第48話 干渉
「俺の……邪魔をしたな……?」
キドナは震えていた。自分がやろうとしていたことが邪魔された。そのことが許せなかった。キドナ自身にも理解できない、押さえきれない怒りがこみ上げてくる。
先程までアイシスを犯すことだけを考えていたキドナの思考は、今は目の前の子供、キドナの邪魔をした子供を壊してしまいたいという衝動に染まっていた。
キドナの衝動をぶつける対象はアイシスからニケに移り、自身の正面に立つ少年をキドナは赤い瞳で睨みつける。しかし、そんな視線にもニケは全くひるまず、キドナを睨み返した。
アイシスもニケの魔法の実力を知ってはいるがキドナは本職の兵士だ、アイシスよりも年若く小柄なニケが対抗できるとは思えなかった。
「ニケ君、ダメ逃げて!」
「逃げない」
アイシスの叫びをニケは聞き入れなかった。
「……どうして」
自身のせいでニケに危険が及ぶ、そのことがアイシスには恐怖だった。アイシスがニケと出会ってからまだ数日。一緒に短い旅をしただけだ。
そんな自分のためにニケが危険な目に合う必要などない、自分のことなど置いて早く逃げて欲しいアイシスはそう思った、――しかし。
「男は乙女を守るもの、だから」
ニケはいつもの口調でそうポツリと返事をした。
「ガキがああああああ!! 俺の邪魔をするなあああああ!!」
キドナは右腕を振りかぶると即座に魔力を集中させる。あの時悪魔のささやきを聞いてから身についた膨大な魔力だ。手のひらにはキドナの半身ほどの大きさの火球が瞬時に練り上がり、作り上げた火球をニケめがけて思い切り投げつけるように撃ち放った。
キドナの放った大きな火球はニケめがけて飛んでいく。当たれば火傷では済まない。火球を目で追いかけていたアイシスは数瞬先のニケの凄惨な姿を思い描いてしまい、思わず目を背けた。
瞼を閉じた暗い世界でアイシスはドンという火球が爆ぜる音を聞いた。このまま現実から目を背けていたかったが、ニケの安否は確認しなければならない。アイシスは恐る恐る瞼を開くと、そこには先程までと変わらないニケの姿があった。
その場は時が止まったように静まり返っていた。ニケの後ろには地面に着弾した火球の爆発跡がくすぶり煙を上げている。キドナの放った火球はニケには当たらずニケの横を通り過ぎていったのだ。
唖然としていたのはキドナだった。キドナからニケまでの距離は大人の歩幅で10歩ほど、近いと言っていいい距離だ。この距離で、自身の半身ほどもある大きさの火球で、狙いを外したことにキドナはあっけにとられていた。
なぜ外れたのか? 手元が狂ったから? なぜ外れたのか? 魔力操作を誤ったから? なぜ外れたのか? アイツが避けたから?
