第38話 漁

 ダーロンへの街道は赤く染まり始めていた。昼食を含めてあれから何度か休憩を挟みつつ、3人はダーロンへの街道を歩いている。

 夕暮れを告げる虫が鳴き始め、その声が両側の森からこだまする。空が赤から青へと変わる時間が近づいていた。


 アイシスは頑張って歩みを止めずにリディとニケに遅れないようにしていたが、流石に疲労が色濃く出ている。休憩を挟んでも疲労の回復度合いが少なくなっていて、この時間になると、その足取りは重く、アイシスが気づいているかは定かでないが、ニケとリディも通常より大幅にペースを落として歩いていた。


 リディは先頭を歩きながらアイシスの様子に気を配りながら、道の先にダーロンの村が見えてこないかを確認していたが、途中からペースを落とした影響だろう、村はまだ影も形も見えなかった。地図で現在地を確認するが、周辺をみても比較物があまりないため、正確な位置把握ができない。ただ、自身のペース感覚と遠くに見える竜の背骨の見え方からすると全行程の5分の4といったところと推定した。


 今までの旅のように、グリフがいれば先の様子を見てきてもらうのだが、彼らがいない現状ではそうもいかない。夜間の歩程は危険も伴う、足場のあまり良くないこの細い道ではなおさら避けるべきだった。


「今日はこのあたりで野宿にしよう」


 リディは見ていた地図を畳みながら振り返り、二人にそう伝えた。


「はぁ、はぁ。……ごめんなさい」


 リディの言葉を受けて立ち止まったアイシスは、膝に手をつきながら荒い息を吐いている。


「あやまらなくていい。もともとこのぐらいのペースを想定していた。むしろ早いぐらいだ。それより体調は大丈夫か? 気分が悪いとかはないか?」

「えぇ、ただ疲れただけだと思うわ。はぁ、はぁ……」


 アイシスはそう言うが、本来の体調不良が疲労に上書きされている可能性もある。それに、疲労により病気にかかったりすればそれこそ事だ。今日は早めに切り上げて、アイシスにゆっくり休んでもらうのが最善に思えた。


「ニケ、そっちの森の奥にまた川があるはずだ。先に行って焚き火の準備などを頼む」

「わかった。……ん」


 ニケはアイシスにむかって手を差し伸べる。


「え、なに?」

「……荷物」


 それしか言わないニケに対してアイシスが反応に困っていると――。


「アイシスの荷物を持っていってくれるってさ」


 リディが補足を加えてくれた。それを聞いてアイシスは背負っていた荷物をニケに預ける。


「ありがとう……」

「ん」


 ニケは軽く返事をすると、アイシスが背負っていた荷物を受け取り、前に抱えて森へと入っていった。


「じゃあ、私達はゆっくりいこう」

「えぇ、ありがとう」


 リディとアイシスもニケの後を追って、森へと入っていく。

 リディはアイシスを頻繁に振り返りながら森の中を進んでいった。日没まではまだ少し余裕があるが、森の中はすでに足元も暗くなっている。

 アイシスは自力で歩いていはいたが足元がややおぼつかない様子だった。なので、地面にくぼみがあるところや、大きな倒木を越える際には、アイシスに足元に気をつけるように声を掛け、必要に応じて手を差し伸べた。


 森を抜け、川のせせらぎが聞こえる頃には空はすっかり赤く染まっていた。

 到着した川原では焚き火から煙が上がっていたが、近くにニケの姿はなかった。しかし、ニケとアイシスの荷物が太めの木の根元に置いてあったので、この焚き火をニケが作ったのは間違いなさそうだった。


「どこにいったんだ?」


 周囲を見てみるが、川原にはニケの姿は見当たらない。そうなると再び森の中へ入ったということになる。


(そういえば……)


