第51話 余暇

 カッコウのとまり木の食堂でリディとニケが朝食を食べている。


 今日のメニューはいつものパン屋のパンに、ハーブの効いた腸詰め肉、青野菜のサラダにオニオンスープだ。腸詰め肉の香りが食欲をそそり、旨味のあるスープが体に染み渡るように喉を流れていく。


 キドナを捕縛したあの日から数日が経った。


 事件の全容を知るためキドナの事情聴取は続き、リディたちはアイシス、もといその父親であるアキュレティ卿とポリムの要請を受けてイダンセに留まっていた。


 事件の全容調査はポリムを中心に行われており、キドナの事情聴取は連日続いている。


 ポリムやアイシスからの話を聞くに、キドナは事件のことをあまり覚えていないようだ。キドナが部下と共に村に調査に行った日、あの日以降の記憶が曖昧になっており、村を襲った事自体もほとんど覚えていないようだった。


 ポリムとアイシスの父であるハイス・アキュレティ氏はキドナから徐々に情報を引き出し、またキドナが起こした事件のことを徐々にキドナに伝えている。キドナは元々は正義感の強い人物だった。今回の事件のことを一度に伝えると、精神的負担が大きいと配慮してのことだ。事件のことを示唆するように、ぼかしつつ遠回しな表現を使い、キドナに気づきを与えていっている。


 そんな中、リディとニケは正直に言って暇だった。

 事件の翌日、憲兵やアキュレティ家の私兵の中にキドナ達同様、魔素に侵されているものがいないかを調べるため、兵士全員を集めてリディのペンダントを使った検査を行った。結果としてキドナたちと接触の多かった数名に反応があったため、リディによる浄化が行われた。


 その後は事件のこと、特に焼き払われた村の件で過去の被害者であるニケが呼ばれることはあるが、それもあまり長くはない。

 一日の時間を持て余しているというのが本音だった。


「アイシスの家に呼ばれることも減ってきたし、今日は街の外に行ってみるか」

「いいの?」

「アイシスに伝えておけば大丈夫だろ」


 パンを齧りながらリディとニケは今日の予定を話し合う。

 そして、今日は街の外へ行ってケルベたちと遊んだり、狩りをしたりすることに決めた――。


「私も行くわ!!」


 朝食を終えてアキュレティ家の邸宅へと向かい、街の外へ行くことをアイシスに伝えると、そんな返事が返ってきた。


 アイシスはすぐに侍女のケイファを呼び、出かける支度を整える。ダーロン、ルナークへ行ったときと似たような格好だが、真新しい服のように見えた。

 リディがアイシスに聞くと『使用人に借りなくて済むように、自前で揃えたのよ!』とアイシスは胸を張った。


「あの大きい子達にもまた会える? この前はすぐにいなくなってしまったから、ちゃんと会ってみたいわ」

「ケルベ達か? あぁ、呼ぶつもりだ。だが、わかっているとは思うが他言無用だぞ」


 ケルベ達が負ける気はしないが、アイシスの証言から討伐隊を出されても面倒だ。


「そんなことしないわよ。それに口止めならこの間、あの子達を見た時にしてもらわないと。私がおしゃべりだったらもう手遅れよ」

「……それもそうだな」


 ケイファには夕方頃に戻ることを伝えて3人は街の外の森へと繰り出した。先日ニケとアイシスが攫われた小屋があるのとは全然違う方角だ。小屋の近くは憲兵の事件調査で人の出入りがある。ケルベたちの存在を隠すには小屋から離れた場所の方が都合が良いからだ。


「アイシスは今日は事情聴取に立ち会わなくていいのか?」


 道すがら、雑談混じりにリディはアイシスの状況について訊ねてみる。


「本当の事件になってしまったから、ここからは完全にお父様の出番ね。私には権限も実力も足りないわ」


 自嘲気味にアイシスは答える。噂の段階であればアイシスが茶々を入れても、見逃されていたが、事件が魔獣によるものではなく、人が犯したものだと確定し、被害の大きさからアイシスの父アキュレティ卿自身が取り仕切ることになった。


