第52話 狩り

 ニケとケルベたちの遊びが終わったあとは、みんなで川へと移動して昼食の準備を始めることにした。とはいえ食料は持ってきていないので、獲物を狩るところから始める必要がある。


 川辺を拠点としてリディが焚き火を準備し、ニケとアイシスは獲物を捕るために森へと入ることになった。リディが率先して焚き火を担当したのは、アイシスがケルベ達と親睦を深められるようにというリディなりの配慮からだ。


「アイシスには私の剣を貸してやる。一応使えるんだろ?」

「えぇ。……軽いわね」

「使いやすいだろ?」


 アイシスが受け取ったリディの剣は羽のように軽かった。もともと小振りな剣ではあるが、見た目から想像される重さよりもずっと軽く。剣術を少し授業で習った程度のアイシスでも問題なく扱えそうなものだった。鞘から出して掲げてみると、刃こぼれは一切なく、よく手入れされているのがわかる美しい刀身をしていた。


「ケルベ達がいれば戦いにはならないと思うが、念の為持っていけ。邪魔な草を斬るのに使ってもいいし」

「ありがとう。でも高そうな剣だけどいいの?」


 この軽さだと通常の鉄ではない、何か特殊な金属を使っていそうだ。

 冒険者や兵士が使う剣は一般的には鉄で作られるが、実力の高いものは相応に剣の質にもこだわる。希少な金属で作られた剣というものは、発注者自身で手に入れた素材を用いて特注で作られるのが主であるが、稀に市場にも出回ることがある。しかし、そういった類のものは一般市民の給料数ヶ月分や数年分といった額になり、なりたての冒険者や一兵卒が気軽に買えるものではなかった。


「ダメなら貸すなんていわないよ」

「……じゃあ、遠慮なく」

「あぁ」


 リディはアイシスを守るためにこの剣を貸すのに、アイシスがこの剣のことに気を取られて危険な目にあえば本末転倒だ。アイシスは借りたからには、この剣の価値は忘れ、普通の剣として扱うことに決めた。


 そんな二人のやり取りを横目に、ニケはケルベ達と森へ向かって歩き出す。ニケにとってもケルベ達と狩りをするのは久しぶりだ。そんなニケの高揚感が歩き方にも少し現れていた。


「あ、ちょっと待て、ニケも持っていけ」


 ニケに声をかけると、リディは持っていたナイフを森へ向かおうとしていたニケへと放り投げた。ニケは振り向いてナイフホルダーに収められたそれを受け取ると、リディに頷き返して腰に巻いた。そして、改めて森へと歩き始める。リディの剣を腰につけたアイシスも遅れないようニケに続いて森へと入った。


「ニケ君、自分のナイフ持ってないの?」

「うん、ちょっと前に無くした」

「ふーん……」


 ニケ達は森へ入ると獲物となる動物や魔獣を探し始める。

 今回はケルベ達もいるので獲物を捕らえるのを彼らにも手伝ってもらう。今から行うのはイダンセへ来るまでの道中で行ってきた狩りのやり方だ。


 整備されていない森は草木が生え放題であるため、ニケはいつも持ち歩いてる杖とも言えない棒で、アイシスはリディから借りた剣を使って、草木を切り開きながら進んでいく。

 森の中で獲物を探すには、まず獲物の痕跡を探すことが重要だ。獣道に残る新しい足跡や、樹をかじった跡、地面に残された糞など、一見なにもない森の中でも注意深く探すと獲物の存在を示す痕跡が見えてくる。ニケとアイシスは獲物の残した痕跡を探しながら注意深く森の中を進んでいった。


 ニケとアイシスが二人で獲物を探す一方で、ケルベ達は散り散りになってそれぞれで獲物を探していた。ケルベは風下へと移動して鼻を効かせ、バジルは茂みの深い部分へ移動して隠れながら熱を感知する器官を働かせ、グリフは翼をはためかせて大空へ舞い、空から獲物を探す。

 それぞれの種族が持つ、本能が知る方法で獲物を探していく。


「見つからないわね」


 森を歩く中でいくつかの獣の痕跡は見つけた。樹の幹を引っ掻いたような跡や、蹄のような足跡だ。それぞれそんなに古そうではなかったが、近くに痕跡を残した者の姿は見えなかった。


「……ニケ君どうしたの?」


 ふとアイシスがニケの方を見ると、ニケは足を止めて空を見上げていた。


「見つけたって」


 アイシスはニケに近寄るとニケの視線をなぞるように上空を見上げた。

 木々の葉の隙間、枝分かれしたところ辺りから、よく晴れた青空が見える。そしてその青空には、羽ばたく大きな生き物がいた。グリフだ。


 グリフは高いところを円を描きながらくるくると飛んでいた。あの動きが獲物を見つけたという合図だ。獲物が見つかるとそこからは早かった。

 グリフの動きを確認するとニケはすぐに魔獣たちに呼びかける魔法を放つ。魔力が拡散し、森全体に広がりケルベとバジルにも獲物の存在が伝わる。


 3頭とニケは互いの位置を確認しながら、獲物を囲うような配置につく。グリフは上空に待機し、バジルとケルベはニケから獲物を挟んで反対側に位置を取った。獲物を中心にちょうど四面体で囲うような配置だ。