獲物を確実に殺すため、キドナは頭の中で火球が外れた原因を探る。だが、そんな思考もすぐに衝動に染まっていく。
殺せ、殺せ、殺せという声がキドナの頭に響く。頭に浮かんだ疑問は消し飛び、目の前の獲物を殺すことだけで頭の中がいっぱいになる。
「あああああああ!!消し飛べぇ!!」
キドナは咆哮を上げて、両手から交互に乱暴に火球を投げ続ける。一つ一つの火球は小さくなったが、数が多い。そこには考えなどなく、ただニケを殺すためにがむしゃらに火球を投げていた。
――だが
火球はニケに当たらない。ニケは一歩も動いていないのに、火球はどれもニケのすぐ横を通り過ぎていく。通り過ぎていった火球は地面に着弾し、爆発して地面を焦がす。
ニケの後ろの地面は段々と黒く染まっていき、焦げ臭い匂いが辺りに立ち込める。
「あああああああ!!!」
キドナは両手を振り回し、火球を投げ続ける。もはや無駄だとキドナ自身も気づいてはいたが体は止まってはくれない。キドナの意志とは別の何かに突き動かされ、ただがむしゃらに当たらない火球を投げ続けていた。
ニケの背後の地面がすっかり黒くなった頃、ついにキドナの動きが止まった。
結局ニケにあたった火球は一つもなかった。
常人だったらとうに魔力切れを起こしているだけの魔法を放っている。キドナの魔力が尋常でない量になっているのは確かだった。
「はああああ、はああああ」
キドナは呻くような呼吸音を発し、肩で息をしていた。その様子を見て、ニケも緊張を緩める。
――その時だった。
キドナはその瞬間を見逃さなかった。荒くなっていた呼吸を一瞬止め、足に力を入れて地面を蹴る。ニケが反応するよりも早く、ニケに接近し拳に力を込める。
「がはっ!?」
キドナの拳がニケの腹を撃ち抜く。衝撃でニケは大きく吹っ飛び地面へと転がった。
「ニケ君!!」
アイシスの叫び声だけが響き、辺りがシンと静まり返る。
地面で動かなくなっているニケの元へアイシスが駆け寄る。
ニケは腹を押さえてうずくまっていた。みぞおちに喰らった一撃で呼吸をすることができていない。ヒューヒューという呼吸にならない息遣いだけが聞こえてくる。
その様子を見てキドナは満足そうな笑みを浮かべた。
地面に横たわるニケとその横にかがんでいるアイシス。二人を見下すように赤い瞳を向けてキドナはゆっくりと近づいてくる。
「キドナもう止めて! あなたそんな事する人じゃなかったじゃない! 元のキドナに戻って!!」
アイシスの叫びが森に響くが、その声はキドナの心には届かない。
「――人? あれは、もう人じゃない。……魔獣」
痛みをこらえ、呼吸を整えながらアイシスの手を除けてゆっくりとニケが起き上がる。
「ニケ君! 大丈夫なの!?」
「大丈夫……さっきのは油断した、だけ」
まだ腹を押さえながら、ニケはよろよろと立ち上がる。弱々しいその姿にアイシスは手を差し伸べるが、ニケは手でアイシスを制止し、アイシスの手を掴むことはなかった。
「さっきのはもう喰らわない。――それに、もう来る……」
「え?」
ニケはアイシスから離れて、再びキドナに向き合う。
「ガキィ、今度は殺してやるよ!!」
「殺されない。お前じゃ僕は殺せない」
キドナの圧に押されることもなく、ニケは毅然として答える。その態度がキドナをまたイラつかせる。
「クソが! 死ねええええ!!」
キドナが剣を振り上げた時だった――。
「ケルベ!!」
ニケの声と同時に一頭の大きな影がキドナに襲いかかった。
突如現れたその影にキドナは反応することができなかった。為す術もなく押し倒され、大きな前足で組み伏せられる。
だが、こういうことが起きたときのためにこの場には部下がいる。彼らも今は大きな魔力を持っている。助けを求めるようにキドナは彼らの方を見た。
が、二人の部下もキドナと同じ状態だった。
一人はグリフォンに、もう一人はバジリスクに、キドナと同じように組み伏せられている。
見ればグリフォンの背には一人の女が乗っている。それはキドナにも見覚えのある女で、アイシスたちがイダンセを出るときにキドナが言葉を交わした女だった。
本来であればこの女はこの場に来ることは出来ないはずだった。キドナがそう仕向けたからだ。アイシスたちがイダンセに到着したときに、ポリムが呼んでいると嘘をつき、邪魔な護衛を強制的に部下に連れて行かせ、その間にアイシスたちを拐かしたのだ。この場所のことを知っている者は少ない。辿り着ける理由はないはずだった。
「ニケ、アイシス無事か?」
「けほっ……無事」
ニケは腹を軽く押さえながらリディの質問に答えた。
「ちゃんと聞こえたんだね」
「あぁ、なんかまだ気持ち悪い感じだがな……」
言いながらリディは自分の頭を拳で軽く叩いた。
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