第40話 ダーロン
翌朝アイシスが目を覚ましたのは、まだ空が明るくなる前だった。
いつも寝ているふかふかなベッドではない硬い地面で寝たにもかかわらず、頭がスッキリしている。昨日、リディと楽しくおしゃべりをしていたところまではなんとなく覚えているのだが、途中から記憶が曖昧だ。
疲れて眠ってしまったのだと思うが、その割には体が妙に軽かった。
アイシスは川岸へと歩いていき、川に手を浸す。川の水は夏なのにしびれるように冷たく、手を浸しただけでぼんやりしていた意識が一気に覚醒した。
両手で水を掬い、バシャバシャと顔を洗う。手を浸しただけで目は十分覚めていたが、冷たい水で顔を洗うと全身を洗ったように気持ちがさっぱりとする。
最初水の冷たさに怯みはしたが、一日の始まりにこうして気を引き締めるのはとても意義あることのような気がした。特に何か行事があるような日には――。
いつもはケイファが部屋までぬるま湯を持ってきてくれるので、これほど冷たい水で顔を洗ったことはなく、アイシスにとってこれは新鮮な体験だった。
今度から、朝から気を引き締めたい日にはケイファに冷水をお願いしようとアイシスは思った。
リディ達3人はまだ涼しい早朝のうちに、ダーロンへ向けて歩き始めた。
昨日は早めに切り上げたので、ダーロンヘ到着しなかったが、ダーロンまでの残りの距離はそれほど長くないはずだ。リディは出発した時間から考えて昼前には到着するはずだと考えていた。
ダーロンヘ続く細い街道は歩みを進めるにつれ、両側にある森がせり出すように深くなっていく。このままでは道がなくなってしまうような不安にかられるが、足元には馬車が通った轍が残されている。この先に村があったのは間違いないはずだった。
歩き始めて一刻ほど、街道は途中から上り坂になり始め、山を登るために道は大きくくねり始めていた。森はあれから更に深くなっている。
リディ達の前方には坂道の終わりが見えている。先が見通せないので、坂の先が平地になっているかはわからないが目標としては丁度いい。この坂を登りきったら休憩にしようとリディは決めた。
「これを登りきったら一旦休憩にしよう」
リディは振り返ってアイシスにそう伝える。まだ涼しさの残っている時間帯ということもあり、アイシスにもまだ余裕はありそうだ。言葉は発さなかったがしっかりと頷いて返事をした。
二人の先をスタスタと歩くニケはすでに上り坂の終わりに差し掛かっている。
坂を登り終えるとニケは足を止め、坂向こうの景色をじっと見ていた。
空は晴れていた。天頂は深い青、そこから地平に向かって白にグラデーションしていく。
雲は少なく、遮る物のない夏の太陽は、容赦なくリディたちを照りつけていた。
上り坂を登るアイシスとリディは汗をかきながら一歩ずつ足を進め、ニケの待つ上り坂の頂上へとたどり着いた。
坂の頂上からは村が見えた。目指していたダーロンだ。
上り坂を登ったら休憩と思っていたが、リディたちは目的地に着いていたのだ。そして、坂の上からは村が一望でき、リディとアイシスの目にも村の景色が広がった――。
村は滅んでいた。そこにあった色は黒。焼け焦げた家々が崩れ並び、人の気配は感じられなかった。
わかってはいた。
今回の目的は『滅んだ村』の状況の確認。こういう景色を見ることになるのは、あらかじめ予想できていた。しかし、現実として目の前に突きつけられると、その凄惨な景色にリディとアイシスは何も言葉を発することができなかった。
「行こう」
3人はしばらく呆然と立っていたが、リディの声をきっかけにダーロン村へと近づいていった。
村は無音だった。事が起こってからかなりの時間が経過しており、炎は残っていないが煤の匂いはまだ漂っている。
焼け落ちた家々の間をリディたちは歩いていく。形を残しているもの、跡形もなく崩れているもの、壊れ方に違いはあったが、無事に残っている家は一つもなかった。
「ひどい……」
誰もいない村にアイシスの声だけが虚しく響いた。
3人は各々村を見て回った後で、村の中央に集合する。
「ふむ、酷いものだな」
「家一軒一軒、全て焼き払うなんて。執拗というか、異常ね……」
ただの野盗のたぐいであれば、ここまではしないだろう。目的は食料や財産のはずだし、村を襲ったあとで家を焼き払う意味がない。
