第47話 キドナ
森林の管理小屋は丸太を組んで作られた年季の入った小さな小屋で、長年外観は掃除されておらず、薄汚れた壁はところどころ黒ずんでいた。ただの古ぼけた小屋であるが、周りの薄暗さもあって不気味な雰囲気も漂っている。
御者が声をかけ、その小屋の扉から出てきたのはアイシスもよく見知った顔だった。
「キドナ……」
小屋から出てきたキドナはアキュレティ家の鎧を身にまとっていた。私兵長を示す一兵卒とは異なる色合いのその鎧は、夕暮れ近い赤い日の光を受けて、鈍く皮肉な輝きを放っていた。
「ご足労いただき感謝しますよ。アイシス様」
「礼はいらないわ。勝手に連れてこられたんだもの」
丁寧なやり取りに棘を隠した会話を二人は交わす。アイシスもキドナも相手に主導権を握られまいとしている。
「それで、何が目的なの?」
「アイシス様には人質になっていただきたいだけですよ。アキュレティ家から身代金をもらうためのね」
「断ったらどうなるのかしら?」
「断れないようにするだけですよ」
そう言ってキドナは口元を歪めた。
この場には、キドナとその部下である兵士2名がいて、3人共が剣を携えている。
身体能力に乏しいアイシスとニケでは3人から逃げ切るのは難しく、抵抗することも厳しい。話をしながら状況を打開する何かを模索するしかなかった。
「そういえば、ちょうどあなたに聞きたいことがあったのよ」
「なんです?」
「ポリムとあなたが調べていた村が焼き払われるという事件、犯人はあなたなの?」
「そうですよ?」
ごく当たり前のことのように、キドナは隠すでもなくそう答えた。
アイシスも心のどこかでわかってはいた。事件の起こる頻度とそれに呼応するように、徐々に変化していったキドナの態度。証拠はないがアイシスの中で疑念は十分に膨らんでいた。
しかし、改めて本人の口から事実を突きつけられると、氷の刃で心を刺されるような冷たい感情が湧き上がってくる。
「村人全員、殺したの?」
「あぁ」
涙が流れ出すのをこらえてアイシスは質問を続けるが、アイシスの心情など慮ることもなくキドナは淡々と返事をする。
「……なんで?」
アイシスの声が震える。
「ギャンギャン、ギャンギャンうるせぇし、財産いただくには、その方が楽だからな」
その時だった、キドナの目が赤く輝いたのは。
アイシスはキドナのその赤い瞳から目を離せなくなる。以前アイシスも見たことがある魔獣特有の赤い目がそこにあった。
「キドナ、目が……」
アイシスはキドナの目を震える手で指差す。
「目? 何を言ってやがる」
アイシスが自分の後ろを指差したと思ったキドナは後ろを振り返る。
「何もねえじゃねぇか」
キドナは自身の目の変化に気づいていなかった――。
その一呼吸の間ができたことで、アイシスは冷静になれた。
キドナが悪を成したなら、その罪を知らねばならない。キドナの罪を知ったなら、領主の名の下にそれを罰さねばならない。今は泣いている場合ではない。
それに、赤い目のことも知らねば。
アイシスは『ふぅ』と大きく息を吐くと。アイシスに見下すような目を向けているキドナをキッと睨んだ。
「村の財産を奪うために、村人全員を殺した。ということでいいのかしら?」
「あぁ、そうだ」
「……どうして?」
「世の中金だろ?」
「うちのお給料じゃ満足できなかったのかしら?」
キドナを歪めてしまったのは、アキュレティ家に不満を持ったからかもしれない。
そうであればアキュレティ家もキドナの凶行の責任の一端を背負わねばならない。
「給料には満足していたさ。だがな、俺は力を得たんだ」
そう言いながら、キドナは右手に小さな火球を作ってみせた。そして作った火球の直径を自身の身長ほどに膨らませると、誰もいない森の方へと撃ち放った。
火球は着弾すると炸裂し、辺りの木々を燃やし尽くす。そうして残るのは灰になった木々。ダーロンもこうしてキドナに焼き払われたのだ。
「この力があれば、俺はどんなことでもできる。好き勝手したところで邪魔するものはいない。なら、好き勝手振る舞ってもいいだろ? 俺はもうアキュレティ家の私兵なんて小さい器に収まる男じゃないのさ」
「一体どこでそんな力を……」
キドナは元々魔法に秀でた男ではなかった。私兵の訓練を時々見ていたからアイシスも知っている。魔法は使えたが、それは敵を牽制したり虚をつくために小さな火球を作るのがやっとで、こんなに莫大は魔力をキドナが持っているはずはないのだ。
「あれは、村が滅んだという噂を聞いて、その村に駆けつけたときだった――」
キドナが到着したときにすでに村には誰もいなかった。
村の家々は黒く焼き払われ、人は誰一人としていなかった。キドナは部下を連れて村の家を一つ一つ見て回った。しかし、生活の跡が残っている家は一つもなく、すべてが灰と化していた。
そして、村を一通り見て回って改めて焼け落ちた村を見ていたときだった。
『お前もやれ』と、誰かに言われた気がした。
その声を聞いた時だった。どこからともなく湧き上がる力をキドナは感じた。自身には今までになかった膨大な魔力。試しに火球を撃ってみると、以前は手のひらサイズの火球を作るのが精々だったが、瞬時に自身の身長ほどの火球を撃ち放つことが出来た。すでに黒くなった家に火球が直撃すると、家は脆く崩れ去った。
