3-残響

 夜、娘たちが寝てしまった後、私はリビングで考えていた。


 なんとしても娘たちを助けなくてはいけない。

 まだ今のところ妻は最低限の家事をしてくれているが、それもいつまで続くかはわからない。

 私が、なんとかしなくてはいけないのだ。

 あぁ、でも自分には何かをしてやれる手も、声を出すための喉も無い。

 父親として、してやれることがあまりにも少ない。

 かろうじてできたことといえば全身全霊でもって鉛筆を押して5ミリ程度動かすことができていたことぐらいだ。


 どうにかあの力を強められないだろうか。

 試しにテレビの縁に溜まっていた綿埃を動かしてみることにした。

 力を込めて相撲の張り手のように一気に押しだす! つもりだったけど、実際には表面が少し凹んだくらいだった。

 力を使った反動か、脱力感のようなものを感じる。

 頑張ってもこの程度か……いや、もう一度だ。

 それから30回程ほこりの表面を凹ませて、やっと何かコツのようなものがあるのかもしれないと感じ始めた。

 そのコツとは、言ってしまえば自分の身体のイメージを持つことだった。今の私には触覚や温度覚、痛覚といった身体感覚がないので自分の身体のイメージが無い。

 そこで、生前の身体の感覚のイメージを浮かべて意思を込めることでほんのちょっとだけ物へ干渉できる幅が広がるようになる……ような気がした。

 とにかくやってみるしかなかった。

 ただし、この現世の物に干渉するという行動はかなり精神的に消耗するらしく連発はできなかった。結局その日は太陽が登るまでにテレビの上の埃を小指の爪ほど落としただけで力尽きてしまった。

 これではだめだ、なんとしてもあの金髪男に抵抗できる力をつけなくては。

 かくして私の修業が始まった。


 ある日はレース生地のカーテンを揺らし、ある日はポリ袋をがさがさといわせ、またある日は電気から垂れている紐を揺らしてみた。

 私は家族に気付かれないよう夜な夜な修行に取り組んだ。


 ある日、2人が寝静まったのを見計らって引き出しの取っ手の金具を引っ張る修行をしていた時だった。

「おねーちゃん、あのカチャッての、何?」

 物音に気づいた瑠璃がそう話すのが寝室の和室から聞こえた。

「瑠璃も聞こえる? わたしも最近ずっと気になってたの。クラスの子に聞いたら、それってラップ音っていうらしいの」

「ラップ?」

 瑠璃は料理に被せる透明なやつを想像したようだった。

「違う違う、んーなんかよくわかんないけど、幽霊のしわざなんだって」

「えっ……」

 明らかに怖がった顔をする隣の妹を思ってか、沙耶はあわてて付け加える。

「あっ、ううん、大丈夫大丈夫、そんなの嘘に決まってるよ。幽霊なんているわけないもん。きっと風で何か動いてるんだよ」

「そ、そうだね……。ねぇお姉ちゃん、そっちの布団行っていい?」

「いいよ、でもおねしょしないでね」

「うん」

 2人の寝息が聞こえてきた頃、私はティッシュを折りたたむという修行に切り替えた。音の出ることでは2人を怖がらせてしまっていたようだ。


 そして外を歩く人が薄手のカーディガンやニットを身に着けだした頃。

 私はTシャツ1枚分ぐらいの重さの物なら移動させられるようになり、電気のスイッチを消したり、ゴミ箱から外れたゴミを捨てたり、瑠璃の小さい靴ぐらいなら揃えることができるようになった。

 ただ、妻や娘に存在知らせたいという気持ちは無かった。魂だけの存在を受け入れられないかもしれないし、それに記憶がない状態で父親ぶるのも変な気がした。


 そんなある日、瑠璃が妻の誕生日に幼稚園で描いてきた絵を見せた。

 クレヨンで描かれていてお世辞にも上手とは言えないが、家族4人の絵だということがわかる。太陽の下で手をつないで笑っている絵だ。

 それを見て一瞬ハッとしたような表情をした妻は「……上手に描けたわね」となんとか言葉を絞り出した。

「これは瑠璃で、沙耶でしょ、これはお母さんとお父さんなの」

 瑠璃がそう説明すると妻は「やめて」と唇を震わせながら小さな声で言った。

「おかーさん? おとーさんって、帰ってくるんだよね?」

「お父さんの話をするのはやめなさい!」

 机を勢いよくバン! と叩いて妻は立ち上がった。

 きっと妻は宗教のことを考えることで私の存在を深く考えないようにしていたのだろう。だから、私の映っている写真や絵は無意識のうちに仏像や壺で隠されていた。

 でも、そんな事情を察することはは5歳の瑠璃には難しすぎる。

 和室の隅で膝を抱え、わけもわからず怒られて嗚咽を殺して泣く瑠璃を見て、耐えられなくなった私は、食卓に置いてある瓶から飴を取り出して瑠璃の描いた絵の上に置いた。

 嗚咽がやんだ後、瑠璃は飴を見つけて「誰?」とあたりを見回した。


 気味が悪かったのか、その後、瑠璃はその飴をつまんで食卓の瓶に戻していた。

 

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