 アイシスも初めは憲兵に混じって動こうとしたが、話の大きさや自身の経験の浅さから、今回は状況を知ることのみに努め、現場の邪魔をしないことを選択していた。


 キドナはと言うと捜査には協力的で、おぼろげな記憶の中から彼が覚えていることについての聞き取りを精査している状況だ。あれから数日経っても、やはりキドナ自身が罪を犯していた期間の記憶は曖昧なままであり、自身が犯した罪をキドナ自身も事情聴取の中で知っていくような状況だ。数日かけてゆっくりと伝えているが、おかしくなる以前の元の実直なキドナに戻ってしまったが故に、聞かされる自身の罪の重さにキドナは憔悴気味だった。


「隙あらば茶々は入れさせてもらうけど、今回は学びに徹するわ」


 アイシスは自身の父が事件を取り仕切る様を間近で観察し、その手腕を盗むことに決めた。その知見は必ず将来の役に立つはずだ。


 イダンセ近くの森の中で、開けた場所を探してリディたちは歩いていたが、なかなか良い場所が見つからなかった。人気のないところを選んでいるため、当然だが整備などはされていない。そのため季節は夏の終りということもあり、草木は生え放題で以前遊んだ場所のような丁度いい場所になかなか出会わないのだ。


「アイシス、この辺りは誰かの私有地だったりするか?」

「いえ、人の手が入っている様子はないし、個人の所有地ではないはずよ」

「ふむ、じゃあこの辺りにするか」


 アイシスの答えを聞いてリディは足を止めた。森に入ってからすでにだいぶ歩いている。

 イダンセの街の者が迷い込んでここまで来るということもないだろう。


 リディは草木の生える中でも、なるべく大きい木の少ない場所を選び魔法の準備を始める。


「少し広い場所を作る。離れていてくれ」


 リディは人差し指を伸ばして前に掲げ、指先に魔力を集める。そして指先が仄かに緑に輝くと、鞘から剣を抜くような動きで、指先を前方に向かって振るった。

 すると、リディが指先から飛ばした風の刃が前方の草木を切り払っていく。リディはそれを何度か繰り返し、直径20歩ほどの広場を作った。

 切られた草木から青臭い匂いが立ち込めたが、しばらくするとその匂いも収まった。


「少し狭いが、まぁこんなもんだろ。ニケ、ケルベたちを呼んでいいぞ」


 リディの声を聞いて、今度はニケが魔法の準備に入る。ケルベたちに呼びかける魔法だ。

 以前と同じようにニケは魔力を集中させ、その後に拡散させる。視覚的には何も起こってはいないもののニケが魔力を拡散させた際に『ぞわっ』という感覚がリディとアイシスを襲う。


(この感じ、馬車の中で……)


 それは、アイシスが馬車に乗っていた時に感じたものと同じだった。ニケはあの時に膝を抱えたままケルベたちやリディに魔力を飛ばしていたのだ。


「これであの大きい子達が来るの?」

「うん、結構近くにいたからすぐ来ると思う……」

「場所もわかるの、便利ね」

「大体の方向と距離だけど」


 ニケが飛ばした魔力は魔法色が同じ魔力に当たると干渉し、一部がニケの元へと戻ってくる。水面の波紋が何かに当たると跳ね返るのに似ている。ニケはその跳ね返ってきた魔力から方向と距離をなんとなく感覚的に感じていた。


 そういう魔法についての話をしていると、突然アイシスの足元に暗い影が落ちた。


「えっ?」


 その影に気づいたアイシスが恐る恐るうしろを振り向くと、音もなくアイシスの背後に迫っていたバジルと目があった。


 ちろりとバジルが舌を出す。見下ろすようにアイシスを見るバジルとアイシスの視線が交差した時、アイシスの動きが止まった。


 なお、目があったものを金縛りにさせるというバジリスクの力をバジルは使ってはいない……。


「一番乗りはバジルか、すぐ近くにいたんだな」


 固まっているアイシスをよそにリディはバジルの元へと近づき、その首筋を撫でた。

 触るとひんやりとするバジリスク特有の肌の触感が夏には心地いい。


「アイシス、ほら怖くないからアイシスも撫でてみろ」

「はっ!」


 リディに声をかけられて恐怖心で固まっていたアイシスが再起動する。

 バジルに近づくというよりも、バジルの側にいるリディに近づくようにしてリディの背中にピタリとついた。そしてリディを盾にしながら、じりじりとバジルに向かって腕を伸ばす。


 ぴとっとアイシスの手がバジルの鱗に触れると、指先からひんやりとした冷たさを感じた。気温は暑いのにバジルの鱗はなぜか冷たい。不思議な感覚にアイシスはバジルに触れる面積を増やしていく。初めは指先、そして指の腹に、それから手のひら全体で。