突如として得られた莫大な魔力。キドナは何かに選ばれたと感じた。
そして、今なら俺がやりたいことが何でもできる。その力はキドナをそんな気分にさせてくれた。
力を得たキドナは自分の欲に忠実になる。もともと裕福ではない家庭で育ったキドナは子供の頃から何かと我慢して育ってきた。欲しいおもちゃも買ってもらえず、将来の夢は諦め、収入の安定した領主の私兵という職についた。
そんな、抑圧された欲が力によって解放され、キドナはとにかく財を求めるようになった。
最初は小さいことだった。私兵長という立場を利用し、部下の給与を掠め取った。イダンセの街周辺の事件が広まり、街の入り口に警備が設けられたときには、やって来る商隊をときに脅し、ときに賄賂を受け取り私腹を肥やした。
やがて、キドナは獲物が街に来るのを待つのではなく、自分から出向くことにした。
警戒と称してイダンセ周辺の村々を訪れ、新設された税の徴収と偽り村人の金品を奪った。
おとなしく従った村に手は出さなかった。時間が経てば村は新たに財を蓄え、それを奪うことができるからだ。反抗する村は村人全員を殺し、すべてを燃やした。自身の犯行を隠蔽し、村を焼いて回っている別のモノの犯行に見せかけるためだ。
村中を焼くには大きな魔力が必要だが、キドナ自身の魔力は膨大に膨れ上がり、キドナと共に最初に焼かれた村に訪れていた部下も同じような力を得ていた。
キドナたちはその力を使って徹底的に村を焼いた。
村を焼き、黒く染まった村を見るとキドナは得も知れぬ充足感に満たされた。
「今なら何でもできる。そんな気分だったさ……」
口元を醜く歪め、キドナは恍惚の笑みを浮かべた。
そして、思いを巡らせていた視線はアイシスへと向かい、今度は違う欲をさらけ出す。
下卑た笑いを浮かべてキドナはアイシスを見た。
「身代金ってのは生きてさえいりゃ、多少キズモノになってももらえるよなぁ」
剣を突き出してキドナはアイシスににじり寄った。アイシスの下から上へ舐めるように視線を動かす。
アイシスはキドナから目を離さず、距離を取るために後ずさる。
一歩、二歩、三歩。
キドナの後ろにはキドナの部下たちもにじり寄ってきている。気味の悪い3人の視線がアイシスに注がれていた。
四歩、五歩、六歩。
キドナは剣でアイシスを誘導するように追い立てる。服に触れそうになるほどに剣先をアイシスに近づけ、夕暮れが迫り、鈍色に染まるその剣は、アイシスにはひどく恐ろしいモノのように見えた。
七歩、八歩、九……歩目は足を踏むことができなかった。
背中にどんと固いものが当たる感覚があった。アイシスの背後に大きな木が立ちふさがり、それ以上下がることはできなかった。
アイシスの眼前にキドナの剣が向けられる。
「もう逃げないのか?」
「どうせ、逃げられないでしょ」
大木を背にしたまま、アイシスは余裕のある素振りで答える。内心は逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。しかし、背中を見せれば即斬り捨てられる危険がある。キドナから目を離すわけにはいかなかった。
「ふ、泣き喚くかと思ったが、思ったよりも気丈だな」
「このあいだ似たような経験をしたからかしらね?」
「ほぅ、頭の狂ったやつがいたもんだな」
「今のあなたよりはマシだったわ」
ふんと鼻を鳴らして、嘲笑するようにアイシスは答えた。弱みを見せては付け込まれる。
あくまで余裕のある態度は崩さない。
「だが、その態度もどこまで持つか……なっ!」
キドナはアイシスの胸元に付けた剣を軽く振り上げると、一気に振り下ろした。
「きゃあっ!!」
アイシスの服が割かれ、下着が露わになる。
アイシスはすぐに切り裂かれた胸元の服を手繰り寄せて、身を隠すようにかがむ。
「お前もその歳なら、これからどういうことされるかわかるよなぁ」
酷薄な笑みを浮かべて、キドナはアイシスの反応を楽しんでいた。地面にうずくまるアイシスを見下すことに愉悦を感じ、今にも剥き出しになりそうな欲望を、楽しみをとっておくように膨らませ続けている。
そして、キドナの後ろに従う兵士も、キドナと同じ下卑た笑いを浮かべている。
アイシスは男3人から向けられる劣情に染まった視線に怖気立った。
「い、いや……やめて……」
アイシスの表情が恐怖で歪む。胸元の服を押さえている指先は震え、血の気が引いた顔は蒼白くなり、もはや虚勢を保つことはできなくなっていた。
「あぁ、いい表情だ……」
キドナがアイシスの体に手を伸ばそうとした時だった――。
「――っ!!」
キドナはその場から飛び退き、さっきまでキドナが立っていた場所を火球が通過していった。
間一髪で火球を躱したキドナは火球の飛んできた方向を睨みつける。その視線の先にはキドナに狙いをつけるように、右手を伸ばし構えているニケの姿があった。
「ニケ……君?」
「乙女の柔肌を許可なく見てはいけない」
ニケはキドナに向かって、そう言い放った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます