにした。無意識に、自分のアームブレスレットを見てしまった。この青と白のブレスレットは、彼女が、宇宙へ旅立つ私に送ってくれたものだった。本当は、仲直りなんか地球を飛び立つ前に終えていたのだ。

 

 薄れる意識の中で、彼女のことを想う。

 宇宙でたった一人。寂しくて、悲しくて、暗い世界がここにある。


 ——ふいに、まばゆい光が、僕の視界を覆った。見覚えのある宇宙服を着た人間が、ヘルメットを脱いで私に心配そうな声をかけている。

 あぁ。

 

 彼女の声だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その声は。 たなかそら男 @kanata_sorao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