 徐々になれてきたアイシスの横でリディは頬を擦りよせバジルのひんやりとした感触に涼を求めている。


「あぁ、このしっとりとした肌触りと冷たさ。夏にはたまらん」


 両腕をバジルの首に押し付け、頬をすりすりとしながらリディは蕩けていた。


 バジルの体表は鱗と言ってもあまり硬くはなく、むしろ人の肌のような柔らかさを感じる。冷たさもあって初めて触るアイシスに不思議な感覚をもたらした。


「夏なのにひんやりしているなんて、不思議ね」


 魔獣(バジルたちは正確には魔獣ではないが)の中でも強い魔力を持つものは、自身の体の周りに魔力を流し、鱗や体毛などを固くしたり、体温を調整したりするものがいる。


 また、魔獣の鱗や体毛というのは便利なもので、種族によっては外界からの魔力を遮断したり、逆に自身の内側から魔力が漏れないようにすることもできる。後者は今さっきバジルがアイシスに近づいた時のように、気配を悟らせないように獲物を襲うときなどに有用だ。


 そして、ニケの火球をバジルたちが体で弾くことができるのも、バジルの体が夏なのにひんやりとしているのも、この力の一端によるものだ。


 アイシスとリディがバジルの体をペタペタと触っていると、空からグリフが降りてきた。最後に少し遅れてケルベがのっしのっしと姿を表す。リディはもう見慣れたものだが、この3体が揃う姿というのは何度見ても壮観だ。


「こ、この子達がリディとニケ君の友達なのね」

「あぁ、だが3体とも元々ニケが一緒に行動していた子たちだ。私も知り合ったのはごく最近だよ」


 リディ達3人はダーロン、ルナークを巡る旅の途中、野宿する時に焚き火の周りで雑談に花を咲かせることがあった。その中で互いの生い立ちなどを話してはいたが、ケルベたちの存在は当然ながらアイシスには隠していた。そこで改めて、アイシスにケルベ達のことを紹介する。ケルベ達がニケの村で一緒に暮らしていたこと、そして、ニケの村が滅ぼされた後で、ニケとずっと一緒に旅をしてきたことなどだ。


「そう、少し安心したわ」


 ニケの話を聞いてアイシスの口から思わずそんな言葉がこぼれた。


「安心……?」

「前にニケ君の話を聞いた時に、リディと会うまでずっと一人だったって言ってたから。どんなに辛い旅だったんだろうって思っていたのだけれど、こんなに心強いお友達がいたのね」


 そう言ってアイシスは近くで伏せているグリフの頭を撫でる。この中で最も年長と思われるグリフは一番穏やかな性格だ。アイシスに撫でられても目を細めるだけで、全く嫌がる素振りは見せない。


「ニケ君のこと、これまで守ってくれてありがとう。私が言うのもおこがましいけど、これからも守ってあげてね」

「くー」


 グリフはアイシスの言葉に返事をするように、小さく鳴き声を上げた。


 ケルベたちがいなければ、恐らくニケもリディもこの場にはいなかっただろう。キドナの一件ではニケがあの場にいなければ、アイシスがどうなっていたかわからない。

 アイシスはケルベたちが今までニケを守ってくれたこと、そしてニケと出会わせてくれたことに感謝の念を抱いた。


「さてと、アイシスにケルベたちの紹介も終わったし、そろそろ遊ぶか」


 相変わらずバジルの側で涼を取っていたリディは話が一段落したのを見て、本日の目的に道を戻す。

 近くの木の根元で座っていたニケはリディの言葉を聞いて立ち上がり、準備運動をするように体に魔力を巡らせる。一方でケルベたちは広場の方々へと散らばり、ニケからの開始のきっかけを待っている。


 リディはその様子を見て、広場の端にある木の根元へと腰を落ち着ける。


「遊ぶってリディは参加しないの?」


 こういうことに積極的に参加しそうなリディが、ただ見るだけの体勢に入っているのをみて、アイシスは声をかける。


「アイシスは参加したいのか?」

「え、えぇ……せっかくなら」

「まぁ、ちょっと様子を見て、参加できそうなら混ざってもいいんじゃないか?」

「それって、どういう……」


 アイシスの言葉は体に感じる熱によって遮られた。振り返ると、ニケが自身の半身ほどの大きさの火球を作り、今にも投げようというところだった。


「えっ」


 アイシスが驚く中、ニケが火球をグリフに向かって放り投げる。グリフはそれを宙返りをするようにして蹴り返す。跳ね返ってきた火球を今度はケルベへ、次はバジルへといつぞやと同じような光景が繰り広げられ始めた。