 獲物を囲んだ状態から徐々に包囲を狭めていく、少しするとニケの視界にも獲物の姿が入った。ジカだ。


 ジカはこの国の山林でよく見られる魔獣だ。ブータと並んで多く生息している。イダンセの前に立ち寄ったリトナの町で退治したのはヒジカだったが、ヒジカの角に火が灯っていない種族をジカという。ジカとヒジカは近縁種であるが、完全に別の種族であり、ジカの角がある日突然燃え始めてヒジカになったりはしない。


 ジカの姿を確認し、ニケはナイフを取り出した。森に入る前にリディから借りたリディ愛用のナイフだ。ナイフを手にジカに見つからないように、ニケは草木に身を隠しつつ徐々に近づいていく。アイシスはニケが歩いた跡をなぞるように、そして足元の枝を踏まないように注意しながらニケの後に続いた。ここからが狩りの本番だ。


 魔獣は好戦的な性格だ。それはジカも例外ではない。ただの動物であれば、人の気配に気づけば逃げるのが普通であるが、魔獣の場合は違う。むしろ人を見かけたら襲って来る。それが魔獣だ。わざと挑発して戦って捕らえるのも一つの手ではあるが、ジカの大きい角で突進されるのは危険が伴うし、アイシスがいるこの場では得策ではない。


 狩りのやり方はいくつかあるが、どのやり方でも獲物の動き方次第では想定外のことが起きる。そんな中で今回は一番確実な方法をとる。リディと旅する中で何度か行ってきたやり方だ。


 ニケがバジル達に合図を送る。


 そして、狩りが始まる。



 ジカは耳をピクピクと動かしながら草木の葉を食べていた。魔獣といえど草食は草食。人を襲うと言っても、ジカは人を食うわけではない。縄張り意識が異常に強い動物のようなものだ。


 ジカが草を食べている間、辺りにはジカが草を喰む音だけが聞こえていた。そして、そこにガサガサと音を立てながらバジルが近づく。大きい体を草木にあて、首を振って草木を揺らし、足元の枝を踏み、バジルはジカとの距離を詰めていく。バジルならなるべく音を立てずに近づくこともできるが、今はわざと音を立てている。ジカにバジルの存在を気づかせるためだ。


 ジカが音に気づき耳が音を追う。そして、音がした方へと首を動かし視線を向ける。


 と、ジカとバジルの目があった――。


 その瞬間、ジカの体は動かなくなった。そしてすぐに上空から大きな影が落ちてくる。空から降りてきたグリフは鳥のような前足でしっかりとジカの体を掴み、そのまま自身の体重を使ってジカを地面へと押し付けた。


 ニケはバジルとグリフが捕らえたジカに歩み寄ると、動けなくなっていることを確認する。そして、ジカの喉元へ持っていたナイフを突き刺し、そのまま引き裂いた。


 こうして狩りはあっけなく終わった。

 ケルベの出番はなかった……。


「この子達がいると、あっさり終わるのね」

「うん、いつも手伝ってくれるから助かってる」


 グリフは捕らえた獲物つかんで飛び上がり、先行してリディの元へと戻った。帰りの道中を2人と2頭はゆっくりと歩いて戻る。バジルが先導し、続いてニケとアイシス、最後尾にケルベがいる。


「羨ましいわ、こんなに大きい子達とお友達なんて」


 アイシスは先導するバジルの背中を見てから、後に続くケルベを振り返り、そうぼやいた。


「もう、怖くないの?」


 バジルに出会った直後、硬直したアイシスを見ていたニケは、もうあまり怖がっている様子のないアイシスにそんなことを聞いてみた。


「そうね。全くというと嘘になるけど、怖さはあまり気にしないことにしたわ」

「気にしない?」

「私が怖がろうが、そうでなかろうが、私を殺すことなんてこの子達にとっては簡単なことじゃない? だったら怖がるのって意味がないし、無駄じゃないかなって」


 その言葉を聞いてニケは出会った当初のリディのことを思い出した。

 リディと出会ったとき、初めはリディもニケ達のことを警戒していた。しかし、警戒したところで戦いになったらどうせ勝てないと思ったリディは警戒などせず、そのまま眠りこけてしまった。そのときニケはリディを変な人だと思ったわけだが、同じようなことを言う人間がここにもいた。


「リディとおんなじようなこと言ってる……」

「えっ!?」


 ニケからリディと出会ったときの話を聞くと、アイシスは複雑な表情を示した。


「そう、リディのことは尊敬しているけど……おんなじって言われるとちょっと心外だわ」

「そうなの?」

「リディってなんとなく大雑把じゃない? 私が目指すのはもう少し清楚な感じなのよ」


 アイシスはリディのことを尊敬しているが、目指すべき姿とは少しずれている。アイシスが目指す姿は、雷魔法を纏いながら川に飛び込んで魚を獲ったり、酔っ払ってよだれを垂らしたりはしない乙女なのだ。


「だったら、やっぱりリディと一緒だ」

「えっ、なんで?」

「リディは乙女で、乙女は清楚で見目麗しい令嬢だっていってた」

「えっと、あーうん、そうなんだけど……うーん」


 ニケになんと説明したものかと思い悩みながら、アイシスはリディの待つ川辺へと戻った。


 そして――。


「私はリディよりも、もーっと淑やかで清楚な女性を目指すわ!」

「は? え?」


 川辺へと戻ってきたアイシスはリディにそれだけを言って、調理の準備を始める。


「な、なんだ……?」


 呆然とアイシスの背中を見送り、なぜそんなことを言われたのかわからない疑問だけがリディに残された。

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