「遺体が全くなかったけど、どこにいったのかしら?」
「村の外れに集団埋葬された跡があった」
「えっ!?」
驚いた声を上げたのはニケだった。
「ここは生存者がいたという話だし、その逃げ延びた者か、村の確認にきた憲兵が埋葬したのだろう」
「……死体は残ってたの?」
「埋葬したということはそうだろうな。どうした、ニケ?」
「やっぱり、……ちがう」
ニケはそれだけ言うと、近くにある焼けた家の近くに行き、焼けた柱などを観察し始めた。
「どうしたのかしら?」
「……わからない。が、こちらはこちらでもう少しいろいろ見てみよう」
ニケの村は黒き竜によって滅ぼされたと言っていた。
その惨状を知っている者はニケしかいない。さっきの『ちがう』という言葉は、おそらくこのダーロンとニケの村を比較しての言葉だ。
何が『ちがう』のかはリディにはわからないが、この場はニケに好きにさせたほうがよさそうに思えた。
「それにしても、村中の家をどうやって焼いたのかしら?」
ニケが調べているのとは別の家を観察しながら、アイシスはリディに尋ねた。
リディは顎に手を当てて考える。
「おそらく……、魔法だろうな」
「結構な家の数があるけれど、全て魔法で焼き払うなんてことができるの?」
「かなりの使い手が複数人いれば、あるいは」
だが、それだけの使い手を揃えるのははっきり言って難しい。王都の近衛兵のような精鋭が複数人必要だ。ただの野盗連中にそれほどの使い手がいるとはとても思えなかった。
ニケのように巨大な火球を作れる使い手ならば、単独でも可能かもしれないが、あれ程の芸当ができるものとなると、王都の騎士団にも存在しておらず、国に一人か二人存在しているか、といったところだ。
もし魔法を使用していなかったとすると、大量の油が必要だが、それだけの油をここに運ぶことが困難であるし、村に油のような匂いが残っているわけでもない。
村を焼き払った者は、使い手の実力という疑問を除けば魔法を使用したと考えるのが自然だった。
「この家は、他より一回り大きいな」
「集会所か村長の家かしらね?」
二人は村の中央付近にあった大きな家に足を踏み入れる。中は広いが、寝室や台所などがある。集会場ではなく、村長、あるいは長老のような村民を束ねる立場にあった者の家のようだった。
「ん、タンスが……開いてる?」
家財道具などが全て焼き払われた家の中で、引き出しが開けられたタンスが妙に目についた。
机やテーブルなどは倒れていないため、爆発のような衝撃があったとは考えにくい。
火災の熱や、家が崩れる際の振動で、多少引き出しが飛び出ることはあるかもしれないが、『誰かが意図的に開けた』そう考えさせる不自然さがそのタンスにはあった。
その後、リディとアイシスは他の家にも不審な点がないかを調べ、太陽がてっぺんを過ぎた頃合いで、3人は再び村の中央に集まった。
「だいたい、調べ終わったか」
「えぇ」「うん」
リディを中心に3人はメモ帳代わりにギルド帳を使いながら、それぞれの調べたことや考えをまとめていく。
そして、至った結論は――。
一つ、この村を襲った犯人はニケの村を襲った存在とは別のものであること。
二つ、犯人は人間である可能性が高いこと。
この二点だった。
「次の村に行けばもっと、何かわかる……かも」
「そうだな」
リディはパタンとギルド帳を折りたたみ、荷袋につっこんで立ち上がる。
「次の村はルナーク。そこで色々わかることもあるはずだ」
リディとニケが出発の準備をする中で、アイシスは焼き払われた村のはずれで少しだけ残っていた花を集めていた。
「ちょっと、お祈りだけさせてくれないかしら?」
アイシスは集めた数本の花を手に、村の隅に作られた集団埋葬地へと向かう。
そして、据えられた石のたもとへと花を添えると、目を閉じ胸の前で手を組む。
リディとニケもアイシスに習ってアイシスの後ろで祈る姿勢をとる。
「守れなくてごめんなさい……」
それは、アイシスの口から零れた言葉だった。
「安寧の象徴たる白き竜よ、ここに眠る人々に安らかな眠りを」
祈りを捧げるアイシスの手は震えていた。
彼女の足元には目元からあふれる雫がこぼれ落ち、真新しく掘り返された土に染み込んでいった――。
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