「……」


 アイシスは無言でリディの方へと振り向き、無言でリディの横へと腰を下ろす。


「どうした? 混ざって来てもいいぞ」


 横目でアイシスを見つつ、意地悪く口元を歪めてリディが言う。


「え、遠慮しておくわ……」


 アイシスはニケがいつもやるように膝を抱えて丸くなり、そう返事をした。


 ニケたちの遊びが始まるとリディが切り開かれた広場が熱を帯びる。活気があるという意味ではない。文字通り熱い炎がニケとケルベ達の間を飛び交い、実際に広場の周囲を熱くしていた。


 広場の端っこではリディがあぐらをかいた足を土台にして頬杖をついている。その様子は上品とは言い難く、貴族らしからぬ姿だ。

 そんな体勢を取りつつも魔法で風の膜を張り、自身とアイシスを火球の熱から守りながらぼーっとニケとケルベ達の様子を見ていた。


「……ニケ君とあの子達は、本当に友達なのね」


 玩具にしているものは物騒だが、傍から見ているとニケ達が遊んでいる様は子どものようだ。街で遊んでいる小さな子どもたちのように、そこには上下関係や利害関係などない純粋な友人関係だけがあるように見えた。


「――リディ達はこのあとはどこへ行くの?」


 アイシスはリディに顔を向けず、目の前の景色に目を向けたまま問いかけた。


「そうだなぁ、ルナークを滅ぼしたヤツは北へ戻ったみたいだから、北へ行くことになるな」


 リディもアイシスの方は見ず、ただ聞かれたことに答える。


 今回のイダンセ周辺で起こった事件を整理し、キドナによる被害を除外すると、黒き竜によるものと思われる被害が導き出される。

 そこからは推論になるが、一度イダンセ近辺まで南下したあと、被害はその周辺には広がっていなかった。あるタイミングから大人しくなったとも考えられるが、リディは竜が再び北へ戻ったものと考えていた。


 イダンセでの捜査協力ももうすぐ終わる。リディが知っていることはほとんど話し終えているし、事件に対するリディ自身の考察も一通り伝えてある。キドナという犯人が確保されていることもあり、リディにできることはもうほとんど残っていなかった。


「北……竜の背骨を辿った先には、あの子達みたいな強い魔獣がでる地域があるって聞くけど」

「あぁ、たぶんその辺りに行く」

「死んじゃうわよ」

「危険はあるかもな」


 頬杖をついたまま、リディは他人事のように返事をする。


「それでも……行っちゃうの?」

「あぁ、行くよ。ここでの私の役目も、もう終わったしな」


 リディの視線の先ではニケの動きにだんだんとキレがなくなってきた。

 もうニケ達が遊び始めてから結構な時間が経っている。ニケは火球を受け止めては投げ返すということを何度も繰り返し、普通の人間だったらとっくに魔力切れを起こしている時間だ。


「私は……行ってほしくないわ。リディ達が探してるのは簡単に村を滅ぼしちゃうようなやつでしょ。リディにもニケ君にも危険な目にあって欲しくないわ」


 アイシスは両膝に顔を押し付けるようにして、不安を口にする。

 その言葉を聞くとリディは頬杖をやめ、おもむろに立ち上がりアイシスの正面に立った。

 逆光の中、アイシスからはリディが眩しく見える。


「死なないさ、私もニケも」


 太陽を背にして影になったリディの顔には、アイシスを安心させるような笑みが浮かんでいた。


「じゃあ、約束して。私は必ず王都の学校に行くわ。そして、リディの家に剣術と魔法を習いに行くから私に教えてちょうだい」

「ウチに来るのは腰が引けるとか言ってなかったか?」

「こういう約束をしておけば、ちょっとは死ねない理由になるでしょ」


 アイシスのツンとした態度が、リディには微笑ましく見える。


「わかった。アイシスが王都に来る頃には無事で帰っていると約束しよう」

「絶対よ」

「あぁ、私が嘘をついたことがあるか?」

「出会った初日に私を騙したじゃない」

「…………」

「…………」

「……覚えてないな」


 新たな嘘を重ねながらリディはアイシスから目をそらした。

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