第39話 野宿

 食事の準備をする間に辺りはすっかりと暗くなり、焚き火の炎だけが辺りを照らす光として存在感を主張している。

 夕暮れを告げていた虫の声は今は鳴りを潜め、代わりに鈴の音のような虫の声が辺りを彩っていた。


 リディが仕留めた大漁の魚をいつものように串焼きにし、ニケが採った野草や木の実を添えて三人は舌鼓を打った。

 アイシスは初めて食べる魚の串焼きに最初は戸惑っていたが、リディから串を持って齧り付くように促されて一口食べると、その美味しさにすぐに虜になり、次々焼ける魚を2匹、3匹と食べていった。


「質素だけど美味しいわね。オムライスに次ぐ美味しさだわ」

「そうか、よかった」


 ニケは横でモソモソと魚を食べながら二人を見ていた。


「乙女は串焼きの魚が好きなの?」

「ん?」

「リディも串焼きの魚美味しいって言ってた」


 ニケはリディと出会ったばかりとのときにリディが、今と同じように串焼きの魚をむしゃむしゃと食べていたのを思い出していた。


「あぁ、そうだぞ。串焼きの魚は乙女の大好物だ」


 リディはニケにそう答える。


「ニケ君さっきも乙女って言ってたわね。ちゃんと意味わかってる?」

「リディみたいに清楚で見目麗しい令嬢のこと……でしょ?」


 ニケの答えを聞いてアイシスは横目でリディを睨んだ。


「あなた、適当なこと教えてないでしょうね?」


 リディはアイシスの視線を逃れるように横を向いて吹けない口笛を吹いている。


「ニケ君、あんまりこの人の言うこと信じ過ぎちゃダメよ」


 リディがニケに適当なことを教えていると心配になったアイシスは、ニケにちゃんとしたことを教えなければと言う使命感に駆られた。

 二人が旅の途中で出会って、一緒に旅をすることになったという話は聞いている。

 しかし、それはごく最近の話だ。


 アイシスはニケの生い立ちを聞いていないが、自分より幼い年齢で一人で旅をしているということだけでも訳ありということはわかる。

 ニケと話してみると、ずっとぼんやりした調子で、人に慣れていないことは明白だった。

 なれば、ニケが人付き合いを学ぶ助けになろうとアイシスは考えた。


「リディは、悪い人?」


 ニケは首をかしげる。


「悪い人ではないけど……。時には疑うことも必要よ。昨日、私が騙されたの見てたでしょ? ニケ君もああいうことされちゃうわよ」


 アイシスは昨日のことを引き合いに出してニケを説得する。

 それを聞いてニケは昨日のことを思い返す。


「うん、わかった。たまにリディを疑ってみる」

「えぇ、そうね。でもこの人だけじゃなくていろんな人がいいわ。世の中にはいい人も多いけど、悪い人も多いわ。騙されないためには人を疑うことも重要よ」


 人差し指を伸ばして、アイシスは雄弁に人を疑うことの重要性を語った。


「人を疑うことも重要……」


 アイシスからの講義の後でニケは一人で反芻していた。



 焚き火を囲う3人は食事を終えて、雑談に花を咲かせていた。

 喋っているのは主にリディとアイシスで、たまに話を振られたニケが返事をする。そんな会話を繰り返す。互いの生い立ちや、今日の反省、旅のコツなど話題は止めどなく変わり、リディとアイシスは親交を深めていった。


 アイシスはこの時間がとても楽しかった。級友や同じ貴族の友人との交友がつまらないという訳ではないが、アイシスが憧れる冒険譚のような経験が彼ら、彼女らにあるわけもなく、友人との会話はあくまで日常的なものだ。


 それが、今はアイシス自身が非日常に身を置き、これから野宿をしようとしている。そして、目の前には憧れた冒険譚の主人公のようにお忍びで旅をするリディの存在。目を輝かせるなと言うのはアイシスには無理な話であった。


 そんな楽しいときでも、今日の疲労は容赦なくアイシスを襲い始める。

 瞼は重くなり、リディの話が右から左へ頭の中を通り過ぎていく。そしてついに、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。


 そんなアイシスの様子にリディも気づく。


「明日も朝の涼しいうちに出発したいし、そろそろ寝るか」

「あ、ごめんなさい」

「謝らなくていい。慣れない旅で疲れただろう、今夜はゆっくり休もう。ニケ毛布を」


 リディはニケに毛布の用意を指示すると、アイシスを支えながら立たせて、荷物を置いた森近く、地面の柔らかい場所へと連れて行く。


「昼は暑くても夜は冷えるからな」


 ニケに用意してもらった毛布でアイシスを包むと、ゆっくりと座らせてから横に寝かせた。枕になりそうなものはなかったので、リディの着替えを荷物からいくつか取り出し、アイシスの頭と地面の間に挟んだ。


 アイシスはもう寝息を立て始めている。


 今日の旅でアイシスは疲れこそ見せてはいたが、弱音は一切吐かなかった。リディは正直アイシスが途中で帰りたいと言いだすことも考慮していたのだが、そんな気配も感じられなかった。

『村の様子をこの目で確認したい』そう言ってアイシスはこの旅に付いて来た。それは一時の見栄で言った言葉ではなく、真にアイシスの信念から発せられた言葉なのだと、アイシスの寝顔を見ながらリディは思った。


「頑張ったな……」


 リディは寝ているアイシスの胸元に手をやり、手のひらに魔力を集中させる。ほどなくリディの手のひらからは淡い緑の光が溢れ始め、アイシスの胸元を照らし始める。

 そして、リディが手のひらに力を込めると、リディの手のひらの光は溶けるようにアイシスへと流れていった。


「おやすみ、アイシス」


 寝ているアイシスの頭をなでて、リディは焚き火の元へと戻っていった。

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