 リディが思い出したのはイダンセの手前で野宿したときのことだ。

 あの時ニケはリディが薪を拾っている間に、森で木の実などを採ってきていた。おそらく今回もなにか食べられるものを森へ探しに行ったのだとリディは思った。


 さっきアイシスの荷物を自分から運んでくれたこともそうだが、ニケが人と関わることを学んでいるように感じられて、リディの頬は緩んだ。


「アイシスはそこで休んでいてくれ」


 リディが置いてあった荷物の辺りを指差して、アイシスに休むように指示をすると、アイシスはおとなしく荷物のそばに座り込んだ。


 アイシスをおいてリディは川辺へと向かう。

 干し肉はまだ3人分ぐらいは残っているが、今日の昼間、休憩時に干し肉を毎回食べるようにしていたので、夕食はなにか別のものを食べたかった。


 肉は食べ飽きた、となれば魚しかない。今のリディの目は川魚を狙う熊のそれだった。

 とはいえリディは乙女である。野蛮な熊のように素手で魚をとるわけではない、以前ニケに説明したように、乙女は乙女らしく魔法でビリッと魚を仕留めるのだ。


 昼に休憩したときよりも上流に上ったためか、川辺には巨大な岩がいくつか転がっている。リディはその上に立って、高いところから水面を見下ろし、獲物を探した。


 もうすぐ日没だ。完全に暗くなる前に獲物を仕留める必要があったが、獲物である魚がなかなか見つからない。じりじりと時間だけが過ぎ、日没が迫る。


「――魚、いた?」

「うわっ!」


 いつの間にかそばにいたニケに突然声を掛けられ、リディは驚きバランスを崩す。

 腕をぐるぐる回して体を戻そうとするが、傾いた重心は戻らない。


「ふっ、とっ、はっ」


 リディは落ちそうになりながら、腕を思い切り伸ばすと、ニケがその手を掴んだ。

 そしてニケはその手を引き寄せ、リディは無事に岩の上へと戻った。


「あー、あぶなかった」

「ごめん」

「まったくだ、突然隣にいるな。心臓が飛び出るかと思ったぞ」

「え、……死んじゃう」

「そういう例えだ。それで、どうしたんだ、木の実採ってたんだろ?」

「うん、採り終わって戻ってきたらリディの姿が見えたから」


 ニケは持っていた巾着の口を広げ、中をリディに見せた。

 中には木苺などの木の実の他に、食べられる野草なども入っていた。


「うん、それがあれば、あとは魚だけで十分だな。……だが」


 再び水面に目を向けるが、魚の姿は目に映らない。いないものは捕まえようも無いので、リディは仕方なく夕食も干し肉を食べるかと考えていた。


「たぶん、この岩の下にいる」


 そう言って、ニケは二人が立っている岩を指差した。


「んー?」


 リディは岩の上に腹ばいになると、川の方へ身を乗り出し、死角となっていた部分をゆっくり覗き込んだ。


「……確かにいるな」


 そこには10ほどの魚たちが岩陰に身を潜めていた。覗かれているとも知らずに逃げる様子もない。


「なんで、わかったんだ?」

「昼間は川の真ん中を泳いでるのが多かったけど、時間が経つにつれて、岩の近くにいる魚が多くなってたから」


 今回の旅で、ニケは休憩のたびに川面をじっと見ていた。何をしているのかリディは不思議に思っていたが、アレは川の魚を観察していたのだということに今気がついた。


「ふっふっふ、お手柄だぞニケ。いないものは捕まえられないが、いるとわかればこちらのものだ」


 リディは袖を捲り、両手を構えて集中していく。


「危ないから離れてろ。乙女らしく華麗に魚を獲るからな」


 ニケは岩から降りて、リディから距離をとる。それを確認するとリディは目を閉じて更に集中を高めた。


「乙女式漁猟法」


 リディの指先にバチバチという音とともに、曲がりくねった閃光が迸る。それは左右の指先から放たれる小さな稲妻だった。やがてそれは指先からだけではなく、リディの全身に広がり、リディから近くの岩へと小さい稲妻が放たれている。


 遠くでリディがチカチカ光るのが見えたので、休憩していたアイシスも心配してニケの近くへとやってきた。二人の目の前でリディはバチバチと稲妻を放ち続ける。


「何してるの? あれ……」

「さぁ? 乙女らしく魚を獲るんだって」


 アイシスとニケのやり取りをよそにリディは集中を高める。


 そして、次の瞬間リディはカッと目を開けると「とりゃー」と叫んで稲妻をともなったまま川へと飛び込んだ。


 リディが着水した瞬間にバチィッという音とともに辺りが一瞬真っ白に染まる。


 そして周囲は静まり返り、リディが飛び込んだ川には岩陰に隠れていた魚達がプカプカと腹を見せて水面に浮かんできた。


 ニケもアイシスも呆然とその様子を見ていた。


「これが、……乙女っ」

「いや、違うでしょっ!」


 驚き目を見張っているニケ達の前で、水面が盛り上がりリディが顔を出す。


「ぷはぁ、見ろ! どうだ、いっぱい獲れたぞ!」


 そう言って、乙女はニコニコと大漁を喜んだ。

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